税の学習コーナー

税の学習コーナー税の作文(中学生・高校生)令和3年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

令和3年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

国税庁長官賞

【題名】豊かさを支える土台

【都道府県】北海道

【学校名・学年】北海道寿都高等学校 三年

【氏名】土本 麗奈

 税金を納めることは「義務」である。増税のたびに憂鬱な気持ちになる人も少なくないだろう。しかし、義務の裏には「豊かさ」があることに気づいてほしい。

 かくいう私も、幼い頃に両親の給料から税金がひかれていると知り、「なぜ真面目に働いている人からお金をとるのだろう」と思っていた時期がある。しかし、ある出来事をきっかけに考えが変化した。それは「父の死」だった。

 父は私が中学二年生のときに突然亡くなった。父は自宅から片道五時間程かかる町へ単身赴任中だった。亡くなる二日前に家族で父に会いに行き、一緒に過ごした。頻繁に会える距離ではなかったため、次はいつ会えるのだろうと思っていた矢先のことだった。私は父を亡くした哀しみが胸いっぱいに広がると同時に、これからの生活に不安を抱いた。なぜなら、私の家族は母・祖母・兄・私・妹の五人家族であるため、母への負担が大きくなることなど容易に想像できたからだ。高校生になってすぐに長く続けていた競技を辞め、アルバイトをしようと考えた。このことを母に相談すると、私たち家族が色々な支援を受けていること、そして、今しかできないことをしなさいと話してくれた。私たち家族が受けている支援も税金からなっているのだろう。

 もし税金制度がなく、私たちが色々な支援を受けることができていなかったらどうなっていたのだろう。兄は理学療法士になるべく大学へ進学しているが、その道が閉ざされていたかもしれない。私も看護師になるために進学を考えているが、諦めなければならなかったかもしれない。あるいは、高校へ進学することさえ叶わなかったかもしれない。幼い頃、税金に対して抱いていた嫌悪感はいつの間にか胸から消えていた。私や私の家族の生活に色をつけてくれた税金に対して今は感謝の念で満たされている。

 納税は国民の三大義務ということもあり、どうしても「払わされている」や、「とられている」という意識が強いだろう。しかし、時に税金は国民を豊かにしてくれる。実際に私は不自由なく毎日を過ごすことができている。それに加え、将来の夢を思い描くこともできている。もし夢を諦めることになっていたら…。もし夢を抱くことさえ許されない状況だったら…。私の目に映る日常は色のない世界だったに違いない。

 国民が納めている税金は豊かさへとつながる。そして、税金は豊かな日常が揺らぐことのないよう、強固な土台となるのだ。私が現在納めているのは消費税のみであるが、本格的な納税者となる日はそう遠くないだろう。
その時が来たらしっかりと税を納め、今まで自分が支えられてきたように私も周りを支えたい。そして、胸を張って社会に参加し、未来を創っていく。人々の幸せが崩れることのないように。「豊かさを支える土台」を作っていくために。

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【題名】復興のための税金

【都道府県】福島県

【学校名・学年】福島県立福島西高等学校 一年

【氏名】長尾 日和

 私は高校一年生の研修旅行で、福島県浜通りにある双葉町に行った。双葉町のほとんどが、東日本大震災の被害を受けた帰還困難区域である。被災地に踏み入るのはこれが初めての経験だったが、あまり真剣には捉えていなかった。しかし、実際に行ってみるとそこにはテレビでしか見たことのない風景が広がっていた。バスで町の中を巡回しながら、延々と広がる荒れた土地や瓦が崩れ落ちたまま放置されている民家などを窓のガラス越しにくっきりと見た。当然ながら人は誰もいない。見ていてとても寂しくなる眺めだった。たぶん、ずっと忘れられないものとなることだろう。

