日本の経済は、第1次世界大戦の大戦景気の後低迷しましたが、この際にも、酒税は所得税とともに国の税収を支えました。こうした中、明治時代後半から大蔵省や税務監督局(及びその前身の税務管理局)では、職務遂行の能力向上のため専門的な内容の講習会を行いました。
現在では、酒税関係の犯則事件はほとんど見られませんが、明治32年(1899)の自家用料酒の禁止に伴い密造酒の製造が横行した時代がありました。密造酒は、人体に有害な影響をもたらすものであり、また税源確保の視点から密造取締りが行われました。密造酒は、農山村部を中心に自家用飲酒を目的として作られましたが、戦後には職を失った人々が生活の糧として大規模に都会でも行うようになり、工業用アルコールを使用した健康被害なども深刻な社会問題となりました。このため、税務署や様々な団体による取締りが行われました。
弘前・五所川原税務署、浪岡警察分署並びに地方の有志による密造取締りの現場写真。仙台税務監督局が、大正9年(1920)に事業の顛末を明らかにし、またこれから事業に参加する人の参考のために編集した「沿革史」に所収されているもの。
講習会会場となった金沢税務署の前で撮影したもの。この講習会の修了証は、9月22日に出されています。職員は、当時間税職員にのみ認められていた制服を着用しています(白は夏服、黒は冬服)。
熊本税務監督局による修了証書。この職員は、大正8年に雇(やとい)として採用され、同年末には税務署属となりました。後に、この職員は税務署の間税課長を務めていることが確認できます。
密造禁止を訴えるパンフレットの一部。検挙件数が、東北地方、特に秋田県で多いことが確認できます。密造取締りの調査の際には、間税職員が暴行を受けるといった事件も起こりました。
江東税務署、江東密造酒防止協力会主催のヤミ酒をなくする運動時のもの。「正しいお酒を飲みましょう」と書かれています。昭和23年に、酒類小売商組合などの団体を中心に酒類密造防止対策協力会が各税務署管内に支部を、市町村内に小支部を設置しています。
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東京都酒類正常取引協議会が作成したもの。密造追放標語が印刷されています。
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国税庁企画によるPRのパンフレット。それぞれ、山村(「樹氷」、ロケ地山形県)、漁村(「朝焼け」、ロケ地千葉県、茨城県)、農村(「おじいのホームラン」、ロケ地川崎市)を舞台に密造酒が「社会悪」であることを訴えています。