税の学習コーナー

税の学習コーナー税の作文(中学生・高校生)令和7年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

令和7年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

国税庁長官賞

【題名】新たな夢を胸に

【都道府県】北海道

【学校名・学年】学校法人旭川龍谷学園 旭川龍谷高等学校 二年

【氏名】村上 友紀乃

 病院のベッドの上、私は点滴につながれ身動きひとつとれない体でただ天井を見つめていた。手術後の痛みからか、夢を失った絶望からか――頬を伝う涙の理由は、もはやどうでもよいことのように思えた。

 「看護師になる」それは幼い頃から抱いてきた私の夢だった。術後に届いた高額な金額を記した医療費の明細書を見るまでは……。

 「これ以上親に負担はかけられない」

 それは夢を諦めることを意味した。

 しかし会計の時、私は驚嘆した。子ども医療費制度により、実際の負担額は大幅に軽減されていたのだ。そして私は知った。この制度の根幹を支えているのが「税金」であることを。見知らぬ誰かが私の夢を支えてくれていた。その優しさに触れた瞬間、絶望の中にいた私の心に希望の光が差し込んだ。

 そしてその光に導かれるように、私は医療制度と税金について調べ始めていた。日本では「国民皆保険制度」が採用されており、年齢や職業に関係なく、すべての人が平等に必要な治療を受けられる――それは、世界でも誇れる社会のかたちだと感じた。しかし同時にその制度が揺らぎ始めている現実を知った。医療費は年々増加し、令和五年度には過去最高の四十七兆円に達した。そのうち約十七兆円が税金で賄われているにもかかわらず、地方の医療機関は赤字経営に陥っている現状。診療報酬の抑制、人手不足、過疎化による患者数の減少、そして人件費や光熱費の高騰――複雑に絡み合った課題が制度の持続を脅かしている。

 この制度を持続していくためにどうしたらいいのだろう。私は税金が社会の基盤を支える力でありながら、その流れが私たちにとって見えにくいというところに着目した。納めた税金がどこに、どのように使われたのか――税金の使途を明確にする「トレーサビリティ(追跡可能性)」の考えがあることを知り、これこそが制度への理解と信頼を深めていく大きなきっかけになるのではないかと考えた。

 実際に私が医療費の一部が税金で賄われていることを知ったとき「誰かの負担が私の夢を支えてくれていた」と実感した。もし納税者も「自分の税金が子どもたちの未来を守っている」と感じることができたなら、その時納税は「義務」ではなく「誇り」になるだろう。そして制度の持続に必要な負担も、納得の上で冷静に受け入れられるのではないか。

 「トレーサビリティ」それは単なる情報公開ではなく、税と社会のつながりを見える形にすること。納める側と受け取る側が互いの存在を知り、支え合っていることを実感できたとき、制度は仕組みを超えて「共に生きるための約束」となるだろう。

 この考えにたどり着いたとき、私にもう一つ夢ができた。いつか納税という責任を果たし、今度は私が誰かの夢をそっと支える側になりたい。新たな夢を胸に、昨日とは違う自分が今ここにいる。

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【題名】時代を映す鏡

【都道府県】青森県

【学校名・学年】青森県立青森南高等学校 三年

【氏名】手塚 彩花

 私は、日本史が大好きだ。数千、数百年前の人々の息吹を、遺跡から、物語から、芸術から、戦乱から、節々に感じられるというロマンがある。

 私は今までの生活の中で、とくに税について深く考えたことはなかった。唯一納めている消費税は二〇〇七年生まれの私にとって「疑問に思う」という感情も湧かないほど、物心ついたときにはあって当然のものであったし、大きくなるにつれ「税率が上がる」というニュースが出ても「そうなんだ」くらいのものであった。

 しかし、高校二年生から始まった日本史にのめりこんでいくと、必然的に時代ごとの「税」の内容を覚えなくてはならなくなった。小学校、中学校や高校一年生のときに受けていた、総合的な歴史を学ぶ授業よりも、日本の税制度がより生々しく感じられた。布や特産品を納めたり、「労働」そのものを税としたり、大量の米を納めたり。歴史が長い分量も多いけれど、楽しく学んでいくうちに、「あれ?今は?」と思った。今納める税って何があるんだっけ。今まで考えようともしていなかった税に対して、興味が出てきた。

