税の学習コーナー

税の学習コーナー税の作文(中学生・高校生)令和4年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

令和4年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

国税庁長官賞

【題名】日々の生活の中にある税

【都道府県】北海道

【学校名・学年】学校法人遺愛学院 遺愛女子高等学校 一年

【氏名】丸山 日向子

 私の父の趣味はマラソンだ。ほぼ毎日、夏でも冬でも町中を走っている。「パパのマラソンの練習のためにいつも道路が整備されている。感謝だな。」とよく言っている。舗装された道路は、夏は除草されているし、冬はしっかりと除雪されている。街灯もあって少し暗くなっても走ることができる。「町中がマラソンコースだ。そこらの王様よりも恵まれてる。」と酔っぱらって言っていたが、あながちそうかもしれない。

 日本はとても清潔で安全な国だ。公共施設はいつもきれいで明るいし、冷房も暖房も効いている。トイレなども清潔で安心して使える。ごみは定期的に回収してくれるし、上下水道も整っている。交通機関はとても便利だし、港や空港も整備され安全に旅行もできる。日本はどの地域に行っても同じような風景だともいわれるが、これは全国津々浦々道路や橋などが整備されているからだと思う。

 教育にも相当の税金が使われている。授業料や教材費は決して安くはないけれど、各教科の専門の先生がいて、施設設備が整備され、こんなに勉強に専念できる環境は恵まれているのだと感じる。また地域には図書館や運動施設、温泉など余暇のための施設もあり、手軽な料金で利用することができる。

 改めてどのようなことに税が使われているのかを知り、知らず知らずに受けているサービスに気づいたとき、私たちはとても贅沢な暮らしをしているのではないかと感じた。

 では、私たちは生涯にどれくらいの金額を納税するのか調べてみた。大学卒の正社員をモデルに試算すると総額で約五千万円の納税額になるそうだ。一番多く納税している項目は消費税で約一千五百万円、次に住民税で約一千四百万円、そして所得税で約一千三百万円。その他不動産やタバコ、お酒、自動車などにかかる税が八百万円くらいになるらしい。また、税とは別に健康保険や将来の年金のために五千万円くらい負担することになるそうだ。生涯賃金が約三億円だとすると約三割が税や社会保障のために負担する額となる。決して低い金額ではないけれど、日本の隅々まで行き届いたインフラとサービス、弱者や高齢者の医療や福祉の充実を考えると、これくらいの負担は必要なのだとも思う。

 「痛税感」という言葉も聞くが、納税の義務や負担ばかりに目を向けると嫌な気持ちでつまらない。けれど、税がどのようなことに使われているのかを知り、今の生活から税の恩恵を感じることができればとても贅沢な気持ちになれる。今後、少子高齢化や災害、安全保障など税の役割は増すばかりである。そして税の負担もまた増えていかざるを得ないだろう。父は国の借金も多いし、納税者も減っていくから、これからはサービスが低下するかもしれないとも言っていた。

 税について考えるとき、父のように日々の生活の中で税の恩恵を感じ、感謝しながら利用する態度はとても大切なことだと思った。

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【題名】カンボジアの教育ボランティアで考えたこと

【都道府県】宮城県

【学校名・学年】宮城県古川黎明高等学校 二年

【氏名】菅原 栞

 「日本と全然違う……。」

 ボランティア初日、三人で一つの長机に長椅子、そして雨風を凌ぐ屋根だけでできた簡易的な教室が映し出された画面を見て、私は思わずそう呟いてしまった。

 私は、オンラインでカンボジアの小学生を対象とした日本語教育のボランティアをしている。一九七〇年代の内戦で教師や医師などの知識人が虐殺され、学校までもが破壊されたカンボジア。不十分な教育環境に加え、家事や労働のために教育を受けられない子どもが多いのが現状だ。そんな状況を改善しようと、日本人ボランティアが子どもたちの学びを中心とした支援を行っているのである。

 ボランティア初日、私は子どもたちと和やかに交流を深めることはできたが、言葉にできない違和感が残った。それは、日本とカンボジアの教育環境の違いによるものである。

 私が小学生の時は、教科書が無償で配られ教室には一人一つ机と椅子があった。他にもさまざまな本に心が動かされ、夢が膨らんだ図書館、友人と元気に遊んだ体育館などがあり、充実した教育を受けられていたことをしみじみ感じた。一方のカンボジアは、一つの教室を用意するだけでも大変で、先生も片手で数えるくらいしかいない。ここで私は考えた。なぜ私は快適な環境で学ぶことができたのかを。そう、それは税金があったからだ。様々な人が納めた税金が、私に学びという恩恵を与えてくれていたのだ。