 震災から十年経った今でも時が止まり続けている場所。ここに前と同じくらいの人が住むようになるのは、一体あと何年後なのだろうかと疑問に思った。

 その後私は、新聞委員会の活動で学校新聞に震災の記事を書くことになった。まだ様々な問題が残っているが、復興も着実に進んでいるという未来に向けた前向きな記事を書きたいと思った。そして、復興について調べているうちに私は復興特別税というものを目にした。初めて見る単語だった。復興特別税とは、東日本全体に関する復興のために使われる税である。今でも所得税の中から復興特別所得税というものを納めているそうで、課税の終了予定日を調べると二〇三七年十二月三十一日と記載されていた。短縮される可能性もあるが、復興を完全に遂げるまであと十年以上もかかるのだ。予想していたよりもずっと長い時間がかかることを知り、私はなんだか圧倒されてしまった。

 また、元々帰還困難区域に住んでいた人達の中で、町に戻りたいと考えている人についても調べた。結果は、たったの二割しかいなかった。完全に元通りになるまで長い年月がかかるようだったし、他の場所に完全に居住地を移してしまったのも納得がいく。しかし、JR常磐線の全線開通や双葉町産業交流センターの開業など町の復興状況がうかがえる明るい話も多くある。これらにも全て復興特別税が使われているのだと思うと、税金のありがたさと大切さを再認識した。私はそういう記事を読むたび、研修旅行中に見た双葉駅のことを思い出した。真新しい駅は明るく光り輝いているかのようで、復興という希望の象徴のように見えた。いつか、この光景が町全体に広がれば良いなと思う。

 今、私は税金を納めていない。だが十年もしないうちに納めるようになることだろう。その中にはまだ復興特別所得税も含まれているはずだ。あの寂しい町に、一刻でも早く活気を取り戻したい。私の出す税金が、復興への小さな手助けになる日が来たら良いなと思った。

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【題名】「支えられる」から「支える」大人へ

【都道府県】埼玉県

【学校名・学年】埼玉県立熊谷高等学校 一年

【氏名】田原 悠太郎

 「税」という言葉を聞いても、僕はいまいちピンと来ない。もちろん「消費税」は僕にとって最も身近で買い物の際支払ってはいるのだが「法人税」「固定資産税」「所得税」「相続税」等と言われてもどのようなものなのかはよく分からない。それは僕が未成年であり、社会人としての経験を踏んでいないからだと思う。

 しかし僕は、両親との会話の中で僕が知らないうちに税金の恩恵を受けていることが分かった。十年前、東日本大震災の際僕は福島県に住んでいた。父は仕事のため福島に残り、母と弟、僕の三人で埼玉県へ母子避難をすることになったのだが、避難先の市役所の職員の方にとても親切にしてもらったと母は言う。幼い僕とまだ一歳だった弟を連れて市役所に行ったためか、職員の方も母の気持ちに寄り添いつつ、住宅や保育所などの相談にのってくれたと言う。また、転入先の小学校でも就学補助や震災避難者の援助等について事細かに教えて下さったと言う。偶然にも転入先の小学校の教頭先生が、母の小学生時代の恩師だったこともあり「一人でかかえこまず、何かあったらすぐ相談しなさい」と言って下さったそうだ。当時の母にとっては、とても心強かったと話していた。

 このような補助や援助、また父が福島と埼玉を往来する際の高速道路代無料についても税金から賄われていたことを僕は知った。その他にも、子供医療費の助成や小中学校の教科書代や授業料、高校の授業料の補助についても納税者の方々からの税金で支えられていることが分かった。

 税というと「できれば払いたくない」「車やお酒、煙草にも何故税金がかかるのか」という大人の意見も多いそうだが、自然と私達の気づかないところで税によって支えられ、社会が成り立っているのだ。この「税によって支えられている意識」を国民一人一人がもつためには、教育の中に税の知識や役割を積極的に取り入れるべきだと僕は思う。小学校での社会科の授業や、中学校での公民の授業はもちろん、税についてのディスカッションなどを取り入れても良いと思う。それらを積みかさねることで、学生だった子供達が社会にでたときにより税に対する認識を深めた上で納税が出来ると思う。

 僕も数年後には社会人となり、納税する立場になる。今回のことをきっかけに、より税に対する知識を深め、社会に支えられた立場から、社会を支えていける大人になりたいと思う。

