税の学習コーナー

税の学習コーナー税の作文(中学生・高校生)令和2年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

令和2年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表

国税庁長官賞

【題名】時を繋ぐ「税」

【都道府県】北海道

【学校名・学年】市立札幌旭丘高等学校 一年

【氏名】齋藤 麻里花

 夏休みに入って最初の日曜日、北海道胆振管内白老町に完成したアイヌ文化施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を家族で訪れた。忽然と現れた巨大な国立アイヌ民族博物館に驚き、美しいポロト湖に目を奪われた。国立民族共生公園では、民工芸品制作の実演を見て説明を受けたり、ムックリ(口琴)の演奏を聞いたりなどしてアイヌの歴史・文化を学び、日常では得られない興味深い体験をすることができた。

 帰りの車の中で、税の作文の話題を口にした私に父が、
「ウポポイは多くの税金を使用して建てられ、更に今走っている高速道路にも税金は使われているんだよ。」
と教えてくれた。早速調べてみると、政府はウポポイを約二〇〇億円かけて整備したそうだ。私は、その額の大きさに驚き、このことをきっかけに税の使い道に興味をもった。

 私たちが納めている税は、社会保障、地方交付税交付金、公共事業、文教及び科学振興、防衛等のために使われている。時間軸で分類すると警察、消防、福祉、医療、ゴミ収集などの「今」のための税。もしくは、公園、道路、博物館、図書館、学校、経済協力などの「未来」のための税に分けることができる。いずれも様々な目的で使われており、私たちの生活を支えてくれている。

 私は、納税の意味を理解しておらず、そもそも搾取されている気にさえなっていた。しかし、税の使い道について調べてみると、巡り巡って自分たちのために使われているということに気がついた。

 ウポポイにかかった費用は莫大であるが、ウポポイは「今」と「未来」のアイヌ民族を含めた日本の人々にとって、さらには、多様性を備えた海外の方々にとっても、アイヌの歴史・文化をより深く学べ、保護や創造を行える空間としてとても重要なものであるといえる。税とは、「今」と「未来」の架け橋でもあるのだ。

 今後、少子高齢化が進み、一人ひとりの税の負担は大きくなっていくだろう。だからこそ、「今」と「未来」のために税が正しく使用されているのかを見極め、税に対しての関心を持ち続けたい。そして、国民の義務だから納税するという受動的な考え方ではなく、税を納めるということは、自分たちのためだけでなく、「未来」のためでもあるという考え方で、能動的に税を納めていきたい。税の目的を理解することにより、納税者は納得して税と向き合えるようになると思う。

 私たちは税を納めることで、私たちやその子どもたちが住みやすい「今」と「未来」をつくっている。

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【題名】「中負担中福祉」の日本へ

【都道府県】岩手県

【学校名・学年】岩手県立一関第一高等学校 一年

【氏名】佐々木 望

 日本は「低負担中福祉」から「中負担中福祉」へと転換していく必要があると思う。

 現在、日本の租税負担の大きさを国民所得との比率で表した租税負担率は、先進諸国のなかで低いのに対し、社会保障給付費は中位に位置している。つまり、日本は「低負担中福祉」の状態であり、これは赤字の状態であることも意味している。納められた税金以上の社会保障を提供しているのだ。そのため、国の累積赤字は約一一〇〇兆円となり、これは赤ちゃんやお年寄りなど関係なく全ての国民が一人あたり約八七一万円の借金を抱えていることになる。このことから日本の財政は深刻な状況にあると言える。このまま国債が増え続ければ、歳入の多くを返済にあてなければならず、他のことに回すお金がなくなってしまう。そうなる前に改善が必要である。