 さらに考えてみれば、私は今日まで多くの場面で税金に助けられてきたことに気づいた。新型コロナウイルスの影響で教育の継続が危ぶまれた時、税金によって私たちの学びが止まることはなかった。そして高校生である私は、高等学校就学支援金という制度を活用して、何の障害もなく勉強できている。小学生から高校生まで、豊かな学びを与えてくれた税金に、深く感謝したい。

 私は今回教育について考えたことで、税金と自分との結びつきを感じたが、これは教育に限ったことではないだろう。私たちは日常のあらゆる場面で税金に支えられて生活している。医療費の負担、ごみ処理の費用、警察や消防などの公共サービス……。子供から大人まで、何らかの形で税金に助けられているのだ。当たり前の日常は税金が支えている。当たり前のように過ごしている日常を見つめ直してみると、税金と自分の生活がつながっていることが感じられるのではないだろうか。私はカンボジアのボランティアを通じて税金が日常の礎となっていることを実感した。

 税金あっての日常。税金と日常は切っても切り離せない関係にある。だからこそ、税金は納めて終わりではなく、めぐりめぐって何らかの形で自分に返ってくるものであると強く思う。私は税金によって与えられた環境に感謝し、納税の義務を果たすことで、この当たり前の日常を次世代へ繋いでいきたい。

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【題名】安定した生活

【都道府県】新潟県

【学校名・学年】学校法人新潟明訓高等学校 新潟明訓高等学校 一年

【氏名】阿部 由佳

 税金とは、私たちにとってどのようなものなのだろうかと考えた。教科書を読み返して、インターネットで税の使い道を調べてみても、どれも当たり前のことのようで、あまり印象に残らなかった。しかし、先日公立図書館であるレポートを作成するために資料を探していたときのことだ。私は、「図書館は便利だ。こんな膨大な資料から選び放題だなんて。」と感じた。そして、同時に、そんな図書館も税金で成り立っていると気付いた。この経験から私は、日常に隠れるほど当たり前である税金の制度こそが素晴らしいのだと考えるようになった。

 なぜ、当たり前は偉大なのか。誰もが存在を意識せざるを得ない制度よりも日常に溶け込んでいる制度の方がよいと、どうして私は考えたのか。それは、そのような制度こそが安定した社会を示すと考えられるから。私は衣食住の確保された生活を送っている。だから私はだんだんそれらに関して無頓着になっていく。しかし世界には綺麗な水も、少しの米も、雨風を凌げる服や屋根すら手に入らない人々もいる。そのような人たちにとって衣食住の状態は命に関わる問題で、だからこそそれらに敏感になっていく。この例を税金の話に戻して考えよう。税は主に、「誰のものでもないと同時に誰のものでもある」ものや「最低限の生活を送るために必要な」ものに使われる。それらを誰かひとりではなく社会全体が国民に当たり前のように与えてくれる国と、それらを諦めざるを得ない社会ではどちらが税金の制度へ関心や話題が集まるか、明白であろう。まだ私は税金の恩恵を受ける側でしかなく、支払う側にはあまりまわったことがない。せいぜい消費税だ。大人になって新たな立場にたったとき、別の意見をもつようになるかもしれないが、今は私は日本の税金制度を肯定的に感じている。

 税金制度は資本主義社会の光だ。どこまでも貧富の差が広がりうる資本主義社会の中で誰もが最低限度の生活を送れるように、誰もとりこぼされないようにという願いのこもったこの制度にはあたたかみすら感じる。何度も社会主義・共産主義の破滅を経験し、資本主義の無慈悲な面も指摘された現代で私たちが求めるものは、自由に成長するための確固たる足場だ。その足場こそ、安定した税の制度なのだ。

