明治20年(1887)、所得税が導入されました。所得税は、財政需要が増大する中新しい財源の確保とともに、すべての人に公平に収入に応じた税を負担させることを目的としていました。
 当時の所得税は、資産や営業などの所得金高が年間300円以上ある者が対象で、納税者は所得の予算金高・種類を所得金高届に記し、居住地の戸長を経て郡区長に届け出ました。
 所得税の導入当初は、商工業者からの所得税収を多く想定しており、その中でも商業者から得られる所得税収を一番多く見積もっています。全国の所得税の徴収額・納税者数を見ると東京が高い割合を占めており、当時の所得税は都市の富裕者中心の課税でした。
 しかし、その一方で当時の国家の歳入のほとんどは地租と酒税で占められており、明治31年までは所得税の割合は全体の2パーセント程度で推移していました。

所得税ニ係ル布告及書式(写)の写真

所得税ニ係ル布告及書式(写)
明治20年(1887)5月

 所得税法は、明治20年3月19日に勅令第5号として公布されました。これは、明治20年5月中旬に所得税法及び同施行細則と所得金高届などの書式を写したものです。この史料には、3月26日公報と書かれています。

三重県第4区明治27年度飯高・飯野・多気三郡所得納税者一覧表
明治27年(1894)

 所得税調査委員を選挙するために、所得税納税者の住所・氏名が公示されていました。これは、郡内の概況を伝えるために、伊勢新聞社松阪支局が公示をもとに作成・発行した 納税者番付(現三重県松阪市、飯南郡、多気郡)です。所得税は1等から5等に分かれており、1等は所得金高3万円以上の者が対象でした。一覧では、1等として松阪本町の小津清左衛門が載っており、所得税の納税者が町部に集中していることがわかります。

所得税法取扱方問答書・所得税納人心得方備考合綴の写真

所得税法取扱方問答書・
所得税納人心得方備考合綴
明治20年(1887)

 所得税法取扱方問答書は所得税の取扱方を、所得税納人心得方備考は所得税の納人の心得方をまとめたものです。

〔所得金高届提出期限通知〕の写真

〔所得金高届提出期限通知〕
明治20年7月15日

 明治20年に限り所得金高届は7月31日までに差し出す旨を通知したもの。通知には、所得税法取扱方問答書・所得税納人心得方備考合綴は町役場に備え付けてあると書かれています。

所得金高届(記載例)の写真

所得金高届(記載例)
〔明治20年〕(1887)

 これは、所得金高の記載例です。上部には、「小作金百拾円ノ例」などの例を用いて作成上の注意点が書かれています。

明治22年(1889)時における所得税の割合(全国)(市制・町村制施行時)の写真
大蔵大臣演説筆記(「参考書類」)の写真

大蔵大臣演説筆記(「参考書類」)より
明治20年(1887)3月30日

 松方正義大蔵大臣が鹿鳴館において行った税務執行についての演説を記録したもの。所得税は、 新法であり人民の経済に大いに関係するものなので、執行に当たる郡区長や調査委員の事務を統轄する府県知事やこれを調理する収税長に対し、間接的に視察して失点のないよう求めています。