 スウェーデンやフィンランドなどの北欧では「高負担高福祉」を取り入れているが、たくさん税金を納めることで出産費用や大学までの学費無料など手厚い社会保障を提供してくれるという仕組みである。しかし、これは今の日本には向いていないと思う。税率を急激に上げることは国民の抵抗もあり、無理矢理そうしたとしても購買意欲も下がり景気も悪くなってしまうと思う。逆にアメリカのような「低負担低福祉」も「二〇二五年問題」が騒がれている日本には向いていない。税金の負担は少ないが社会保障はあまり充実しておらず、自己責任社会で、日本では税金でまかなってくれている救急車の利用も多額の料金を請求されるため、救急であっても利用を拒否する人もいるという。高齢社会で医療や介護のニーズがこれからもどんどん増えていくのに社会保障があまり提供されず、多額の医療費などを負担しなければいけないのは、収入も少ない高齢者にとって厳しいと思う。したがって、その中間である「中負担中福祉」を目指していくことがいいのではないだろうか。税率を上げることに国民の抵抗があるかもしれない。しかし、今の日本の社会保障を推持し、財政破綻を招かないためには必要なことであり、政府は国民にしっかりそのことを理解してもらえるように情報を発信していくことが大切だと思う。

 政府は負担と給付のバランスがとれた社会を目指していってほしい。また、日本を守っていくためには、国の借金は国民の借金であること、つまり国民一人一人が借金をかかえており、決して他人事ではないのだという意識を持つことが大切だと思う。特に、日本の未来を担っていくのは私たちの世代なのだ。後の日本の未来が明るく、子どもたちに負担をかけず、過ごしやすい社会にするためには、私たちがこの問題としっかり向き合い、解決策を考え、解決を先延ばしにしないことも、大切ではないだろうか。

 私もこれからさらにこの問題について深く考え、また、他の今まで目をそらしてきた様々な問題とも向き合っていきたい。

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【題名】一人の少女が教えてくれたこと

【都道府県】埼玉県

【学校名・学年】さいたま市立浦和高等学校 三年

【氏名】木 星南

 夢を思い描けるということ。この素晴らしさを、どれ程の人が知っているのだろうか。

 二年前、私はオーストラリアを訪れた。現地ではホームステイや学校訪問を行い、非常に貴重な経験を重ねることができた。私には、この旅の中で、今でも忘れられないことがある。それは、ステイ先で出会った11歳の少女、チャーヤの存在だ。

 インドで生まれたチャーヤは、数年前に養子として、オーストラリアに遣って来た。偶然にも、私のステイ先となる家庭に引き取られ生活していた。私達は直ぐに意気投合し、何時しか、本当の姉妹の様な関係を築き上げていた。そして、滞在も終わりを迎えようとしていたとある夜、チャーヤは私に、自身の夢について話をしてくれたのだ。

 嘗てのインドでの生活は過酷で、彼女に夢など無かった。いや、夢を抱く行為自体を知らなかったのだ。国からの援助も乏しく、教育や医療を受けることもできない。今日を生きるのに必死で、明日を想像することさえもできない。しかし、安心して充実した教育を受けられる今、毎日が本当に幸せだと言う。学ぶことの楽しさを沢山の人に伝えたい、そんな大きな夢があることを教えてくれた。私より幼い少女の口から出てくる力強い言葉に対し、胸が張り裂けそうな思いだった。

 日本で生まれ育った私は、今まで充実した教育を受けてきた。急速に進む少子高齢化に加え、新型コロナウイルスの影響が日本経済に爪痕を残す中、私達の学びが、様々な方が納めた税金から成る国の多大な支援により支えられ、守られ、豊かで有意義なものとなっているのだ。そして、私達は学ぶことで自然と未来の自らの姿を思い描くことができ、その姿に近づこうと努力している。過去の私は、将来の夢を上手く思い描けず、焦りや苛立ちを感じることさえあった。しかし、チャーヤの話を聞き、私に与えられた環境が如何に恵まれたものか、夢を探そうと必死になれることが如何に幸せなのか強く思い知らされた。又、それまでこの環境を、何処か当然の如く受け入れていた自分が本当に情けなかった。

 高校生の私は、教育に限らず、日常の至る所で税金の恩恵を享受している。今日の日本があらゆる社会問題を抱えているのは事実だが、国民の税金への無関心さと否定的な態度が齎すものは、これらの問題の深刻化に過ぎない。これからの未来を背負うのは、この私達なのだ。与えられた環境への感謝は勿論、次世代を担うことへの自覚、又、新たな未来を創造していくことへの責任感を持ち前進することが、社会から託された私達の使命だと考える。だからこそ、私自身が国内外で起きている様々な事象に目を向け続け、精一杯学んでいきたい。そして、納税の義務を果たすことで、誰もが夢を抱き努力できる環境の提供に貢献する大人でありたいと強く思う。