 そしてその興味は、高校三年生で始まった「政治・経済」の授業によって満たされた。学びとは様々な分野が結びついて生まれるものだと実感した。加えて、クーラーや暖房の効いた快適な教室で、教育を集中して受けることができるのは、税のおかげでもあると知った。

 勉強の中で私は、税とは、時代の姿を映す鏡なのではないかと感じるようになった。時代とともに税の形は変わっている。税の取り方に問題があれば、反発が起きている。「何にお金をかけるか」はその時代が何を大事にするかを表しているし、社会がどんな状況にあり、人々が何を求めているのかが見える。

 私は、現代で重要視されているであろう「教育」へ使われている税金によって、義務教育を受け学びを得てきた。これから先大人になって、税に苦しめられたり憎んだりする日が来るのかもしれないが、税によって学びを支えられたという事実は変わらない。病院にもお世話になるだろうし、介護をする側、される側になればまた違う形で、現代の税金の流れを感じることになるだろう。

 税は単なるお金のやりとりではなく、時代の価値観や国の方向性を示す鏡である。そして、これから国が何を課題としていくかという、「未来」も映しているといえる。税の歴史がどう積み重なっていくのか、日本国民として、納税者として、真剣に見届けていきたい。

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【題名】米百俵の精神〜税金に支えられた私たちの未来〜

【都道府県】新潟県

【学校名・学年】新潟県立長岡高等学校 二年

【氏名】後藤 苺瑚

 先日、国税庁ホームページの税の学習コーナーを見ていたときのこと。「年間教育費の負担額」という部分が目にとまった。公立学校の児童・生徒一人あたりが義務教育九年間と高校三年間の計十二年間で受け取る額は、約千二百三十万円であり、義務教育費国庫負担金と教育振興助成費(学校での教育の運営に使われる)を合計すると年間約四兆円程度の国の歳出が教育のために使われているという。調べていくうち、「多くの税金が教育に使われるのは、米百俵の精神と同じ考え方があるからだ」という考えが浮かんだ。

 「米百俵の精神」とは、私の住む長岡市に幕末から伝わる故事である。戊辰戦争で焼け野原となった長岡藩に三根山藩(現在の新潟市西蒲区)から米百俵が見舞いとして送られてくるが、長岡藩の大参事小林虎三郎は米を食用にせず売却し、得た資金で国漢学校の新校舎を開校した、という話だ。小林虎三郎は、お腹をすかせた兵士たちに米を配ることよりも、教育のための資金にして人材を養成することに重きを置いた。すぐに利益や効果を得られることではなく、教育に資金を使い将来活躍する人材を育てるという考え方は、現在多額の税金が教育に使われている理由と重なるのである。

 私たちが教育を受けることでは、すぐには目に見える効果は得られない。今の私たちには社会に貢献したり、社会を変えたりする力はない。しかし、多くの人―顔も名前も知らない、どこに住んでいるかもわからない人―の納めた税金によって、私たちは教育を受けることができている。目に見えないたくさんの人々に支えられて、教育を受けさせてもらっている。そう考えると、私たちが毎日教育を受けられるのは当然の権利などではなく、支えてくれている人々への感謝の気持ちを忘れてはならないのだと強く感じる。そして、私たちはいつか恩返しをしなければならないと。私たちが税金を納める側になったとき、教育を受けられたことで学んだこと、身についたことを生かして、社会に貢献していくこと、税を納めていくことこそが、私たちを支えてくれた人への恩返しなのだ。

 米百俵の精神の話には続きがある。米を売ったお金でつくられた学校は、後に医学博士の小金井良精、海軍の山本五十六元帥などの、新しい日本を背負う多くの人物を輩出した。私たちも彼らのように、税金に支えられて得た学びを生かし、未来で活躍できる人になりたい。