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【題名】税について

【都道府県】神奈川県

【学校名・学年】日本大学藤沢高等学校 一年

【氏名】鈴木 悠介

 令和元年に発生した台風十九号で、私が住む箱根町には観測史上最大の量の降雨があり道路や河川、鉄道、そして宿泊施設や住宅などの建物にも大きな被害が出た。私の家の庭にも、付近で発生した土砂崩れの土砂が大量に流れ込み、庭一面が茶色に変わってしまった。母が一生懸命手入れをしていた家庭菜園も、芝生と砂利できれいにしていた庭も、すべてが茶色の景色に覆われてしまった。父は、「家族が皆無事でよかった。これだけで済んで本当によかったよ。」と自分に言い聞かせるように、でも少し悲しそうに言いながら、茶色くなった庭を眺めていた。

 箱根町では、インフラなどに多くの被害がありながら、奇跡的に人的な被害は無かったそうだ。しかし、箱根登山鉄道は復旧に一年ほどかかり、町内各所の道路や水道、下水道などのインフラの復旧も、数か月単位になるということだった。そしてその費用も、莫大な金額になるとのことだった。私はこれだけの費用をどうするのか、本当に箱根町は元の姿に戻ることができるのか、大変不安に思った。

 そんな時、町役場の職員の方と話す機会があったので、本当に町が元の姿に戻ることができるのか、恐る恐るきいてみた。まず、道路などのインフラについては、国からある程度費用が交付されること、箱根登山鉄道も、国・県・町から復旧にかかる費用が補助される事、被害があった旅館や住宅等にも、町が費用を負担することなどを話してくれた。

 私は、その時、自分の生まれ育った町の復興を後押ししてくれる税金のありがたさ、重要さを改めて実感した。

 そして、台風十九号の被害から九ケ月後、一年かかるといわれた箱根登山鉄道の復旧工事が完了し、箱根のシンボルである赤い車両が、夏の箱根を走り出した。登山鉄道の汽笛を聞いたとき、私は、何とも言えないくらい嬉しくなったことを覚えている。箱根の復興に向けて走り出したようにも感じた。

 今、世界中が新型コロナウイルス感染症等の影響により、先行きの見えない経済状況に悩まされている。観光産業を基幹産業とする箱根町も、度重なる緊急事態宣言等で観光客は減少し、町内経済にも影響を与えている。しかし、こうした事業所や住民の生活を守るため、町は、事業所に支援金を給付したり、全町民に町内で使用できる一万円の券を発行したりと、様々な支援をしてくれている。そのような支援ができるのも皆が納めている税金のおかげである。

 今、私は住民税などの税金を納めていないが、税金を納めるときは、税金が、町のため、地域のためになることを念頭におき、納税していきたいと思う。

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【題名】税の支え

【都道府県】石川県

【学校名・学年】石川県立金沢二水高等学校 一年

【氏名】満田 弥音

 税金に支えられずに過ごす日ってどのくらいあるだろうか。毎日の通勤通学で乗る市バス。消防や警察、自衛隊の資金。思えば、私たちの毎日は税によって初めて成立している。しかし、それを実感している人は極わずかだろう。私たちは納税の部分だけに目を向け、その恩恵を忘れて、税をただの出費として捉えがちである。かくいう私も少し前まではその一人だった。三年前の秋に行われた消費税引き上げの時には、中学生ながらに憤りと不満を感じたものだ。だがあるときを境に私の税への考え方は一八〇度変わったのだった。

 私の祖父は脊髄小脳変性症という病気を患っている。手足を思い通りに動かせなかったり、ろれつが回らなくなる病気で長期間患っていると自分で食べ物を飲み込めなくなったりする。そんな祖父を母と見舞いに行った帰り、私はずっと気になっていたある事を、母に思い切って尋ねることにした。

「じいちゃんもばあちゃんも働いてないけどさ、じいちゃんの入院費とかってさ、大丈夫なん?」
母は少し笑ってこう答えた。
「じいちゃんの病気は難病指定されとるから国が八割出してくれるんやで。」
家に帰って詳しく調べると難病医療費助成制度なるものがあり、効率的な治療法の確立されていない一部の病気で、医療費を国が公費から負担してくれている事を知り、心底驚いた。私が祖父に会えること、祖父が治療を受け続けられること、祖母がその治療費に圧迫されず生活できること。こんなに近くにあった幸せが、国の支え、つまりどこかの誰かの納めてくれた税なしでは成り立っていなかったことに初めて気付いた。税金は国民のために使われている、なんてことは無論知っていたが税に支えられて生きている、という意識が芽生えたのは初めてだった。

