不景気の波は昭和に入っても続き、日本はやがて戦争の時代を迎えました。昭和14年(1939)には、国家総動員法にもとづき価格等統制令による国家統制の時代となり、酒に対する統制は配給を含め戦後まで続きました。
昭和15年(1940)に酒税法が制定され、酒造税法、酒精及び酒精含有飲料税法、麦酒税法などに細分化されていた酒類に対する課税が酒税法にまとめられました。
また、それまで酒税は、造石税のみでしたが、これに庫出税も加え(昭和19年から庫出税のみになる)、製造場の出荷時点での数量に基づき課税しました。これにより、酒税は現在の酒税法により近いものになりました。
なお、明治時代に開発された1升瓶は大正時代になると普及し始め、昭和初期には醸造用の竪型精米機や旧来の木製の容器に替わり温度管理・微生物管理に優れるホーローのタンクが登場するなど酒造道具は大きく変わり現代に継承されています。
柏崎税務署で発行。漢字の文章の横に、ルビで別途わかりやすい説明が付されています。酒税は税収1億円以上に上る国家の重要な財源であること、また最後に税務署は密造を密告した人に謝金を出したり、酒造家に廉価で酒を売るよう交渉をすることなどが書かれています。
帝国酒醤油新報を主宰する塚本鉱吉によって編纂・発行され、当時の酒造業界の不況を訴えたもの。出荷時に課税する合理的な庫出税の導入や酒造組合中央会の力を主体として業界を結束させ生産を統制する機関を設置することを訴えています。
日本醸造協会関東支部発行。酒造工場の科学的な管理法などを説いています。
工場法(労働基準法の前身)により若干の労働者の保護はされたものの、現在ほど多くの労働条件に対する保護はされていませんでした。
東京税務監督局が、酒類製造者に他の酒類製造者または酒類販売業者に配給する清酒の数量について通知したもの。製造者は、毎月の配給実績などを税務署に報告することとしています。
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大谷ホーロータンクは、丸味底、丸下げ底が特長で、専売特許を取得した上で販売されました。灘の菊正宗の貯蔵場の一部の写真は、昭和アルミニューム醸造器のパンフレットに収録されているものです。
灘琺瑯タンク製作所で作成した広告。北海道酒造組合連合会長が発表した従来の酒桶とホーロータンクとの利害比較調書(欠減の量、洗浄費、人件費、燃料など)が載っています。この広告では、琺瑯タンクによる酒の香気、色沢、及び耐酸性、耐久力を宣伝しています。
神戸市神戸区の印刷業者が茨城県筑波郡筑波町の酒造業者に宛てたもの。壱升瓶用のレッテルで最も斬新な三つの図案を提供することを宣伝しています。また、美人ポスター及びカレンダーの広告も同封されています。
鉄屋(現在の三重県伊賀市で営業していた酒屋と思われる)の酒の価格表。
末尾の但し書きでは、1合単位の量売は1割高とすること、空壜は1本につき金10銭で買い戻す旨が記されています。