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【題名】「税」が与えてくれるもの

【都道府県】山梨県

【学校名・学年】学校法人月江寺学園富士学苑高等学校 一年

【氏名】宮下 楽

 昨今のメディアは増税に賛成か、反対かということばかりを報道、議論している。多くの人は増税、そもそも税というものに対するイメージがあまり良くないようで、よって決まって反対する人が多い。積極的に賛成する人は極めて少なく、その間には「仕方がない」と言う人がいる。増税が正しいかどうかははっきりしないまま、若干反対派優勢で議論は終わる。

 しかし、私が知りたいのはそういうことではない。どうして更に税が必要になったのか、私にとってそれは重要なことであるか、こういうことを伝えてくれないと、授業で学んだことを活かすことすらできない。買い物をしたとき多く支払うのが嫌だから、計算が面倒になるから、これらはとても反対する立派な理由とは言えない。ましてや、「仕方がない」というのは自分で情報を集め、判断することを完全に放棄してしまっている。私はまだ学生で、買い物をしたとき少し消費税を払うくらいであるから、これから税の使われる先である立場で、税について考えることにする。

 調べてみて本当に驚いた。一年間に、高校生では一人あたり91万3千円が使われているという。このことを知るまでは、大人は子供に税の使われ方を教えるべきだと思っていたが、それは違った。私達学生は、今自分が多くの人の納税によって安全に、安心して勉強や部活に打ち込むことができていることに、自分自身で気付くべきなのである。そうすることで税に関することを他人事だとは思えなくなるし、大人になってから目先のことで判断することもなくなるに違いない。

 これは大人にも言えることである。あらゆる税を納め、それは身の回りの、あるいは国の、「あらゆること」に使われる。このような抽象的な理解ではなく、より具体的に認識することができたら、納める側としてしか意識していなかったことも、捉え方が変わり、深く考えるようになると思う。これが、税金の使い方や増税が正しいかなどの議論を本当に意味のあるものとするきっかけになるだろう。

 私は税金に対して「奪われるもの」というイメージを持っていた。しかしこれは間違っていることに気付いた。税とは、私たちに暮らしを「与えてくれる」ものである。今の私が夢を持つことができるのも、大人になってから安心して仕事をし、子育てをしていけるのも税があるからだ。そして立派な納税者となったとき、私の納めた税は多くの被災者や失業者を、子供達を、両親や祖父母の世代を支えるものとなる。この優しい循環に気付くことができて良かった。

 税を納めることは、私達の「歴史」を守り、「現在」の基礎をつくり、そして「未来」を考える術を与えてくれる。

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【題名】「あたりまえ」を支える税

【都道府県】福井県

【学校名・学年】福井県立敦賀高等学校 二年

【氏名】小林 正典

 高校二年の春、私は腎臓の病気を患い約一ヶ月の間入院を経験した。多くの人の支えがあり病状も回復。なんとか退院することができ、今は元気に学校にも通えている。

 退院後、久しぶりに家族と再会し会話を交わす中で、衝撃の事実を知った。実は私の入院費用は五百円だったのだ。私は動揺した。病気の治療には薬などの多くの医療品が使用され、入院生活では一日三食の食事も用意された。更には医療関係者の方々からの支援もあった。それが五百円というマックのセットメニューが買えるくらいのもので支払われてよいのか。普通に考えれば絶対にダメだと思うが、この背景にあったのが税だった。

 私の住む敦賀市には調べてみると「子ども医療費助成制度」というものがあった。これは0歳から高校三年生相当までの子どもの通院・入院の自己負担額を、月八日間まで一医療機関あたり最高五百円にし、調剤に関しては自己負担額はなしという制度だ。私の入院費が五百円だったのはこの制度のお陰だったのだ。そしてこの制度を成り立たせているのが税金である。税はどこまでも私たちを支えてくれていることを再認識した。