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【題名】見えない力に支えられて

【都道府県】東京都

【学校名・学年】東京都立文京高等学校  二年

【氏名】寺崎 ひなの

 私は母子家庭で育った。小さいころから母が一人で私と弟を育ててくれている。学校に通え、美味しいご飯を食べることができ温かく良い環境にいる。普通のことかもしれないが普通に平和な生活を送れることに私は幸せを感じている。それは母が朝早くから夜遅くまで働いてくれているだけでなく、社会の支えがあったからだと最近になって気づくようになった。

 高校に入学して「税金」について学ぶ時間があった。正直、それまでは税金なんて大人の話としか思っていなかった。しかし、授業の最後で先生が話した「税はみんなで支え合う仕組みだ」という言葉が強く心に残った。私は今公立高校に通っている。授業料は無料で、教科書代もほとんどかからなかった。これも「就学支援金制度」というものが使われていると母から聞いた。この制度も税金でまかなわれていると知り驚いた。もしその制度で支えられていなかったら私は高校に進学できなかったかもしれない。また、私たちは児童扶養手当という制度も利用している。これも税金から出ていると知り、私たちの生活が「社会に支えられている」という実感がわいてきた。普通の生活の裏には母だけでなく国や地域の助けがあるから、毎日がやってくるのだと思う。

 このように考えるようになってから、税金に対して「取られるもの」という考え方ではなく、困っている人たちを「支えるもの」という考え方に変わった。たくさんの人の支えがあったから今の生活があるのだと実感できた瞬間だった。私は将来、教育や福祉に関わる仕事をしたいと考えている。自分が支えられたように、今度は私が支える側になりたいからだ。実際に税金が使われる教育や福祉の現場で働き、もっと税金について深く知りたいと思う。今はたくさんの人の税金から受けとった「想い」を無駄にしないために勉学に励み夢を実現させたい。税金は、見えにくいけれど確実に人と人とをつなげている大切な仕組みだ。誰かが納めた税によって自分が支えられ、自分が納めた税によって誰かの未来をそっと支えている。この仕組みがあるからこそ、社会はつながり、前を向いて生きることができるのだと思う。私のように支えてもらった経験がある人が、やがて誰かを支える存在になる。そうして助け合いの幅が広がっていくことが税の力であり、社会の希望だと私は信じている。

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【題名】水と税金

【都道府県】福井県

【学校名・学年】学校法人福井学園 福井南高等学校  一年

【氏名】木村 和暉

 最近ユーチューブを見ていたら、世界で水道水がそのままのめる国として、日本が紹介されていました。

 世界中で水道水がそのまま飲めるのは十ヶ国しかないそうです。私は世界に百九十六ヶ国も有りながら、安全な水を飲めるのが十ヶ国という事にとても驚きました。日本はその貴重な十ヶ国に入っている事がとても嬉しかったです。毎日当たり前に顔を洗ったり飲んだりしているお水が世界に認められるくらいの安全で美味しいお水という事に感謝しないといけないと思いました。

 ちょうどその数日前お盆に母の実家で戦争で亡くなった曽祖父の手紙を読む機会がありました。曽祖父は亡き祖父がまだお腹にいる頃に戦争に行き丁度八ヶ月の時に亡くなったと聞いていました。祖母も初めて読む手紙で、中には地元の水がどんなにすばらしいか分かったと書いてありました。手紙を書かれたのは九月初めでしたが水も飲めず泥水を口に含み吐き出す事しか出来ないと書かれていました。早く帰っておいしい水を飲みたいと書かれていて祖母はその手紙を見て泣いていました。そして仏壇にすぐにお水をお供えしていました。

 なぜ、日本の水道水がこれ程安全で清潔に保たれ世界でも評価されているのか知りたくなり私なりに調べてみました。すると水源の質、高度な浄水技術、厳格な水質基準、定期的な検査体制によるものだという事がわかりました。

