明治37年(1904)に醸造試験所は、酒類醸造の試験と講習に関する事務を行う大蔵省の施設として現在の東京都北区に創設されました。明治38年には、醸造営業者の子弟を対象に誠実な実地経営者を養成するため第1回講習を開き、以後毎年1回ずつ酒造講習を行いました。明治40年には第1回全国清酒品評会を開催し(以後、2年ごとに開催)、また明治44年から全国新酒鑑評会を開催しました。当時、日本醸造協会でも明治40年10月から全国品評会を行っていましたが、全国新酒鑑評会は、これに並ぶ会とされていました。
 醸造試験所は、昭和19年(1944)に主税局醸造技術課に、昭和24年には国税庁の発足に伴い国税庁醸造試験所になりました。この後、醸造試験所は、平成7年(1995)に東広島市に移転し、国税庁醸造研究所に名称を変更し、平成13年には独立行政法人酒類総合研究所となり今日に至っています。

灘及城島酒造法調査書 明治39年(1906)11月

(写真)灘及城島酒造法調査書
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 この調査書は、醸造試験所が、醸造試験所報告第9・10・11号としてまとめたものです。兵庫県の「富久娘」・「菊正宗」・「桜正宗」、福岡県三瀦郡城島町の「青春」について税務監督局・税務署の技師・技手が報告しています。

酒造ニ関スル講話筆記 明治時代後半

(写真)酒造ニ関スル講話筆記
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 長野県酒造組合連合会の発会式における佐藤寿衛醸造試験所技師兼大蔵技師による講述内容をまとめたもの。長野県の用水は軟水であるため、これに応じた醸造技術の概況について説明しています。

醸造試験所(東京都北区)

(写真)灘及城島酒造法調査書
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 この赤レンガの建物は、開所当初から醸造工場として使われていたものです。この建物は、醸造試験所が広島に移転した後も東京都北区に現存しており、酒造技術の講習会などに使用されています。

目次

明治の酒税