江戸時代の村は、主に本途物成という税を領主に納めていました。本途物成は、原則として米で納められていましたが、入間村では、商品経済の発展に伴い、江戸時代の途中から金に換算して本途物成などを納めていました(=石代納)。
 江戸時代の村では、本途物成の他にも田畑以外に課税される小物成、また村によっては商工業に課税される運上・冥加を納めていました。入間村の場合には、漆・年貢皆済目録・薪に対して小物成が課税されており、この他天保12年(1841)からは、酒造冥加を納めていましたが、いずれもあまり高額ではありませんでした。
 また、江戸時代の村では、毎年領主から「年貢割付状」で年貢の額、種類が通知されました。そして、年貢をすべて納め終わると領主から「年貢皆済目録」が出され、年貢を確かに受け取ったことが通知されました。入間村でも、年貢の課税・納入の手続きはすべてこうした文書で行われていました。

入間村が一年間に納めた年貢など

慶安3年(1650)入間村寅御成ヶ可割付之事

 この年の入間村の年貢の税率は、50パーセントで、35石余りが免除になっていました。入間村では、この年には本途物成を米で納めていますが、これとは別に漆・入間村のおさめた年貢・薪などにも課税されています。

弘化3年(1846)去巳御年貢割賦本郷枝郷仕分取調帳

 入間村の幕府領は、本郷と枝郷で分かれていました。しかし、幕府の代官に年貢を納める時には、「入間村」として一緒に年貢を納めていました。これは、入間村で納める年貢を本郷と枝郷で分ける際に作られたものです。

宝暦3年(1753)羽州村山郡入間村明細指出帳写

 入間村が、代官の役所に提出した「村明細帳」の写しです。「村明細帳」の書式は、代官によって指定されていましたが、入間村では、村の様子を代官に報告するため、定期的に「村明細帳」を提出していました。