 納税はただの出費ではない。納税という行為は「買い物」であり「募金」でもある。あなたはまず、納税をすることで安全で平和な、当たり前の日常を購入する。舗装されたゴミのない道を歩き、バスに乗り、クーラーの効いた学校で授業を受ける。この日常は税なしではなりたたない。そして前述の通り、納税は「募金」でもある。その宛て先は、地震で家を失った誰かであり、不治の病に苦しむ誰かでもあり、またあるいは国境を越えた先、飢餓で倒れる誰かでもあり、そして将来働けなくなったあなた自身でもある。国中の人の少しずつ、がそれぞれの命を救い、未来をつむぎ出しているのだ。

 百均で十円玉を出す際、私はこれまで「これじゃ百十円均一じゃないか。」とぶつぶつ文句を言っていた。しかし今は違う。この十円が祖父に治療を受けさせ、私のありふれた毎日を守り、そして顔も知らない誰かの命を救っている−。そうして私は誇りと優しさにあふれた、温かい気持ちになるのだ。

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【題名】「未来を繋ぐ税」

【都道府県】静岡県

【学校名・学年】静岡県立浜松東高等学校 三年

【氏名】アメコ カロリーネ

 小学生に「税って何?」と聞かれたら、私は多分上手く説明できないだろう。「国を支えているものだよ。」と以前の私なら答えるだろう。これが私の税に関する精一杯の知識だった。

 しかし、私の税に関する知識は最近向上している。それは、私の母が日本語を喋れないことがきっかけだった。もちろん、書いたり読んだりすることも出来ない。したがって私は小さい頃から、文を翻訳したり、通訳をよくしている。ある日、「この漢字なんて読むの?」と給料明細を指さす母。給料明細を見ると、色んなものが控除されていて驚いたのと同時に現実を突きつけられたような感じがした。母が指さす先には「所得税」と「住民税」があった。
漢字は読めるが、説明は出来ないと一瞬で思った。幸い翻訳アプリで、母の母国語で翻訳をし、説明することが出来た。この時、私はよくわからない悔しさに襲われた。私はこの間18歳を迎え、大人になれたような気がしていた。しかし知識はまだまだ浅はかであり、子供なのだと思い知らされたからだと思う。

 その日のうちに私は、税金について調べることにした。調べていくと、自分の身の回りにこんなに様々な税金があるのだと知った。インターネットには、「消費税」「住民税」「所得税」が1番身近であると書いてあった。確かに消費税は、買い物をする際に必ず払っているので知らない人はいないだろう。住民税は地方に納める地方税で、所得税は国に納める国税であると理解出来た。住民税と所得税は給与から毎月控除されているが、それを知っている中高生は極わずかだろう。給与を貰ってからでないと意識する機会は正直無いだろうと思わず思った。私もついさっき母の給与明細を見て初めて知った1人であったからだ。ゆえにこうして作文で税金について情報を発信出来ることを嬉しく思う。

 働き始めている大人が納税の義務を果たすことによって、社会は成り立っている。「税金は無駄だ、必要ない。」と時々耳にする。確かに消費税は近年、10%になり、使うお金が増えてしまうことは事実である。しかし、「税金は未来を繋いでくれる」と私は思う。小さい子供から高齢者の方までの豊かな生活を守ってくれる。税金がない世界を考えると、分かりやすいのでは無いだろうか。医療費が全額自己負担になり、お金持ちだけが治療できたり、教育を受けられる子供が減ったりなど、考えるだけでとても恐ろしくなる。税金は国民を苦しませるためにあるのではなく、国民の幸せの為にある。税金の奥深い事実、大切さを知って欲しい。これが私の切実な願いである。

 「ありがとう」という気持ちを持って、学校の机、椅子、動物園、科学館などといった数え切れないほどの税金が使われているもの、場所に感謝するべきだ。今の私なら、幼稚園生や小学生に税金について説明することが出来る。なんだかとても嬉しい。

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【題名】税で支える

【都道府県】兵庫県

【学校名・学年】兵庫県立篠山鳳鳴高等学校 一年

【氏名】齋藤 若颯

 「どうしよう。右耳が聞こえない。」

 受験を控えた昨年の冬、私は泣きそうになりながら母に言った。普段は聞こえるテレビや換気扇の音がよく聞こえず、不思議に思って両耳に触れると、右側で音がしなかったのだ。

