明治時代以降、政府は江戸時代の税制から近代的な税制に改めました。
 明治時代の国税の中心は、土地に課税される地租で、地価をもとに全国一律の税率で税額を決定しました。その一方で、大規模な災害などの場合には個別に特別減税が行われ、その後全ての災害に対して統一的に減税が行われるようになりました。また、地租を納める納税者からは、度々救済や改正を求める要望が出されました。
 明治22年(1889)に制定された大日本帝国憲法では、国民に請願の権利が認められ議院法に基づき国民は議員の紹介によって請願を行いました。これにより、明治23年に帝国議会が開設されると、議会に国税に関する請願が出されるようになりました。請願の内容は必ず実現するとは限りませんでしたが、請願によっては請願後にその内容が実現するものもありました。

地租延納年延願
明治21年(1888)9月14日

 北足立郡膝子村(現埼玉県さいたま市見沼区)の地主惣代が明治14年から28年まで15ヶ年賦の所、21年より5ヶ年年延にしてほしい旨を埼玉県知事に願い出ています。明治21年11月28日に県知事から許可が出ています。

潮風被害地租特別所分之義ニ付請願
〔明治33年〕(1900)

 静岡県富士郡田子浦村(現富士市)他静岡県3郡18ヶ町村は、本年9月28日潮風のため田畑に非常の災害を被ったことにともない、明治33年度田租納入の義務の特免を衆議院議長片岡健吉に請願しています。

災害収穫皆無免書類
明治35年(1902)9月

 埼玉県の杉戸税務署(現春日部税務署)管内の町村が、明治34年の法律第27号(水害地方田畑地租免除の件)に基づき、明治35年8月20日の水害により収穫が皆無となった土地の地租の免除処分を東京税務管理局長に願い出ています。

 

地租免除の一例

地租軽減ノ請願
(「非地価修正会諸書類」より)
明治24年(1891)2月

 これは、新潟県で出された地租軽減の請願書です。地租改正以前に行われていた制度などを説明した上で地租率軽減を衆議院議員に申し出ています。また、同月には、新潟県を特別地価修正の対象に入れて地租を増収することに反対する請願も出されています。

対馬国地価最減之哀願
明治25年(1892)12月23日

 明治9年に対馬では地租改正の実地調査が行われました。この後、対馬の島民が、対馬の地価を全国で一番下の等級に確定してほしい旨を大蔵大臣渡辺国武に願い出ています。対馬の地価低減は、この後明治31年の第13回議会で実現しました。

鉱毒被害地地価修正関係書類
明治36年(1903)〜明治38年(1905)

 明治30年代の帝国議会請願後、明治37年に渡良瀬川沿岸地方特別地価修正法が施行されました。これは、忍税務署(現行田税務署)で明治36年に渡良瀬川沿岸の鉱毒被害地の収穫調査を行った後、明治38年に特別地価修正を行うまでの内容が綴られたものです。

国会に対する請願