明治29年(1896年)11月、税務管理局と税務署が創設されます。47府県の収税部は全国23の税務管理局に再編・統合され、府県収税部のもとに置かれていた収税署は税務署と改称されました。これにより、これまで府県が取り扱ってきた国税事務は大蔵省主税局のもとに一元化され、税務行政の統一的な執行体制が成立します。
 設立当初の税務署は税務管理局の出張所のような機関でしたが、明治35年(1902年)の税務監督局官制と税務署官制の施行により、税務管理局は税務監督局へと改組され、税務署の監督機関、税務署は国税の執行機関となり、役割が明確に区別されるようになりました。
 創設された当初の税務署の機構は、直税・間税・庶務に分かれていました。

明治29年当時の税務署概念図

明治29年当時の税務署概念図

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 税務署創設当時は、同一名の税務署が多数存在しました。税務署名が塗りつぶされているものは、同名の税務署が他にもあることを示しています。

明治29年(1896年)租税収入の割合

明治29年(1896年)租税収入の割合

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広瀬税務署職員集合写真
明治30年(1897年)ころ

広瀬税務署職員集合写真

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 広瀬税務署は明治29年(1896年)に設置され、明治42年(1909年)に松江税務署に合併されました。

創設当初の税務署職掌

創設当初の税務署職掌

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税務署名同一ノモノ
明治38年(1905年)

税務署名同一ノモノ

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 発足当初の税務署は、収税署を引き継いで設置されました。収税署は郡単位に設置されており、その府県内で名称が重なることはありませんでした。税務管理局官制が出されると、基本的に管理局内では名称が重なることはありませんでしたが、全国規模でみると同一名称の税務署があり混乱をきたしました。そのため、順次名称の変更などが行われていきます。
 明治29年(1896年)当時と比べると、若干減少してはいますが、まだ同一名称の税務署があったことが確認できます。この同一名称問題は、明治42年(1909年)の大規模な税務署の統廃合のときに解消されました。

行政整理に関する大蔵次官通牒抜粋
明治42年(1909年)

行政整理に関する大蔵次官通牒抜粋

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 明治42年(1909年)、桂内閣のもと、大規模な行政整理が行われました。このとき、税務監督局もまた18局から13局へ、税務署は493署から400署へ削減されました。

有租地集計簿
明治40年(1907年)

有租地集計簿

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 直税課は、地租、営業税、所得税などを担当していましたが、明治時代は、地租が税収入に占める比重が高い時代でした。職員は土地の分合筆、地目の変換、災害などの際には、税務署に備え付けの土地台帳などの帳簿類を修正するほか、管轄内の土地の実地検査を定期的に行うこととされていました。

土地検査記念写真
明治38年(1905年)

土地検査記念写真

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 福島県本宮町(現本宮市)の写真館で撮影されたもの。
 土地の測量には、写真にあるような器具を用いる「測板(平板)測量法」が採用されていました。この測量の技術修得のため税務職員を対象に各税務監督局内での講習会が開かれました。また、税務署が主催の町村職員に対する測量の講習会も開かれていました。

受検査簿
明治29年(1896年)

受検査簿

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 間税課は間接税を担当しましたが、その中心は酒税でした。酒税は明治32年(1899年)から国税収入の首位を占めるようになり、その重要性は高まっていきました。また、同じく明治32年には自家用酒の醸造が全面禁止され、密造酒の取り締まりも間税職員の重要な任務になっていました。
 酒造税は、毎年10月1日を酒造年度の開始日としており、受検査簿もこの日付より始まります。展示している史料は、新潟県雑太郡河原田町(現新潟県佐渡市)で営業していた酒造営業人のものです。検査簿は通常、箱の中に入れられて封印され、税務官吏以外は開けることを禁じられていました。

間税職員の年間スケジュール
明治29年(1896年)

間税職員の年間スケジュール

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 前出の受検査簿の明治29年分から作成(10月〜翌年9月まで)。
 この史料によると、酒造年度は古酒の検査からはじまり、翌年9月の帳簿調査で終わっています。最も検査が多い月は2月で、ちょうど清酒の「搾り」の始まる時期に当たります。

明治45・大正元年(1912年)租税収入の割合

明治45・大正元年(1912年)租税収入の割合

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比企税務署職員集合写真
明治45年(1912年)3月15日

比企税務署職員集合写真

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 比企税務署は、埼玉県比企郡松山町(現在、東松山市)に当初は松山税務署として設置されました。明治42年に比企税務署と改称されることで、松山税務署は愛媛県のみとなりました。

目次

税務署の誕生

  1. 税務署の誕生-明治-
  2. 所得税の伸長と税務署-大正-
  3. 都市化と税務署-昭和-
  4. 戦後の税務署-申告納税制度の導入-