 耳鼻科を受診した私は、「突発性難聴」と診断された。この病気は、治療の開始が早いほど治る可能性が高いらしく、私もすぐに治療を開始した。

 毎日の点滴と何種類もの薬の服用、週一回の診察や聴力検査、、。これらを支えてくれたのは家族や友人、医師、看護師の皆さんだった。しかし、彼らだけではない。

 私が暮らす丹波篠山市には、「子ども医療費助成制度」がある。この制度は、市内の小学四年生から中学三年生を対象に、市が医療費を助成するというものだ。この制度があることによって、保険に加えて税金で医療費を負担してもらっていた。そのため、私は医療費を支払うことなく治療を受けられた。治療を支えてくれたのは税金でもあり、納税してくださっている方々でもあった。高校生になってから、治療のためには一回の診察と薬の受け取りで三千円から四千円がかかる。通院の頻度は減ったものの、決して安いとは言えない。中学生の頃は医療費負担が無いことが当たり前だと感じていたが、今は税金による医療費助成があることに感謝している。

 子ども医療費助成制度について調べてみると、一つの課題が見えてきた。それは、自治体によって受けられる助成に差があることだ。例としては、助成の対象年齢や助成額、所得制限の有無などが挙げられる。最も良いのは、全ての自治体で助成の基準や金額を一律にすることであると考える。どこに住んでいても、怪我をしたり風邪を引いたりして医療を必要とする子どもはいるだろう。そんなとき、どの子どもも公平に安心して受診できることは重要なことである。

 診断を受けてから数か月経った頃、私は市役所でヘルプマークを受け取った。ヘルプマークとは、義足だったり、難病だったりする人など、外見からは分からないが、支援を必要とする人のためのマークである。ストラップになっているこのマークをかばんなどに付けることで、必要なときに支援を受けやすくする。これは税金で作られており、受け取る際にお金を払う必要はない。ヘルプマークがあることで、私は安心な生活を送れている。

 私は今、税に支えられて生きている。納税をするということは、自分や自分の大切な人、会ったこともない誰かなど一人一人の安心をつくり、守ることではないだろうか。皆が納税の義務を果たすこと、それが正しく使われることで、少しずつ、誰もが安心し笑って過ごせる社会になっていく。私も納税で誰かを支える大人になりたい。また、もし私のように病気や難聴に悩む子どもがいるのなら、納税という形でほんの少しでも安心を届け、力になりたい。

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【題名】税金というバトン

【都道府県】広島県

【学校名・学年】広島県立府中高等学校 一年

【氏名】児玉 夢結

 「税」という言葉を辞典で開くとたいてい「国や地方公共団体が、必要な経費をまかなうため国民から強制的に徴収する金銭」と示されている。本当だろうか。あの日までは、私も本当だと思っていた。

 小さな体に大きなランドセル、この姿で学校に登下校していた頃は「教科書なんか重いし、学校に持っていくのめんどくさい」と毎日の日常に文句をぶつけていた。そんな文句はある日を境にぱったりとなくなった。

 暑い。私は脱水症状をおこした。学校を早退し病院に行くと「入院」という言葉が医者から返ってきた。かなりの重症だったらしい。私はその頃、入院するということは、たくさんの費用がかかることは知っていた。入院期間は三ヵ月で週に一回担任の先生が私の病室に来てミニ授業をしてくださった。そのとき私は先生に入院費用について聞いた。すると先生は「入院のお金は、税金っていう国のお金で少し払ってくれるから心配しなくても大丈夫なんだよ。」と教えてくださった。その日は、税金についての授業となった。初めは先生が何を言っているのか全く理解できなかった。先生は分からないという私の心を見透かしたように「全然分かってないみたいね。教科書出して。」と言った。私は教科書を出して先生に渡すと「ここ読んで」と言われ、私は読んだ。「この教科書は、これからの日本を担う皆さんへの期待をこめ、税金によって無償で支給されています。大切に使いましょう。」私が読み終わったとき、先生は税金のことを「バトン」と言っていた。そのときに、なぜ税金が「バトン」なのか聞かなかったが、税金の大切さは理解できた一日だった。

 新学期になると毎年、新しい教科書が配布され、「バトン」という言葉が頭によみがえる。今になってなぜ税は「バトン」なのかが自身で理解できる。それは、昔の人々の世代から次の世代へ。その世代がまた次の世代と教科書を通して税金が受け継がれているからだ。今、税金を主に支払っているのは、私たちの親世代だ。それがいつかは、私たちの世代になる。これを先生は「バトン」で表現したかったのだと悟った。