 灼熱の太陽が照らす下で、奇跡的に出会った一人の少女が私を大きく成長させてくれた。

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【題名】税の恩恵

【都道府県】山梨県

【学校名・学年】山梨県立日川高等学校 三年

【氏名】谷口 杏奈

 私の祖父は「特発性肺腺維症」という難病と闘っている。この病気は、肺胞を包む組織の間質が線維化して縮み、呼吸不全に至る厚生労働省の指定難病だ。現代の医学では、完治の期待は薄く、今ある肺の機能を維持し、症状の進行を遅らせることに重きを置いた治療を、長期的に続けていかなければならない。祖父の服用する薬は一錠数万円の高価なもので、本来であれば生活が困窮するほどの医療費を負担しなければならない。しかし、難病法に基づく特定医療費助成制度により、医療費用の多くは助成金によってまかなわれている。その薬を、祖父は必ず「ありがとうございます。感謝しています。」と呟いてから服用している。私は、多くの納税者の方に人知れず謝意を示す祖父を見るたびに、とても温かい気持ちになる。

 「税とは搾取されるもの」そのようにイメージされる方は多いのではないだろうか。しかし、私達の暮らしは、非常に多くの税の恩恵に預り支えられている。

 身近なところでは学校の机や椅子など目に見える全ての備品や校舎、道路、交通標識、病院診療や薬など様々な補助の下、平穏な高校生活を送っている。安全な生活を守るためにある警察や消防、文化的な生活を送るための図書館、健全な生活を送るための公共施設など、税の支えによって、平等で健やかな日々を過ごすことができている。他には、日々排出されるゴミの処理や、高齢化社会においての福祉事業、環境保護活動などにも税金が使われている。これらを総合的に考えると税金は、私達の暮らしだけでなく未来においても、必要不可欠で重要な役割を果たしているのではないか。

 このように、税金は立場の弱い人のみならず、全ての人が様々なサービスを享受する仕組みを整えている。それでも「搾取されている」と感じてしまうのはなぜだろう。

 私達は日常、色んな物を見ているようで、その実特定のものしか見ていないのではないだろうか。興味のあることのさらに共感できそうなパーツを断片的に切り取り、それを自分の理解可能なものに変形してしまうのは、自分の狭い価値観や世界観を強固にしていく効果しかないのではないか。

 私は、多くの人に静かな気持ちでもう一度周りを見渡して欲しいと考える。そこは、きっと税の恩恵で溢れている。そして、今日も祖父の優しい笑顔に出会えたことを、納税者の皆様に深く感謝すると同時に、いつの日か私自身が正しく納税し、社会に貢献したいと思う。

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【題名】祖父との経験から考えたこと

【都道府県】石川県

【学校名・学年】石川県立金沢泉丘高等学校 一年

【氏名】河合 紗弥

 昨年、祖父が認知症になった。祖父は私が幼い頃に祖母を亡くし、かれこれ十数年、一人暮らしをしている。そんな祖父の認知症。私は不安で仕方がなかった。周りに誰も祖父の行動を抑制できる人がいなかったことから、祖父の健康面及び認知症特有の症状を考えると先が思いやられた。なかでも一番負担が重かったのは母で、祖父の安否を確認するため、毎日祖父に電話をかけ、仕事が休みの日は祖父の世話のため、片道四十分、祖父の家まで車を走らせた。しかし、祖父の症状は日に日に悪くなっていくばかりだった。

 そんな我が家に兆しが見えたのは、祖父が介護保険制度により居宅サービスが受けられることが決まった時だった。居宅サービスとは介護が必要な高齢者が自宅に居ながら受けられるサービスを指す。実際に、祖父はそのサービスのお陰で、週に二回、デイサービスセンターを訪れて介護サービスを受けられるようになり、また、週に一回、祖父の家に訪問看護員が訪問し、身の回りの世話を行ってくれるようになった。祖父はこれらのサービスによって以前よりも活発になり、電話越しの母との会話でも、出来事を鮮明に覚えていることが多くなったそうだ。介護保険制度は祖父の介護を細やかに行ってくれたと共に、祖父に、再び社会と関わるきっかけを与えてくれた。