 私含め、多くの人が税金の恩恵を身近に受けて生きているにもかかわらず、税を支払うことに抵抗を感じているように思える。理由として私たちが税の悪い点ばかりを知っているからだと思う。私たちは税について能動的に調べようとはしない。スマホやテレビが運ぶニュースなどの情報により受動的に税について知る機会が多い。しかし私が思うに、それらのニュースは税に悪い印象をもたせるようなものが多いように感じる。恐らく良い面を取り上げるより悪い面を取り上げた方が人々から注目を集めるためだろう。スマホやテレビのニュースは人の注目を集めるのが第一優先だ。

 税が私たちにもたらす恩恵は非常に多く、これからは高齢化社会となるため税の果たす役割は大きい。しかしここで注意が必要なのが税は私たちの日常生活の「あたりまえ」を支えていることだ。「あたりまえ」は私たちの意識が向きにくいところにあるために税の恩恵も感じにくい。

 私が入院を通じ、税に関心を持ち、向き合ったことで伝えたいことがある。それは多くの人が私と同じように税に関心を持ち、どれほど税が私たちを支え、寄り沿ってくれているのかを理解して欲しいということだ。もちろんこれは先ほど言ったようにニュース等の情報に惑わされたり、税の「あたりまえ」を支える性質上難しいかもしれない。しかし今の私たちは税金が与えてくれる恩恵に対してまるでその恩を仇で返すかのように税に対して冷たく接しすぎのように私は感じる。

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【題名】未来へつなぐバトン

【都道府県】愛知県

【学校名・学年】愛知県立岡崎高等学校 一年

【氏名】大引 理央

 「うわっ、こんなにかかるの?」教科書の購入リストを見て母が言った。

 私は、小学四年生から中学一年生の途中まで、オーストラリアで過ごした。オーストラリアでは小学校も中学校も公立の学校に通ったが、義務教育が無償で受けられる日本とは違い、学校の施設利用料や授業料などを支払わなければならなかったし、教科書は、もちろん自分で購入するのが普通のことであった。それでも小学校の時は、日本のような立派な教科書は使用せず、先生が配るプリントを使っての学習であったため、教材費として支払う金額はそんなに大きくはなかったが、中学校に入るときは、教科も増え、それぞれの教科で必要な書籍を全て準備するとなると約580ドル(日本円で五万二千円程度)ほどかかる計算だ。そのリストを見て母が驚いたのだった。

 「やっぱり日本は、無償で教科書を配布してくれるんだから、それはすごいことだよね。」と、続けて母は言った。私はこの時改めて、教科書の無償配布ってすごいことなんだ、と感じた。

 日本では、公立の小・中学校に通うと義務教育の九年間、毎年当たり前のように新品の教科書をもらえる。特に中学校になると、教科書も多くなり、一つ一つの教科書が分厚くてとても立派だ。私は、帰国後日本でもらった教科書の中では美術の教科書が一番好きだ。全ページがカラーの写真になっていて、世界の様々な美術品の写真がたくさん載っている。パラパラとページをめくり、ただ眺めているだけで楽しい気分になる。高校生になった今でも勿体なくて捨てられず、本棚に置いたままになっている。よく見ると、教科書の表紙の隅に、小さな文字でこう印刷されている。「この教科書は、これからの日本を担うみなさんへの期待をこめ税金によって無償で支給されています。大切に使いましょう。」

 きっと私は、他の人よりも少しだけ、この言葉の意味を強く受け止めていると思う。それは、教科書を自分で購入するのが普通であったオーストラリアでの経験があるからだ。

 毎年当たり前のようにもらえる真新しい教科書。それらを購入するのには税金が使われているという事。この事を、私はずっと頭の片隅に置いておこうと思う。いつか私が大人になって、働き、税金を納めるようになったら、次の世代の子供達の教科書の購入に、その税金が使われているということを誇りに思いたい。

 もちろん、教科書に限ったことではない。私達の生活を支える様々なことに使われる税金。その税金を納めることは私達の義務であり、使命である。決して「払わされている」のではなく、「みんなの生活を支えている」と誇りに思うようにしたい。