 そして、その素晴らしいお水を毎日使うことが出来るのは、上下水道の整備がされているからという事にたどりつきました。世界で下水道普及率は五十七パーセントと言われています。これは約四十三パーセントの人々、すなわち約三十四億人が安全な施設衛生を利用できていないことを意味します。日本は国民の皆さんが納めてくれている税金を使ってきちんと整備された上下水道を利用出来るので世界にほこれる安心安全なお水を毎日利用できている事を理解して感謝の気持ちが生まれました。美味しく安全な水はあたり前ではなく、厳格な水質管理と税金による上下水道の整備管理のたまものです。

 私も社会に出たら、きちんと納税して何十年何百年後にも美味しく安全な水道水が飲める国として日本が紹介されるように協力していきたいと思いました。

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【題名】見えないつながり

【都道府県】静岡県

【学校名・学年】静岡県立磐田西高等学校 一年

【氏名】太田 彩羅

 私は小さいころからおじいちゃんのやっている小さなパン屋さんが大好きだった。朝5時にはもう店の中はいい香りでいっぱいで、焼きたてのパンを袋に入れる作業を私は毎年の夏休みの楽しみにしていた。

 ある年の夏、私はお店の会計伝票の整理を手伝っていた。そのときふと「この消費税ってどうして払わないといけないんだろう?」と疑問に思った。たった数十円、されど毎回取られていくような感覚。なんとなく「損してる」ような気持ちになっていた私は、思いきっておじいちゃんに聞いてみた。

 「おじいちゃん、税金って結局どこに行っちゃうの?」

 おじいちゃんはちょっと笑ってパンを焼きながらこう答えた。

 「税金ってのはな、社会みんなで支える『ありがとうのお金』みたいなもんなんだよ。」

 ありがとうのお金?私は首をかしげた。そんな優しい響きとは、私の中の「税金」のイメージは正反対だった。でも、おじいちゃんは続けた。

 「たとえば毎朝ここに来てくれる近所のおばあちゃん、覚えてるか?あの人は年金で暮らしてるんだ。年金は税金や保健料で支えられてるんだよ。他にも道がきれいに舗装されてるのも、ゴミを回収してくれるのも、救急車がすぐに来てくれるのも、全部誰かがちゃんと税金を払ってるからなんだ。」

 そのとき私は税金は「取られるもの」じゃなくて、「支え合うためのもの」なんだってはじめて思えた。コンビニで何も考えずに払っていた消費税も、将来の自分や見えない誰かの生活を守るための「仕組み」なのだと気づいた。

 私は今、磐田西高校の総合ビジネス科で学んでいる。授業では、企業の仕組みや経済、会計、そして税の役割についても学ぶ。数字だけでは見えてこなかった「税金の意味」がパン屋のおじいちゃんとの会話でぐっと身近になった。

 ビジネスの世界では「利益を出すこと」が大切だと言われる。でも、正しく税を納め、社会に貢献することも立派な経営者の責任だと私は思う。将来、もし自分が会社を立ち上げることがあったら「利益」と「信頼」の両方を大切にする経営をしたい。

 おじいちゃんは決して大きな利益を出しているわけじゃない。けれど、町の人に愛されて、税金もちゃんと納めて、笑顔で商売をしている。その姿を見て私は、税金は「社会へのありがとう」なんだって心から思えるようになった。

 レジで「消費税込みで〇〇円です」と伝えるその一言が、どこかで誰かの安心につながっている。私はそんな「見えないつながり」の大切さをこれからも忘れたくない。

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【題名】15%のやさしさ − 二つの国で学んだ、税の仕組み

【都道府県】兵庫県

【学校名・学年】学校法人日ノ本学園 日ノ本学園高等学校 二年

【氏名】クバツキ 咲雪

 私は幼い頃から十数年間、家族とともにニュージーランドで暮らしていました。その後日本に移住し、今は日本の学校に通っています。二つの国での生活を経験する中で、税の仕組みや役割について大きな違いがあることに気づきました。そして、それぞれの国の制度を比べながら、「税とは何のためにあるのか」について深く考えるようになりました。