 私はそんな介護保険に強く関心を示した。そして、調べていくうちに介護保険制度と税との間に強い関わりがあることを知った。介護保険制度の財源の五割は、被保険者が納めている保険料だが、残りの五割は税金からきているそうだ。つまり、私の祖父は税金に大きく支えられていたのだ。二〇一九年の十月から学生の私にとって最も身近な税である、消費税が十パーセントになり、憂鬱な気分になっていた私がなんと浅はかだったかを思い知らされた。高齢による障害や不都合は避けては通れぬ道だ。そんな時、税金は高齢者に再び生きる希望を与え、高齢者を支える家族の大きな力添えとなる。今回の経験で、私は税金に対する見方が激変した。私もいずれ、祖父のように税金に大きく助けられる日が来るだろう。その日まで、私は一日本国民として納税に励み、後世にも税の重要性を示していきたい。

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【題名】税金は優しさに姿を変える

【都道府県】愛知県

【学校名・学年】名古屋市立名東高等学校 一年

【氏名】両角 優衣

 私はこの春、高校生となったが、これまでと変わらない生活を送ると思っていた。しかし、一夜にして一変した事がある。それは、税金だ。高校生となり、医療費を支払ったことで税金を身近に感じる様になった。高校の授業で必要な教科書も、自分で教科を選択し購入する。中学に比べ数が増えたとはいえ、あまりにも高額で驚いた。同時に、今まで税金で支払われていた事に改めて感謝した。それから私は、身の回りで税金が使われているものに目が行く様になった。私が登下校に利用するコミュニティーバスの利用料金は、たったの百円。そのバスは、歩行者用と車用にきちんと区分けし、舗装された道路を走る。すれ違う消防車や警察車両は、私達の安全を日夜守り、救急車両は、かけがえのない命を救ってくれる。朝、見かけるゴミ袋の山は、収集車が綺麗に回収してくれる。私達が普段何気なく送る快適で安心な生活は、全て税金があるからこそ成り立っているのだ。

 私は、税金を身近に感じ、ありがたみを知る出来事があった。それは、私が通う高校の階段に取り付けられた手すりである。私は少し骨が弱い為、怪我のリスクがある階段の昇降を避けてきた。しかし、入学した高校に、エレベーターやスロープは無く、手すりも階段の一部にしか無かった。その為、学校の先生方は、私が安心して高校生活を送る為に、何ができるのかを熱心に聞いて下さり、車椅子用の階段昇降機を用意して下さった。これは、市の教育委員会が高校に貸出をしてくれる物で、税金でまかなわれているものだ。そしてその後、真新しい手すりも、全ての階段に設置された。もしも、納税者がいなかったら、昇降機の購入や貸出はされず、手すりも取り付けられず、私は不安の中、高校生活を送ったに違いない。私は、目に見える形で、税金がもたらす、安心・思いやり・優しさを肌で感じる事ができたが、福祉や医療、教育など形が見えにくい事に使用される事が多いので、一時的に見れば、自分のお金を失う様に思うかもしれない。しかし、人と人とが支え合いながら生きる私達の社会では、どこかの誰かの未来を思う優しさが、税金という形で集められ、そして、それが自分の元へ戻った時、何らかの形で恩恵を受けるのではないだろうか。この手すりには、納税者一人ひとりの「誰かを思う優しさ」が込められているのだ。しかし、優しさに甘えるだけで終わってはならないと思う。きちんと税の知識と必要性を知り、納税という義務をきちんと果たすことが、納税者への恩返しとなるのではないだろうか。そうすることで、初めて私達は、大人への新しいスタートラインに立つことができる気がする。

