戦後、「租税の民主化」が目指され、昭和22年(1947年)に納税者の自主的な申告と納税に依拠した申告納税制度が導入され、同時に戦前からの市町村委託徴収制度が廃止されました。これにより、申告納税制度の導入の担保として、追徴税や加算税、第三者通報制度や査察制度などが導入されました。また、戦後、都市部を中心とした大規模な酒類の密造が激増し、その取締りも重要な職務の一つでした。
申告納税制度による納税者数の激増、さらには市町村に委託していた徴収事務は税務署で行うこととなったため、税務署は職務多端となります。これを補うため、職員が大量に補充されました。また、より専門的な税務機構の確立が望まれるようになり、昭和24年(1949年)に国税庁が大蔵省の外局として発足し、現在のような一元的な税務行政機構が確立しました。
所得税の申告納税制度導入の一年目である昭和22年12月末段階で、収入予算に対して申告所得税は11.4%と極めて低調で、日本の財政は危機的状態に陥ります。これに対して租税完納運動に関する決議が衆議院、参議院で決議され、納税宣伝が広く行われました。
国税庁は昭和24年(1949年)6月1日に発足します。当初は東京都千代田区内幸町の大蔵省別館(元東洋拓殖会社本社ビル)の3階を使用していました。昭和31年(1956年)3月、接収が解除された大蔵省本館に移転しました。国税庁発足当初の税務署は、総務課、直税課、間税課からなっていました。