 ニュージーランドでは、消費税にあたる「GST(Goods and Services Tax)」が15%と、日本の消費税よりも高く設定されています。しかし、その分、医療や教育の分野では多くのサービスが無料、または安く提供されていました。私が現地の小学校に通っていたとき、教科書や学用品がほとんどかからなかったことに驚いた記憶があります。また、ある日、私が転んでけがをしたときに病院に行きましたが、診察も治療も無料でした。「これって、全部税金で支えられているんだよ」と母に教えてもらい、小さな私でも税金の存在を身近に感じた瞬間でした。

 日本に移ってからは、制度が少し違うことに気づきました。まず、学校に通うためには、教材費や給食費、制服代など、さまざまな費用がかかります。病院では保険証を提示することで自己負担は抑えられていますが、支払いが必要です。日本にも良い制度はたくさんありますが、ニュージーランドと比べて「個人で負担する部分」が多い印象を受けました。このような違いを知って思ったのは、「税金の金額」よりも、「その使われ方」や「それによって得られる安心感」がとても大切だということです。ニュージーランドでは、「税金は社会を支えるためのもの」「困ったときはお互いさま」という意識が広く根づいていて、大人たちが税の重要性を子どもにも伝えているように感じました。それに比べ、日本では「税金=取られるもの」「仕方なく払うもの」という印象を持っている人が多いように思います。

 税は、私たちの生活を支えるための大切な仕組みです。道路や橋の整備、学校や病院の運営、福祉や災害対策など、すべてが税金によって支えられています。そして、誰もが安心して暮らせる社会をつくるためには、ただ税金を納めるだけでなく、その使い道に関心を持つことも大切だと思います。私は将来、社会人になって税金を払う立場になったとき、自分のお金が誰かの助けになっていることを意識しながら、責任を持って納税したいです。そして、納税者として「どう使われているのか」にも目を向け、よりよい社会づくりに参加していきたいと思います。

 ニュージーランドでの経験は、私にとって税の意義と役割を考えるきっかけになりました。これからも、二つの国で学んだことを生かして、社会について考える視野を広げていきたいです。

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【題名】税金が紡ぐ、見えない約束

【都道府県】岡山県

【学校名・学年】岡山県立岡山朝日高等学校 一年

【氏名】庄治 心陽乃

 私たちは「税」という言葉を聞くと、しばしば無機質な数字や硬い法律を思い浮かべがちだ。しかし、私は税を、単なる金銭の徴収ではなく、社会を維持するための「信頼の証」として捉えたい。それは、人々が互いを信じ、より良い未来を築くために分かち合う、目には見えない約束なのだ。

 この信頼の証は、例えば、私たちが通う学校の教室や、雨風をしのぐために利用する道路、災害時に命を守るためのインフラ、そして医療機関の運営など、日常生活のあらゆる場面でその姿を現している。これらはすべて、個人だけでは到底成し遂げられない、巨大な共同事業の成果だ。税という約束がなければ、このような社会基盤は砂上の楼閣と化し、私たちの生活は根底から揺らいでしまうだろう。

 税が信頼の証であるならば、その信頼を損なう行為は、社会全体に対する裏切りだ。不正な脱税は、共同事業への参加を拒否するだけでなく、その負担を他者に押し付ける行為に他ならない。それは、みんなで支え合うという約束を一方的に破ることであり、社会を分断し、信頼を蝕む行為なのだ。

 しかし、現代社会においては、この「信頼」が時に薄れてしまっているように感じる。税金が何に使われているのか、そのプロセスが不透明だと感じるとき、私たちは税を「義務」としてのみ捉えがちになる。それは、信頼の証であるはずのものが、ただの重荷になってしまう危険性を示している。

 だからこそ、私は、税をより身近なものとして捉え、その使い道について積極的に関心を寄せることが重要だと考える。例えば、税の使い道について、特定のプロジェクトや地域活動への寄付のように、個人が選択できるような仕組みがあればどうだろうか。もちろん、それは複雑な議論を必要とするだろうが、税が単なる徴収ではなく、個人の意思が反映される「投資」のようなものになれば、私たちはより主体的に社会貢献を実感できるようになるのではないか。