 私は、今日も、自分の可能性を信じ、自分の未来を作る為に、友達の待つ教室へと向かう。納税者の方々の「手すり」という優しさに姿を変えた税金に支えられながら。

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【題名】優しさのバトン

【都道府県】和歌山県

【学校名・学年】和歌山市立和歌山高等学校 一年

【氏名】黒木 碧

 「税込価格を見ると、どうしても気分が下がっちゃうなぁ。」私は買い物をするとき、いつもそんなことを思っていました。だって、一緒に表示されている税抜価格の方が安いし、安い方を見ると安い方で買い物をしたくなってしまう。「なんで消費税ってあるんだろう?消費税が無くなっちゃえば、食材を買ってくれているお母さんやおばあちゃんの負担も少し減ると思うんだけどな。」私は小さい頃、こんなふうにも思っていました。

 税がどんなことに使われているのかよく知らず、税の必要性をあまりよく分かっていなかった私ですが、消費税含め、税金についての資料を見てみると、税金は医療や上下水道の整備、ゴミ処理費用など、私たちの生活に必ずと言っていいほど関わってきているものに使われているほか、被災地の復旧など、例え自分に直接関係していなかったとしても力になりたい、力になりたくても自分の力ではどうにもならないこと、例えば仮設住宅の建設にも使われており、このことを知った時、もちろん、今税金を払って日本を支えてくれているのは、自分の両親や先生たち大人だけど、私も自分の買い物をする時に払う消費税でほんの少しでも被災地で頑張っている人たちや、自分の周りにいる大切な人たちの力になれているような気がして、なんだかうれしくなりました。

 税金は、自分や自分の周りの人たちの普段の生活や、災害などに巻き込まれた時の生活を支えてくれる、かけがえのないもの、だということは確かですが、それだけではなく、私は、税金が、「仕方なく」「義務だから」払われるものではなく、自分の大切な人や、今どこかで困っているだれかのために払うような、だれかに対するおもいやりのつまった「優しさのバトン」みたいなものになればいいなと思います。今、世界中で流行し、多くの人を苦しめている新型コロナウイルスですが、この状況下にいる人たちを少しでも笑顔にしよう、元気づけよう、としてくれている人や団体のことが報道され、その報道を見て暖かい気持ちになったり、自分も苦しんでいる人たちを少しでも助けたいと思ったり、いろいろな人たちの優しさや思いやりによって公開された雑誌やライブ映像などを見て、笑顔になれたり、元気をもらった人はたくさんいると思います。私も、笑顔と元気をもらった人のうちの一人です。こんなふうに、優しい気持ちが人から人へ伝播していく、そんな「優しさのバトン」が税金という形でも、つながっていったら、とても素敵だなと思います。

 私が今払うことのできる税金は、買い物をした時の消費税くらいで、今の私の生活にかかる税金は両親が払ってくれていますが、自立して、自分で自分の税金を払うようになったら、そのときは、私も「優しさのバトン」をつないでいけるように、税金を払っていこうと思います。

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【題名】消費税見直し提案

【都道府県】岡山県

【学校名・学年】学校法人第一原田学園おかやま山陽高等学校 一年

【氏名】木村 加奈

 お盆明けの朝、テレビで国がコロナウイルスの影響で消費税を上げる検討をしていることについての番組が目に入りました。それを見た時、私は「また買い物が大変になるなあ」と感じました。私の一年間に使えるお金は、お年玉と月々のお小遣いです。毎年八月頃になると、財布の中身がだんだん寂しくなってきているので余計にショックでした。消費税は昨年の十月に十パーセントに上がったばかりなのに、なぜ税率を上げるのでしょうか。そして、私達は税についてどう考えなければならないのでしょうか。