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【題名】税金で支える持続可能な社会保障

【都道府県】兵庫県

【学校名・学年】神戸市立葺合高等学校 一年

【氏名】西村 真夢

 いつも私の事をたくさんの愛情でつつみ、大切にしてくれた祖母が認知症になった。穏やかな性格だった祖母が急に激しく怒ったり、同じ事を何度も言ったり、今まで出来ていたことが出来なくなった。私も母も、認知症だと分かっていても祖母の変わり様に頭も心もついていかず、ついきつい言葉を発してしまい自己嫌悪に陥った。祖母も自分はなぜこんな風になってしまったのかと傷ついていた。母は祖母の所から帰ると、いつもとても疲れていて「切ないね。」と言っていた。

 そんな私たちを救ってくれたのが介護保険制度だった。中でもケアマネージャーさんの存在は大きな心の支えとなった。現在祖母は、訪問介護、通所介護、福祉用具レンタルのサービスを受けている。デイサービスでは、折り紙をしたり、間違い探しをしたりと、とても楽しいようだ。母も祖母もこの制度のおかげでお互いを思いやることが出来、気持ちが楽になったと思う。しかしひとつ疑問が湧いた。「サービス」とあるが、それは無料なのか、有料なのか。これだけたくさんの人が関わり、たくさんの人が受けるサービスが無料だとしたら、この制度が成り立つ訳がないと思い調べてみた。

 利用者の自己負担額は一割から三割で、ほとんどの方が一割という少ない負担額で利用出来ていた。残りの九割は介護保険制度が負担していて、その財源は介護保険料から五十パーセント、国の負担が二十五パーセント、都道府県の負担と、市区町村の負担が十二・五パ−セントずつとなっていた。

 高齢化が進む日本では、年金、医療、介護などの社会保障費が増大していく事は明らかである。社会保障費の財源は、保険料が約六十パーセント、景気に左右されにくく、税収が安定し、働く世代など特定の人に負担が集中する事のない消費税が約四十パーセントだ。消費税が高いなど言えないと思った。現在、介護保険料の納付開始は四十歳と定められているが、今後三十歳、二十歳と引き上げられる可能性もあるし、利用者の自己負担額が増える可能性もあるだろう。日本の優れた社会保障制度を持続可能にするためには、自分にはメリットがないから納める必要がないという考えから、納税をする事で社会を支えるという考えに変えなければならない。

 祖母の介護に関心を持った事で、税金は「社会を支えてくれる重要な役割を担うもの」とさらに理解することが出来、これから自分が生きていく社会のあり方を考えるきっかけとなった。今は税に支えられている事が多い私だが、だれもが安心して暮らせる未来のために責任を持って税を納め、社会に貢献できる人材になりたいと思う。

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【題名】国際連帯税

【都道府県】広島県

【学校名・学年】広島県立広島高等学校 一年

【氏名】清水 極光

 「税金とは、国や自治体が社会を支えるために、国民や住民から徴収するお金のこと。」辞書で調べると、大体このような説明がある。私たちは、社会の基盤である福祉や公共サービスを支えるために、多くの種類の税金を集めている。そして、それらの税金は国や自治体の単位で徴収される。それが税金というものだと、私は思っていた。

 しかし、ある記事を読んで、私は税金の見方が大きく変わった。それは、JICA(独立行政法人国際協力機構)による、国際連帯税についての記事だ。国際連帯税とは、国際的な活動などに課税し、税収を発展途上国の開発資金に充てるという取組で、国際的な税のことだ。例えば、航空券連帯税というものがある。これは航空機を利用する豊かな人々から税金を徴収し、感染症に苦しむ貧しい人々の治療に充てるという取組で、フランスや韓国で導入されているものだ。それぞれの国で集められた税収はUNITAID(国際医薬購入ファシリティ)に入り、貧しい人々が治療を受けやすくなるように援助する。また、まだ実現はしていないが、発展途上国の開発資金調達のために、通貨取引開発税という、特定の通貨に関わる全ての外国為替取引に課税する国際連帯税も提唱されている。金融市場は電子化が進んでいるため、この税金は徴収しやすく脱税されにくいと言われていて、将来的には大変有望な取組だとされている。