 また、税教育のあり方についても再考すべきだ。単に税の仕組みを教えるだけでなく、税が私たちの生活とどのように結びついているのか、そして私たちが税を通じてどのように社会を形成しているのかを、より実践的な形で学ぶ機会が必要だ。例えば、学校内で模擬的な税制度を導入し、生徒たちが集めた税金で学校の備品を購入するといった体験は、税が持つ「共同で未来を創造する力」を肌で感じさせてくれるだろう。

 税は、過去の人々が築き上げてきた信頼の歴史であり、未来を生きる私たちへのバトンだ。そのバトンをしっかりと受け継ぎ、さらに強固な信頼の輪を築いていくこと。それが、私たち一人ひとりに課された責任であり、税の真価なのだ。私たちは、税を義務としてではなく、信頼の証として、希望に満ちた未来を築くための尊い約束として、大切にしていかなければならない。

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【題名】税と学校

【都道府県】愛媛県

【学校名・学年】愛媛県立今治南高等学校 二年

【氏名】伊藤 琴乃

 私たち高校生にとって、税金は遠い存在のように感じられるかもしれません。日々の生活で直接納税する機会は少なく、その恩恵も漠然としたものとして捉えがちです。しかし、私たちが通う高等学校の存在こそ、税金が未来への「投資」として機能していることを最も雄弁に物語っています。始めに、高等学校にまつわる税の仕組みを探り、その公的役割の重要性を再認識するとともに、税が未来の社会を形作る上でいかに不可欠な要素であるかを考察します。

 高等学校の運営と維持には、多大なコストがかかっています。これらの費用は主に国や地方自治体が徴収する税金によって賄われています。一つ、運営と人件費を支える税。公立高等学校の教職員の給与や教材費・光熱費といった日常の運営費は、私たちの親世代や社会全体が納める所得税、住民税、法人税などを原資とする地方交付税交付金や都道府県の財源から支出されています。二つ、施設・設備に関わる税の特例。公立高校の場合は固定資産税は課税されていません。これは、教育が社会全体の利益とする公益事業であり、教育の機会が阻害されることを避けるためです。「教育というインフラ」を維持・発展させるための強い意志の現れと言えるでしょう。三つ、生徒の負担を軽減する税制。私たちが納める授業料や入学金には消費税が課されていません。経済的な理由で教育の機会が失われないようになど教育の機会均等を担保する重要な役割を果たしています。

 私たちが「税の恩恵」として受けている教育サービスを金銭的な価値に換算すると、文部科学省のデータを基に試算したところ、一人あたり年間約百万円に達するとされている。その中、約九十五%が税金によって賄われているのです。この数字は、私たちが社会から直接的な投資を受けている証拠といえます。

 この税金による投資は、私たち高校生に二つの責任を課していると考えます。一つ目は、現行の社会を支えている納税者への感謝の念です。学ぶことができる環境を築いてもらってる恩恵に応えるためにも、最大限に学ぶことでこの投資の利回りは高まることでしょう。二つ目は、未来の世代への教育環境の継承です。現在の私たちが享受している公的な教育支援が、次の高校生にも途切れることなく提供されるよう今を維持・発展させていく必要があります。

 学校と税の関係を学ぶことは、「公」という概念を理解する第一歩です。税金は個人の富を一時的に集めるものではなく、世代を超えて社会全体の幸福と発展に再配分するという極めて公共性の高い社会の仕組みであると感じました。単に税金の知識を得るに留らず、自分が社会の一員としていかに大切にされているか、そして未来を担う一員としてどう貢献すべきか考え、税金という投資が「人財」として成長することこそ、税金に対して果たしうる最高の責任であると言えるでしょう。

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【題名】十五歳 初めての納税

【都道府県】福岡県

【学校名・学年】東福岡高等学校 二年

【氏名】清武 琳

 中学三年の冬。届いた封筒に入っていたのは源泉徴収票だった。作文コンクールで応募作が入賞し、いただいた奨学金にかかる税金を、主催者が納めてくれていたのだ。期せずして初めて納税したことを知り、驚くと同時に誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった。