 このことから私は、税金をなぜ払わなくてはならないのと、疑問に思っている人に伝えたい。「あなたも昔、親世代から税金を得て生活をしていたのだから、税金というバトンを今度はあなたが親世代からしてもらったように次の世代につなぐべきだ」と。

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【題名】知ることの大切さ

【都道府県】徳島県

【学校名・学年】徳島県立脇町高等学校 一年

【氏名】井上 茉子

 「あなたの口座に還付金を振り込みたいので今すぐ銀行のATMへ」という電話を受けた人が特殊詐欺の被害に遭ったというニュースをテレビで放送していた。「え?国税局や税務署の職員を名乗られたら、指示に従ってしまうよ。還付期限が迫っているから今すぐに、と言われたら、だれかに相談することもなくATMに向かってしまうよ。」と心の声を漏らしてしまった。すると、母が「納めすぎていた税金は、自ら還付申告しないと振り込まれることはないよ。」と教えてくれた。税金を納付する、税金の還付を受ける……。私にとって謎だらけの「税金」について自分なりに調べるきっかけとなった。なかでも、個人に係る所得税について。

 今現在の日本では、個人の収入は、10種類の所得に分類される。そして、個人の所得税は、確定申告という形で1月1日から12月31日までの一年間に生じた全ての所得の金額とそれに対する所得税等の額を計算し、申告期限までに確定申告書を提出して、源泉徴収された税金などとの過不足を精算する。私の父のようにサラリーマンだと、月々の給料から概算で所得税が控除されている。そして、年末調整といって、扶養の有無や扶養している人数、生命保険や火災保険の負担などを加味して、給料の支払者である会社が精算してくれる。つまり、毎月給料から天引きされている所得税の一年間の合計額と実際納めなければならない所得税の金額の差額調整をしてくれるのだ。しかし、医療費控除や災害に遭った時の控除は、年末調整ではできなくて、確定申告で申告しなければ、納めすぎていた所得税の還付を受けることができないと知った。自ら申告しないといけないのだ。

 私は今回、たまたま見たニュースがきっかけで、税金について調べて、ほんの少しではあるが、知ることができた。けれども、知らないままでいたら、本来還付されるべき税金の還付を受けないままでいたかもしれない。還付を受けないどころか、詐欺の被害者になったかもしれない。

 国民の三大義務のひとつである「納税」。いったいどれだけの人が税金の知識があり、税金を納めているのだろうか。よくわからないまま、給料から所得税を差し引かれ、よくわからないまま年末調整で差額調整され……。「税金をとられた」と、よく耳にする。とられた?税金はとられるものではなくて、納めるものでは?私たちは、税金を納める以上、税金について正しい知識を持つべきだと強く感じた。きちんと納得した上で納税していくべきだと。税金について知識がある人と、正しく理解していない人とでは、税金に対する気持ちが違うとも思う。知らなかったではすまない税金。確定申告もスマートフォンで自宅から申告できると聞いた。今は学生であり、所得税とは無縁の私もいつか所得税を納める日が来る。きちんと税金を知り、納得した上で税金を納める人になりたい。

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【題名】将来世代を花丸に

【都道府県】鹿児島県

【学校名・学年】鹿児島県立曽於高等学校 一年

【氏名】大休寺 涼那

 「国債は借金であり、元金や利子の返済の負担を将来世代に負わせることになるから。」解答欄から少しはみ出しながら、一定の筆圧でそう書いていた。その上からかぶさるように赤ペンで丸がしている。

 日頃、間接的に触れているが、深く考えたことがない税金。私は「税」と聞くと少し難しく感じる。税についてそれほど知識がないと思っていたが、中学三年生の公民の授業で学習したことを思い出した。どんなことを学んだのかと気になり、中学校の公民のワークを開いてみた。すると、一つの問題が目にとまった。日本の財政と国債残高についての問い。私はこの解答を読んだ時「将来世代」という言葉に引っ掛かった。同時に、この問題を解いたとき税に対してマイナスなイメージを抱いた当時の自分を思い出した。将来世代。私もこの中に含まれる。そう思うと、ただマイナスなイメージを持つだけではいけないと思い、中学校三年生と今の自分の考えを改めるため、税について詳しく調べてみることにした。