 現在、様々な分野での国際化が進むなか、税金までもが国際化していると知って、税金は国単位のものだと思っていた私は、新たな視点に気付かされた。政治経済、環境問題など、私たちの生活に直結する様々なことが、すでに国際化しているという現実を踏まえれば、税金という社会の支柱が国際化しないで、この国際社会を支えていけるはずはない。環境問題や貧困、新型コロナウイルスを巡る問題などは、一つの国だけで解決できる問題ではないのだ。国際的に課税し、多くの国々が協力して問題解決に当たるしか方法はない。個々の国々ができることは限られていても、いくつもの国が団結すれば大きな力になるだろう。そのために、国際的な問題には国際的な税金で対応するのが、一番効果的で合理的だと思う。

 深刻化している環境問題を始め、世界は危機的な状況にある。私たちのために、そして地球に生きる未来の世代のために、今こそ国境を超えた税金の力が必要だ。国際連帯税で世界を変えられると私は信じている。だが、日本はまだその取組に参加していない。経済大国として、日本が国際連帯税を推進することには大きな意味があるだろう。将来、私が消費税以外での納税者になる時には、私のお金が国際連帯税を通じて世界に貢献できる社会が実現し、地球環境が改善していることを心から願う。

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【題名】世の中のエネルギー源

【都道府県】香川県

【学校名・学年】香川県立高松高等学校 一年

【氏名】坂東 真悠子

 税とは、世の中のシステムを動かすエネルギー源だと思う。例えば救急。我々は、救急車を調達するための資金を間接的に払う代わりに、もしもの時に命を助けてもらう。例えば警察。我々は間接的に警察官の給料を負担する代わりに、世にある危険を取り除いてもらっている。例えば公園。我々の憩いの場を作っているのは、我々の税である。つまり、この日本は税によって動かされ、税によって作られているといっても過言ではない。先にも述べた通り、この税というものは、石油や石炭と同じく、なくなっては日常が回らない、必要不可欠なエネルギー源なのである。

 実際私も、税によって動くシステムに助けてもらった。三年前、家族団らんの時、いきなり父の座っていた椅子が壊れた。腰を強打した父は身動きが取れず、私たちは突然の出来事に呆然とした。そんな状況を救ったのは、救急隊員であった。この方々には本当に感謝しかない。もしこのシステムがなかったら、と考えると、漠然とした恐怖が生まれてくる。

 だが、今の財政状況では、いずれこのエネルギー源は不足するかもしれない。国の歳入額のグラフによると、公債金、つまりこの国の借金は全体の歳入の約四十パーセントを占めており、また、歳出額のグラフによると約二十パーセントが国債費、すなわち借金の返済に充てられている。それに加え、度重なる大規模な自然災害や新型コロナウイルス感染症の拡大の対応により、国の財政的負担はさらに大きなものとなってしまった。このままでは、世界全体の化石燃料が底をつきつつあるように、少しずつだが確実に、我が国のこのエネルギー源は、我々の生活を守り、快適に暮らしていくためには不十分なものになってしまうのではないのだろうか。もしこの財政問題と、同じように少しずつ進行している環境問題が、同時期に、人間の生活が困難になるほど深刻化すれば、世は衰退の一途をたどっていくだろう。

 しかし、この問題は、決して解決できない問題ではないと私は思っている。そして、私が思う解決のための最善な道とは、エネルギー源として十分な税金を得るための税制度が国によって確立されることを前提とした上で、私たち皆が、課せられている納税の義務を全うすることである。これこそが一人一人にできる最善、かつ、最短な道であるはずだ。

 我々が守るべきは、未来だ。我々の行動は、未来に向けてあるべきだ。今日より明日、一週間後より一か月後、一か月後より一年後、十年後、百年後、過ごしやすい世界へ。美しい日本へ。少なくとも私は、次世代にわたる世界がより素敵に、次世代が背負うものがより軽く、なってほしいと願っているし、そのために行動したいと思っている。今、たくさんの人が同じ思いであることを、今後、今以上に増えていくことを、信じている。