 今年の財政支出がコロナウイルス給付金の支払い等で百兆円から百六十兆円に増えたそうです。しかも、財源は国債という借金に相当頼っており、国債残高は九百兆円以上にもなっています。国民一人当たり七百万円以上の借金をかかえている計算になるようです。コメンテーターの中には、消費税引上げに反対と言っている人がいました。逆に「消費税を引下げ、消費意欲を高めて景気回復させた方がよいのでは」とも言っていました。私はその夜、両親にもこの件を話して意見を聞いてみました。父は消費税は社会保障関係にほとんど使われるのだから、年金、医療、介護、教育と我が家にも関係が深いし、買い物で納税に協力できるので税率引上げは賛成と言っていました。母は欲しい物を買わずに我慢するようになるので、反対と言っていました。三人家族の我が家でも意見はバラバラなので、国民全体の意見を一致させるのは大変だろうと思います。だから税金のことを考える時、私は日本全体を一つの家族に想定して考えることが必要だと思いました。一億二千万人の家族の一人一人の状態は、もちろんそれぞれ違います。元気がある人、病気で寝たきり状態の人、乳幼児、学生、勤労者、老人、裕福な人、貧困な人などいろいろな人がいますが、みんなで助け合って生きていかなければならないのです。元気な人は働く、勉強したい人は誰でも勉強できる、病気にかかった人は安心して治療ができる、国の宝になる子どもも、産みやすく育てやすい国にしていく、老人にとっても生きがいを持って暮らせる、そういう日本の家族になれるように税金のことを考えていきたいです。

 日本家という一つの家族が未来に向かって生き続けるためには、自分のことだけ考えるのではなく家族全員のことを考えるべきです。だから私は、外国に比べても低い税率の消費税を上げることに賛成です。そして私は、お小遣いの無駄遣いをしないようにし、計画的にお金を使って少しでも消費税に協力したいです。コロナ禍、税金のことを国民みんなでよく考えましょう。

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【題名】幸せを運ぶ税

【都道府県】徳島県

【学校名・学年】徳島県立脇町高等学校 一年

【氏名】田村 友理恵

 教科書にお金を支払う。高校生となった私は初めてその行動をした。今まで義務教育の期間を過ごしていた私は教科書にお金を支払う必要がなかった。それは、税金が私たちの代わりに負担してくれていたからだ。今まで当たり前のように無償で受け取っていた教科書。しかし、そこには、多くの人々の思いの詰まった税の存在があったことを身にしみて感じた。私は改めて、税に感謝する気持ちが芽生え、税に支えられた生活をしていることに気づいた。その一方で、これから税に支えられることはなくなると思っていた。

 そう思っていた時目にした「高等学校等就学支援金制度」の文字。この制度は国による授業料支援の仕組みで全国の約八割の生徒が利用している。公立の高等学校に通う生徒であれば年額十一万八千円もの支援が受けられ、家庭での授業料負担はなくなる。税金によって支援されているこの制度を知り、私はとても驚いた。また、税金に負担してもらっている高校生一人あたりの一年間の教育費は約九十万八千円にもなる。義務教育の期間を卒業した私も、税に、社会に支えられているのだ。私には最近、税の大切さや素晴らしさを実感した出来事がある。その出来事とは四月に発表された緊急事態宣言により、私たちの生活が一変した時のことだ。

 学校は約二か月ほど休校となり、一日の多くを家で過ごす日々が続いた。今まで休日にはよく行っていた図書館も休館。今思うと、図書館で無料で本を借りることや図書館内で快適に過ごすことができる環境が整っているのは税金があるからだ。公共施設にも多額の税金が使われていることを私たちは知る必要があると強く感じた。長く続いた緊急事態宣言は私に、学校へ行くことの楽しさや幸せさとともに、税があることの重要性を教えてくれた。税は私たちの生活に必要不可欠なものとなっているのだ。この自粛期間は私たちに税について考えるよいきっかけを与えてくれたのではないだろうか。

 私は今税に助けられながら生きている。もし、税がなければ、今の私の幸せな日常はないだろう。その中で私に今できることは一生懸命勉強することだけではなく、税について知ることだと思う。税には「社会のために」と働いて納めた人々の気持ちが込められている。そこには未来を担う私たちへの期待の気持ちもあるかもしれない。私たちはその思いによって学習できる環境があることを自覚することが必要だ。そして将来必ず、税に社会に恩返しをできる人になりたい。そのためにも、社会に自分自身が参加することが初めの第一歩だと思う。二年後には選挙権が与えられる私は選挙の重要性も学んでいかなければならない。明るい未来のために税は欠かせないものだ。私たちに幸せを運び届けてくれている税。その存在と共に生きていることを忘れず、より良い社会を築くことのできる人に、社会に貢献できる人に、私はなりたいと思う。