 私は先天性の障害のため、幼い時から手術と入退院を繰り返している。これまでにかかった医療費は総額数千万円になるが、自立支援医療制度の対象となるため、支払いはわずかな額で済んだ。金銭的な負担を心配することなく、最適な治療を受けられる。それは世界的には決して当たり前のことではない。顔も知らないたくさんの人たちが納めてくれた税金のおかげで、私は今を生きている。

 小学生の頃から両親に医療制度の話を聞き、役場窓口での申請にも同行していた。そのためいつからか、私もやがては自立し、支える側の人になりたいと思うようになった。それだけに、こんなにも早く納税できたことが衝撃だった。たった数千円だが、私にとっては記念すべき「初納税」だ。さらに、父の言葉に耳を疑った。確定申告をすれば納めた税金が返ってくると言うのだ。頭の中が「?」だらけだ。私はインターネットで税金や確定申告について調べた。奨学金を受け取る際にマイナンバーカードが必要だった意味がようやくわかった。私は自分で確定申告に挑戦してみることにした。両親は難色を示したが、やってみたら予想外に簡単だった。私の分の書類は税務署に持参する必要があったが、父の確定申告はオンラインでできた。母は以前、確定申告の書類提出のために、すし詰めのプレハブで長時間待たされた経験があるそうだ。そのため、簡略化された現在のスタイルに愕然としていた。以来、家族の医療費や薬の領収書を保管するのは私の役割となった。

 私はそれまで、ただ漠然と税金の恩恵を受けて生きていることに感謝していた。けれど思いがけず十五歳で納税と確定申告を経験し、多くのことを学んだ。この国には、税金に限らず、制度や法律で、命や財産を守ってくれる仕組みが整っていることを知った。立場や境遇によって、税金のイメージは異なるだろう。障害を持って生まれた私にとっての税金は、この生命を支えてくれる命綱だ。災害、病気、事故、感染症。様々な「もしも」が、いつどこで誰に降りかかるかはわからない。突然自分や家族に命の危機が訪れることがあるかもしれない。そんな時、利用できる制度があること、そしてそれを知っていることは、我が身を守るために重要なことだと思った。

 八月に十九回目の手術を受けた。今も病棟のベッドでこの作文を書いている。十六歳の私は手術で手に入れた新しい身体で、成人し、社会に出るだろう。これからどんな人生が待っているかはわからないが、これまで支えてくださった全ての人への感謝の気持ちを胸に、誰かを支えられる大人になって、自分の選んだ道を精一杯生きていきたいと思う。

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【題名】「税金がつなぐ、地域と子どもたちの未来」

【都道府県】熊本県

【学校名・学年】熊本県立第二高等学校 一年

【氏名】藤木 るか

 「誰もが、学びのチャンスを持てる町にしたい。」

 これは、御船町役場職員の父が、前からよく口にしている言葉だ。

 御船町には学習塾があまりなく、中学三年生になると熊本市内の塾に通う生徒が多い。

 しかし、それには交通費や授業料など、経済的、時間的にも負担がかかる。すべての家庭が無理なく通わせるのは難しい。

 父はずっと、「住んでいる地域によって学びの機会に差があってはいけない」と考えていた。そして、町の税金を活用し、子どもたちが無料で学べる「地域未来塾」という取り組みを始めた。未来塾では、元教師や地域の 大人たちが、中学三年生に学習支援を行っている。定期テストや高校受験に向けて、一人ひとりに寄り添いながら丁寧に教えてくれる。塾に通えなかった生徒が、ここで力を取り戻し、志望校に合格する姿も多く見られるようになった。

 この取り組みは、町民が納める住民税や、買い物をするときに支払う消費税の一部である地方消費税など、私たちの身近な税金によって支えられている。父たちは、限られた財源の中で、どうすれば子どもたちの可能性を広げられるか、何度も議論を重ねてきた。