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【題名】巡る力

【都道府県】福岡県

【学校名・学年】福岡県立城南高等学校 一年

【氏名】山本 朔弥

 私が今まで好きなように学校で勉強できたのは、「税」の制度があったからこそです。毎日安全な道を通ることが出来るのも、友達と公園で遊ぶことが出来るのも「税」があってこそ成り立つ日常です。

 「税」には二つの力があるのではないかと私は考えています。一つ目は、「平穏を維持する力」です。当たり前のように来るごみ収集車、夜に鳴り響くパトカーのサイレン、街中に設置されている防犯カメラ。これらは私達がより安全で快適な暮らしを営むことが出来るための支えです。この支えを形成しているものこそが「税」であると思います。私達が普段払っている税が地域全体の支えとなっており、その上に私達の平穏な暮らしが成立しています。

 二つ目は、「未来へつなぐ力」です。この力は、私達学生が一番実感しているのではないでしょうか。現在、私達が高校に通うことが出来ているのも「税」の力です。将来社会に有力な人材を育成するため、地域の伝統を受け継いでいくため、身の回りの方々が汗水流して働いて手に入れたお金の一部を私達に託してくれています。そのお金の一部が「税」です。私達には、この託された思いを未来へつなぐために勉強するという義務があります。そして大人になり納める立場となったら、「税」を未来への希望として次の世代に託していこうと思います。

 税は表面上「お金」というイメージがありますが、私はそうは思いません。私達学生に未来を託してくれる地域の方々の努力があって、それを継いでいく私がいて、それを支えるために公務員の方々がいる。それらが循環していくことによって、平穏で快適な私達の暮らしにつながる。これを動力として巡らせている力こそが「税」なのではないかと私は考えています。税は私達の暮らしを支えている、とよく言われていますが「支え」というよりも「暮らしを巡らせる力」なのではないでしょうか。この「力」こそが税の意義であり、「巡り」こそが税の役割だと私は思います。

 私が出来る最も身近な社会貢献は、税金を納めることです。十パーセントの税金が社会全体を巡らせる力として人の役に立ってくれることを願います。そして、これから大人になって実感するであろう「地域と税の結びつき」をより深いものとして考えることが、今の私に出来る社会への貢献です。これからの社会を担う私達が中心となって、明るい社会を形成するために必要な「税」の在り方をしっかりと学んでいきます。

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【題名】「いっちょまえ」ありがとう

【都道府県】鹿児島県

【学校名・学年】学校法人日章学園鹿児島城西高等学校 二年

【氏名】宮内 陽翔

 「ピッ。」

 気持ちのいい音が響きました。今日は、大好きな卓球の練習日。私は療育手帳を持っていて、鹿児島市発行の「友愛パス」を利用し、バスを二つ乗り継ぎ、約一時間かけて、練習場所の「ハートピアかごしま」まで「いっちょまえ」に一人で通っています。もう一年近く通っていますが、何度乗っても電子マネーの残高表示が0なのを見て、ほっとします。
 私は中学校から卓球部に入り、卓球を頑張ってきましたが、高校の卓球部には、男子の練習相手がいません。私みたいに療育手帳をもっていると、練習場所がないのかなあとあきらめかけていたとき、母から「ハートピアかごしま」という施設では、子供から高齢者まで、様々なハンディを持った人が様々なスポーツや活動を楽しんでいることを教えてもらいました。私は心が躍るような気持ちで、さっそく通うことに決めました。

 でも、困ったことがありました。それは、交通手段です。両親とも仕事をしているため夕方、私を車で一時間近くもかかる場所まで送ることができません。そんなときに知ったのが、「電子マネー残高0」の存在でした。私は、どうして、何度も無料で乗れるのか、不思議でたまりませんでした。

 そのとき、私に、母が教えてくれたのが、税金のことです。働いている人の給料からお金のおすそ分けをしてもらっていて、その税金は、困っている人やごみの始末など、生活を豊かにするために使われているそうです。隣で母との会話を聞いていた父が、
「今までは、勝手に給料から税金を引かれるし、思うことがあったよ。陽翔が生まれてから、様々な福祉サービスに助けられて、今では感謝しかないよ。みんなの税金の一部を使わせてもらっているのだから、陽翔も感謝の気持ちを忘れてはいけないよ。」と、私をしっかりと見て、優しい目で話してくれました。