 現在、日本の一般会計歳出は主に社会保障、国債費、地方交付税交付金等に使われ全体の約四分の三を占めている。一方、歳入は税収等と公債金で構成され、三分の一は公債金に依存している。その要因として社会保障費の増加が挙げられると分かった。将来世代の負担は社会保障費の増加と関係がある。そうと分かり、次は社会保障について調べてみた。

 社会保障は年金、医療、介護、子供、子育ての分野に分けられる。年金や介護など受益される割合が高く、世代も高いことから高齢者への保障というイメージが強くあったが、私たちの世代も支えられていることが分かった。現在の社会保障は「全世代型」という新しい制度に転換された。そして消費税引き上げによる増収分が全て社会保障に充てられている。そのため、保育や高等教育の無償化、児童虐待の防止対策の充実などの予算が計上され、支える側の充実も図られている。このことを知り私は、税に対する負のイメージが少しずつ失われ、将来世代が抱える問題を前向きに捉えることが出来た。また、歳出の内訳を知っていく内に、私は様々な場面や場所で税の恩恵を受けていることを実感し、税に対してプラスのイメージを持つようになった。

 税のことを知ると、ありがたみを感じる反面、これからの課題について不安を感じる。しかし、税への「恩返し」として捉えれば負担は少し軽く感じ、立派な納税者として未来の社会に貢献できるのではないだろうか。

 再び、ワークの問題に目を落とした。私はもう一度問題を解いてみることにした。今度は「将来世代」の部分だけ強く書いていた。私たちはこれから多くの税金を負担していく。いや、恩返しをしていく。そう思い、私は、自分の解答に赤ペンで三角をつけた。

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【題名】学びを止めないために

【都道府県】沖縄県

【学校名・学年】沖縄県立八重山高等学校 一年

【氏名】野原 未来

 今年の夏、私は初めて市立図書館のボランティアに参加した。小学生の頃は、よく市立図書館に通っていたが、中学生になる頃から部活で忙しく、訪れることは少なくなっていた。そしてこの夏、高校生になって、ボランティアに参加した際に、考えたことがある。

 ある日、ボランティア活動をしていると本の返却をしに来た男の子がいた。その子はこの図書館に何度も訪れているようで、言い慣れない言葉も交えながら、「パキケファロサウルスのね、こうとうぶ…にはね、角があってね…」と、職員の方と楽しげに話をしていた。その時、私はあるCMを思い出した。聴覚障害のある女の子と職員さんとの関係を表したCMだ。この二つの事に共通して言えることは、図書館という公共機関が、コミュニケーションをとったり、学びを得る一つの場所になっているということだ。他にも周りを見渡してみると、年齢に関わらず多くの人が本を読み、それぞれの分野で知識や情報を得たり、芸術に触れたりしている。様々な人や情報と関わることで、今まで自分になかった考え方ができるようになったり、視野が広がることがある。

 このように、公共図書館は人と人がコミュニケーションをとり、自分自身を成長させるとともに、情報から学びを得る場所になっている。また、私の住む地域の市立図書館では、幼児が破損させてしまった本の弁償を求めないことにしている。弁償を求めてしまうと親御さんたちが利用しにくくなるためである。こういう優しさも税金で成り立っている。

 私はこの経験や気づきを得るまで、税金に対していい印象はなかった。税金が高いとか、給料から税金が引かれるのはおかしいとか、税金についてあまり知らずに、表面的な部分だけを見ていた。だが、公共機関を誰もが平等に利用するためには、とても大切な制度なのだと感じた。一方で、税金にも問題はある。少子高齢化による負担の大きさや一部の税金の使い道など、改善した方がいいと思う点はあるが、税金を払うことは子供たちの学びの場を守るために必要だと思う。また、世界の図書館事情について調べてみると、世界中で本へのアクセスがない子供たちは約2.6億人もいるそうだ。その子供たちのために難民キャンプで図書館を開く活動を行っている人たちがいる。そこでは図書館が「唯一の情報源」になっている。そのことを知ると、公共機関を身近に利用できている私達は、とても幸せものだと感じた。

 私は今、学生で税金によって支えられている側の立場だ。学校の机や椅子、学生が学ぶ環境の整備など、税金で賄われていることにとても感謝している。数年後、私が学生ではなくなったとき、納税者としてしっかり税金を納め、子供たちの学びを守れる人になりたい。また、子供たちにも税の意義をしっかり理解してもらい、「未来」に希望を持ってほしい。

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