 私は当初、税金に「取られるもの」というイメージを持っていた。レジで加算される消費税を見て、ため息をつくだけで、それがどこで、どう使われているのかを意識することは、ほとんどなかった。しかし、父の仕事を通して、未来塾のような取り組みが税金で支えられていることを知った。その瞬間、税金に対する考え方が少し変わった。税金が「子どもたちが安心して学べる環境を作りたい」「家庭の経済状況に左右されず、学びを続けてほしい」という大人たちの思いを実現する手段となっていることに、私は強く感動した。

 自分の払った税金が誰かの役に立っていると実感できた時、税金は単なるお金ではなく、思いや願いを実現する力であることに気づくことができた。そのお金には人々の意志が込められていて、社会を成り立たせる目に見えないつながりのように感じた。

 私は今、高校一年生。あと数年で税金を納める立場になる。そのとき「取られている」と感じるのではなく、「未来を支える一員になっている」と思える大人でいたい。そして私の払った税金が子どもたちの夢や地域の希望につながることを信じて、責任ある行動を選びたい。大人が知恵を出し合い、税金で街を支える。その恩恵を受けた子どもたちが、地域を支える存在に育つ。この「人と税の循環」が未来にとって大切だと感じる。これからも税が「未来をつくる力」として、御船町の子どもたちや地域全体、日本を支えてくれることを願っている。私も将来、その力の一部となれるよう、社会と真剣に向き合っていきたい。

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【題名】「アレルギー」から「ありがとう」へ

【都道府県】沖縄県

【学校名・学年】沖縄県立首里高等学校 二年

【氏名】平田 菜乃華

 「税金アレルギー」目を引く言葉に思わず笑ってしまった。税金にアレルギーが存在するなんて全く想像がつかない。この言葉は、中学生の頃に母からもらった税金の本の一ページに記されていた。

 私は小学生のとき、税金をテーマにした絵はがきのコンクールに応募したことがある。当時は仕組みを理解できず、両親や祖父母に話を聞きながら絵を描いた。中学生になると夏休みに税の作文が課され、母がプレゼントしてくれた本を読みながら学んだ。その本には救急車や子どもの医療費について詳しく書かれており、救急車に助けられた私や家族の経験と重なって心に残った。

 こうして毎年、夏になると税金に向き合ってきた私だが、高校生になった今年は少し迷っていた。過去の入賞作文を読むと、どれも特別な体験に基づいていて感動的だった。けれど私は、そんな大きな出来事に直面したわけではない。自分には書けることがあるのだろうかと考え込んだ。

 しかし、ふと気づいた。特別な体験がないこと自体が、税金のおかげではないか。救急車や病院だけでなく、学校や道路、街灯など、当たり前のように使っているものすべてが税に支えられている。大きな病気や災害がなく、安心して暮らせている日常そのものが、税金に守られている証拠なのだ。そのとき、改めて「税金アレルギー」という言葉を思い出した。税に嫌悪感や抵抗感を抱く人がいるのは、税金の働きを知らないからではないだろうか。授業で行った国の制度に優先順位をつけるゲームでも、税を低く評価する友人がいた。私は税の仕組みを知っていたからこそ、社会に欠かせないものだと感じていたが、知らなければ負のイメージを持ってしまうのも無理はない。私は、税の魅力を知ることが「税金アレルギー」を無くす第一歩になると思う。例えば、日本の信号機の青は見やすさを研究するために税金が使われ、改良されたという。税金を知らない小学生のいとこにこの話をすると、目を輝かせて「税金ってすごいね」と言った。小さな発見でも、誰かと共有すれば税の面白さやありがたさに気づけるのだ。

 私は特別な体験を持っていない。だが、そんな私だからこそ気づけた事がある。平凡な日常を陰で支える税金の存在だ。この気づきが広がれば、税を遠く感じている人ももっと身近に受け止められるだろう。税金を払うことと、税金を知ることは違う。払っているからといって、その働きを理解しているとは限らない。だからこそ、私はもっと多くの人に税金の魅力を伝えていきたいと思う。税を深く知ることで、納める気持ちも少し明るいものに変わるはずだ。

 「アレルギー」ではなく「ありがとう」と言える社会をつくるために、私は将来、税を納めて社会を支える一員となり、その魅力を発信していきたい。

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