 「ハートピアかごしま」も、税金で運営しているそうです。平日の夜や休日も、練習や大会、イベントがあり、車椅子の方、目が見えない方など、様々な方が楽しそうに集まって来ます。私は、ハートピアで友達ができ、卓球がますます楽しくなってきました。両親は、「陽翔もいっちょまえになったねえ。」と、一人で通えるようになった私を、自分のことのように喜んでくれます。私も自分に自信が付きました。そんな気持ちにさせてくれたのは、福祉サービスであり、税金のおかげです。

 今、高校二年生となり、来年の就職に向けていろいろと考えるようになりました。社会に出て働くことは不安ですが、仕事をして給料をもらい、そして私も、税金を払うのかなあと考えると、自分がお世話なった分の恩返しができるようで嬉しくなります。みんなが幸せになるために、税金は必要だと気付きました。社会に貢献できるように、もっと「いっちょまえ」の大人になれるように、残りの高校生活を充実させていきたいと思います。

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【題名】全世代から全世代へ

【都道府県】沖縄県

【学校名・学年】昭和薬科大学附属高等学校 二年

【氏名】北村 彩華

 消費税率が八パーセントから十パーセントに引き上げられた。このとき私は中学三年生。「自由に使えるお金が減る。」私が最初に消費税率引上げに対して抱いた感想だ。自分の目先の利益しか見えておらず「納税させられている」という感覚は否定できなかった。

 しかし私の税に対する考えは変わった。きっかけは父と母が私の住んでいる那覇市の待機児童対策の一角として保育園を開園したことだった。何気なく母に「開設の為の費用は誰が負担しているのか。」と質問すると税金だと言う。私は税について初めて興味を持った。この時頭を過ったのが消費税率引上げについてだった。引上げられるという事実は知っていたが、その経緯など詳細は一切知らなかった。私は税を知ろうともせずに文句を言っていたことをとても恥ずかしく思い、調べようと思った。

 消費税率引上げについて調べていると、消費税の増収分は全て社会保障制度のために使われていることを知った。社会保障制度は国の歳出の約三分の一を占めていること、また急速な少子高齢化によって増加し続けていること。この多額の費用を保険料や税金では賄い切れず、国債に頼っているのが現状だということも知った。このままでは将来の世代に負担を先送りしてしまう。そこで消費税の増収分を社会保障制度の拡充に充てたのだった。

 具体的な使途は何か。引上げ前の社会保障制度の中心は高齢者だったことに対して引上げ後は高齢者への支援をより手厚くすると共に待機児童の解消や保育の無償化、高等教育の無償化等に注力している。高齢者だけでなく子育て世代や若い世代にも使途が拡大したのだ。つまり、社会保障制度は「高齢者型」から「全世代型」へと転換したと言える。

 さらに消費税について調べると、景気の変化に左右されにくく税収が安定していること、働く世代など特定の人に負担が集中しないことなどの特徴があった。あらゆる世代が納めた税があらゆる世代の為に使われる。全世代から全世代へ。私が社会の仕組みに感銘を受けた瞬間だった。

 日本国憲法第三十条によると、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」とある。恐らく殆どの人は「納税は搾取」と感じているだろう。しかし本当にこのような考えのままでいいのだろうか。私はそう思わない。納税という行動は私たち一人一人が意思あるものにすべきだと考える。納税することで誰かを支え応援し、時には大切な命を救い、巡り巡って自分に返ってくるということを忘れてはいけない。

 私たちが日常の中で税と接する機会は少ない。税に対するイメージが偏るのも当然だ。しかし日本の未来を担う私たちはその責任を持って狭い価値観を打破し多角的な視点で税を捉える必要がある。私は税の意義を再確認し自らの意思で「納税」できる人になりたいと心から思う。

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