営業税法施行直後には、各地で様々な営業税反対論が展開されました。営業税法では、課税標準を営業収益ではなく外形標準としていたため、営業者が申告した売上金額などが不相当と認められた場合には、税務署は収入金額を調査しました。
 しかし、営業税の課税にあたっては、収益金額の変動と外形標準額が一致しないなどの理由で不公平感が生じていました。こうした中、大正3年(1914)には憲政擁護運動のもとで大規模な営業税廃止運動が展開され、この年に営業税調査委員会制度が導入されています。
 このような背景の中、大正15年(1926)の税制改正により、営業税は、営業の純益に課税する営業収益税となりました。

営業税調査委員選挙運動用チラシの写真

営業税調査委員選挙運動用チラシ
大正12年(1923)6月10日

 この候補者は、下谷納税組合協会の公認を受けて立候補しており、チラシの中で納税者の負担を軽減することをうたっています。

営業収益税施行初年に当り之が申告に就ての写真

営業収益税施行初年に当り之が申告に就(つい)て
昭和2年(1927)2月5日

 営業収益税法施行の初年に藤沢税務署が作成したチラシです。納税者に誠実な申告をお願いするとともに、申告に関して不明な点や税法上の疑問があったら税務署まで遠慮なく問い合わせるよう書かれています。

営業税のその後

 営業税は、大正15年(1926)の税制改正で営業収益税となりました。その後、昭和15年(1940)の税制改正で営業収益税は、地方営業税とともに営業税となりました。さらに営業税は、同年に創設された地方分与税制度により、地租・家屋税とともに道府県に分与(還付)されることとなりました。営業税は、昭和22年(1947)の税制改正で地方に移管され、翌年に現在の事業税に受け継がれています。