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【題名】地震と税金について

【都道府県】福岡県

【学校名・学年】福岡県立八女高等学校 二年

【氏名】樋口 みさと

 あの日、私は税金に対する捉え方が変わった。私が中学生になって間もない頃に起こった、熊本地震。

 一瞬にして、私の日常は奪われた。余震が何度も私達を襲い、ビクビク怯えながら近所の人達と同じ車の中で夜を過ごした。朝、目を覚ますと家は半壊、近くの木々は倒れ、道路には見たことのないすさまじい亀裂が入っていた。あの一瞬で全てが壊され、うまく泣くことも出来なかった。何も食べる物がなくて、体育館に行ってみると、給食支援や給水支援が行われていた。私はそのご飯を有難く頂いた。体育館には大量の物資も運ばれ、私以外にも、笑顔になっていく人々の顔をたくさん見た。そして私は、福岡にある祖父母の家へ向かった。

 当時は、恐怖心や驚きなどの負の感情に支配され気づかないでいたが、税金によって支援を受けることが出来たと気づいた。思い返せば、数えきれない程の自衛隊の人々、警察官などが、私たちの安全を守ってくれていた。何ケ月か経つと家の瓦礫は撤去され、倒れていた木々は無くなり、道路は綺麗に元通りになっていた。これだけのことをするのにいくらかかったのかと考えると税金を納めてくれた人達に頭が上がらない思いになった。道の瓦礫が撤去されたおかげで、安全に歩けるようになり、道路が工事されたおかげで事故を起こすことなく渡れるようになり、周りに笑顔が広がった。普段何げなく払っている税金が間接的に私達に援助された喜びは決して忘れない。

 税金は取られるものではなく、未来を良くするための投資。税金があることによって、日本をよりよくする手助けが出来る。税金のない世界はきっと、冷たく誰の力も借りることは出来ないだろう。近年は、地震や豪雨などの災害に加え、新型コロナウイルスにより、税金が使われる場面をよく目にするようになった。マスクの配布が、税金の無駄遣いだと批判している人もいるが、私はそうは思わない。失ったお金以上に、人々の幸福が満たされたからだ。税金の力は偉大である。

 

 これから年をとり、社会人になり家庭を持つようになると、支払う税金も増加してくる。なので私は、支払うべき一つ一つの税金が何に使われ社会の役に立つのか理解しながら、納めていきたいと思う。それが私達、日本人の務めだと考える。全ての人が幸せになれるような国づくりを国民で進めていくことが大切である。

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【題名】お金の意味から考える税の意味

【都道府県】大分県

【学校名・学年】学校法人平松学園大分東明高等学校 一年

【氏名】佐藤 史織

 税について考える前に、まずその媒体であるお金について考えてみたい。私は個人的にあまりお金というものが好きではない。その理由は、お金で測られる、もの・人の価値(市場価値)がどこか自分にとって信頼できないせいだと思う。コロナ禍でのマスクの値段のように、同じものでも時と場合によって市場価値は大きく変わる。市場価値が本来的にもつ不安定さゆえに、それをものや人の価値を図る絶対的な指標として見るのには、私は抵抗を感じる。

 そんな私だが、このコロナ禍の中で、それまで自分が気付いていなかったお金の意味について知る機会を得た。外出自粛やイベント中止などで、多くの人が経済的に苦しい状況に置かれた。そんな折、ある新聞で「自分の使ったお金がどんな人の生活を支え、どのように社会に影響を与えているのかを考えよう」という記述を見かけた。使ったお金で自分がどんなものやサービスを得たか、という自分の損得を中心にした視点だけでなく、それがどのように社会を巡っているのかを考える。お金は人々をつなぎ、それを介して人々がお互いを支え合うものだ、という考え方をすれば、私もお金にポジティブな意味を見いだせる気がした。もしかしたら外国でのチップの習慣もこうした考え方によるものなのかもしれない。自分の使ったお金は誰かの生活を支えている。その「誰か」をはっきりと意識させるのがチップの授受なのではないか。

