郡村地券用紙には、費用節減のため、その地方で入手できる耐久性のある用紙の使用が指示されました。そのため府県により大きさや紙の原料などは様々ですが、地所の所在や所有者、地目・面積・地価などの記載内容は同一です。しかし地券1枚に複数筆の記載があるものや、地代の脇に石高が記載されているものもあります。

明治5年(1872)地券請書之事

 柏崎県からの地券調査期限を厳守する旨の栃ヶ原村(現在の新潟県高柳町)の請書。村では地券調べの担当者を決めて準備調査を行いました。

明治5年(1872)地券田地改下帳

 栃ヶ原村(現在の新潟県高柳町)の田地下調べ帳。字ごとに一人別の田の枚数と面積の合計が記載されています。

明治5年(1872)地券調二等附属兼務辞令

 地券発行にあたり、大蔵省は府県の地券取調人員の定数を定め、さらに郡単位で村役人などから地券取調附属を任命しました。

明治6年(1873)地券証印税領収書

明治6年(1873)地券証印税領収証

 地券の新規発行や書き換えには、地価や発行枚数に応じた地券証印税が必要で、府県の地券発行費用に充てられました。度会県(現在の三重県)が村にまとめて発行したものです。