 税の意味についても、これと同様の考え方ができると思う。自分が払った税金は、さまざまな形で、自分のため、誰かのために使われる。自分の負担した税金が、どう使われ誰を支えているのかを知り想像することは、税について建設的に考えるために効果的だ。そういう視点を欠くと、ただ野放図に「税金が高い」というような不満を漏らすばかりになってしまう。現代の民主社会での税は、封建社会の年貢や小作料とは全く別物なのに、それと同じように感じてしまう。現代の徴税主体は、昔のそれとは違って税を自ら消費することはなく、集めた税を再び社会へ送る、いわば心臓のようなものだ。心臓は血液のポンプとして、全身から集まった血液に酸素を付与し、動脈へ送り出す。国や自治体は、税金を集め、そのお金に役割をもたせて再び、全ての人の元へ送り出す。しかも、その動脈の張り巡らせ方は、納税者の意思で決まる。「税金が高い」という愚痴ではなく、その動脈の張り巡らせ方を考えるほうが、必要で重要な議論だ。

 お金は、人々がお互いを支えあう一つの手段であり、税はそんなお金を循環させる心臓のような仕組みだ。お金や税について考えるとき、その額にばかり注目するのではなくて、自分の使ったお金、納めた税が、誰を支えているのかに思いを致すのが、とても重要で、本質的なことだと思う。

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【題名】税に支えられる兄の横で

【都道府県】沖縄県

【学校名・学年】沖縄県立球陽高等学校 二年

【氏名】米川 太陽

 国民には三つの義務がある。教育の義務、勤労の義務、そして、納税の義務だ。税を納めることで、国を通じて顔も知らない誰かへ幸せを届けられる。また、その誰かは自分や自分の周りの人かもしれない。

 「面倒、払いたくない」税に対してそんな声をよく聞く。私たち中高生にとって税金は、身近にあるけど遠い存在だ。税金は何のために払うのか、どう使われるのか。私たちは税金の行方を知らない。

 私たち中高生の身近にある税金の行方。それは、道路や公園だ。中高生と言わず、恐らく、国民がもっとも身近と感じるものであろう。では、その他に税金は何に使われているのか。国税庁のホームページには、救急車や警察、上下水管の整備に使われているとあった。しかし、私にはこの他に、知ってほしい税金の行方がある。普通に過ごしてて知らないであろう税金の行方。けれども、私にとって身近な税金の行方を。

 私の双子の兄は生まれつき重度の知的障がいがあり、自閉症も患っている。そのため、上手く会話をすることができず、意思疎通が取れないことも多々ある。私が税を知ったきっかけ。それは、そんな障がいを持つ兄と母とで兄の登下校用の靴を買いに行った時だった。買う靴も決まり、母とレジに向かう。その時、母が領収書をもらっているのが見えた。「なんで領収書もらってるんだろう」そんなことを考えていると、母が説明してくれた。母の話によると、学校で使う靴、筆箱、リュックなどは県から税金によって金銭的支援を受けることができるらしい。私はこの時初めて知った。一緒にいたこの十余年、兄がずっと税金に支えられていたことに。また、それと同時にこんなことに気づいた。税金は、私の想像よりももっと身近に寄り添っていたことに。

 私は、障がいを持つ双子の兄と共に生きてきて、何百人もの障がいを持った人を見てきた。生まれつき足が不自由で、車椅子で生活を送る子、耳が聞こえない子、脳の発達が遅い子、お腹にチューブを繋いで栄養を取る子。この子達は多くの場合、学校とは別でデイサービスに通うため、毎月の支払いで、障がいを持つ子の家族は困窮することが多い。しかし、税金があることで様々な支援を受けることができる。学習用具の支援、生活費の支援、環境の支援など様々な金銭的支援が税金によって行われている。それだけではない。最近では、公園のバリアフリー化がどんどん進んでいる。これも立派な税金のおかげだ。

 私は障がいを身近に感じている一人だ。そして私は、障がいを通じて、税金を身近に感じている。私たち一人一人に税金を身近に感じる機会がきっとあると思う。私はその機会を逃してはいけないと思う。国を通じて、税金を通じて、自分や、周りの人に幸せを届けられる。このことを私は、税金を払う度にきっと、想い出す。税に支えられる兄の横で。

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