居波 邦泰

税務大学校
研究部教授


要約

1.研究の目的等

 最近、わが国のいくつかの著名な企業が、移転価格の課税処分に国税当局との「見解の相違」があるとして異議申立てを行ったことが新聞紙上で取り上げられており、一部の事案は訴訟に発展したものも見受けられている。ここ1、2年の移転価格調査の結果が、調査対象の企業や経済界の予測を大きく越えたものであり、大きなインパクトを与えたことが、それら報道から読み取れるところである。
これまで移転価格事案は、異議申立て後に相互協議により二重課税についての解決が図られ終結することが一般的であったが、最近では、大手会計事務所などが相互協議よりも訴訟にすることを企業に薦めているとも聞いており、今後においては、移転価格で課税処理を受けた国内企業を中心に、移転価格事案の訴訟が数多く提起されることも考えられるところである。
これまで、わが国において移転価格事案の訴訟で判決が出されたものとしては、いまのところ船舶建造請負取引に移転価格税制が適用されたI造船事案及び国外関連会社との金銭貸借取引の利子に移転価格税制が適用されたOT事案のわずか2件であり、現在、新たに係争中の事案もあるが、これらを含めても、わが国ではまだ数件しか移転価格事案について訴訟になっておらず、移転価格税制に係る司法判断は未だ十分には示されてはいない状況である。
本論文では、このような移転価格制度が置かれた現状を背景として、わが国において移転価格事案の訴訟が的確になされるためには、実態としてどのようなことが問題になり、制度的にどのような改善が必要となり、執行としてどのような対応が要求されるのか等について、米国の移転価格事案に係る訴訟実態等を分析・検討したうえで考察するものである。

2.研究の概要

(1) 2000年以降の米国における移転価格事案に係る訴訟の状況等
BNAのTransfer Pricing Reportによると、米国の移転価格事案に係る訴訟の提訴状況は、1990年代には年間30〜40件程度が提訴されていたものの、2000年以降においては件数が顕著に減少し、2002年に年間10件を超えているが、2003年及び2006年には提訴件数はわずかに年間2件であり、最近においてはほぼ1桁台で推移しているところである。
なぜ、米国において1990年代まで移転価格事案で年間40件程度の提訴がなされていたのが、2000年以降において1桁台にまで提訴件数が減少したのか。その主な要因の1つとしては、APA(Advance Pricing Agreement)の利用の推進があげられると思われる。
APAについては、米国連邦会計検査院が2000年8月に「IRSのAPAプログラムに関する政府報告書」(GAO Reviews IRS’s APA Program)を公表しており、IRS長官は基本的にこの報告書の提案事項に賛成して2002年までにAPAの担当スタッフを2倍とすることでAPA体制についての強化が図られたところである。
APAは、1990年代半ばには年間40〜50件程度が新規に申請されていたが、2000年以降は年間平均90件程度の申請がなされており、上記の提訴件数の減少をカバーするAPAの申請が行われている。このように数値的にはAPAの利用の推進が移転価格事案の訴訟の提起に抑制的に働く効果があるように思われ、APAが米国において移転価格訴訟の乱発を防ぐ手立てとして有効に機能しているように見受けられる(ただし、実際のところは個別事案ごとの状況の確認をしなければ、訴訟から単純にAPAに移行したとは言えないものと考える。)。
2000年以降の米国の移転価格事案の訴訟について、計数分析として、その事案処理別の件数を把握するため、BNAのTransfer Pricing Reportの記事等から「2000年以降の米国移転価格訴訟リストTV」を作成しカウントをすると、全事案79件のうち、確定判決事案が11件(13.9%)、却下等事案が4件(5.1%)、係争中事案が7件(8.9%)、和解事案が57件(72.2%)となっており、全体の3分の2以上を訴訟上の和解事案が占めているというものであった。
2000年以降において裁判所の判断により解決した11件のうち、IRSが勝訴したものが6件、一部支払による解決が3件、納税者が勝訴したものが2件となっており、最近における米国の移転価格事案で、納税者が法廷でIRSと争うことを選択した移転価格事案についてはかなりの勝率でIRSが優勢を収めているものといえる。
一方、和解事案については、上述のように、米国の移転価格事案の訴訟の3分の2以上を占めているわけであるが、これは米国の不服審査のシステムによるところが大きいと思われる。IRSの不服審査担当部局であるOffice of Appealsは、「租税紛争事案に関し正式に和解しうる権限を持った機関であり、できる限り訴訟によることなく納税者との争いを解決することに第一義的な責任を有する部局」であるとされている。
2000年以降に合意された57件の和解事案に内容についてみてみると、提訴後和解にまでに要する期間としては概算で平均3.5年となっており、合意の内容としては納税者の主張が全面的に認められたものが16件(28.1%)、納税者の一部支払によるものが39件(68.4%)、IRSの主張通りとなったものが2件(3.5%)となっている。
一部支払額について当初の更正税額に対する比率(合意額比率)を把握できる範囲で見てみると、おおよそ6割程度のようである。なお、これは巨額事案であるGlaxoSmithKline事案の合意額比率が70%超であることによるものであり、これを除くと合意額比率は大きく下がることになる。実際のところ合意額比率30%未満のものが把握できるだけで21件もあり、納税者の主張が全面的に認められた16件(合意額比率0%)と合わせると37件にもなり、和解事案の3分の2近くが3割未満の金額で合意されていることになる。
これらの結果から言えることは、IRSは和解事案について訴訟提起後における実質的な納税者との争いを回避するために、当初主張した更正税額の約4割程度(GlaxoSmithKline事案を除けば5割以上)を放棄することで和解の合意をしているということである。
したがって、2000年以降の米国の移転価格事案の訴訟について計数のうえから和解事案まで含めて考えてみると、決してIRSの一方的な優位性が認められるものではなく、現状においてはAPAをも活用して納税者との必要以上の争いを回避しようとするIRSのスタンスが認められるものと思われる。

(2) 米国における移転価格事案に係る主な訴訟事例等

イ 1980〜90年代前半までの主な訴訟事例等
米国での主な移転価格に係る訴訟事例は、古くは半世紀以上前のものもあるが、まずは1980〜90年代前半までのもので租税裁判所がIRSの主張を受け入れなかった事案に注目することとした。具体的には無形資産等を問題としたEli Lilly事案、Bausch & Lomb事案、Sundstrand事案及びSeagate事案について、租税裁判所がIRSの主張を受け入れなかった理由を中心に考察を行った。
これらの事案についてまとめると、その共通点は、1IRSの調査対象が米国の親会社である、2軽課税国に子会社を設立している、3特許等の製造用無形資産を移転又は使用許諾することで特定製品を製造している、4製造された特定製品のほぼすべてを親会社が買い取っていることである。
これに対しIRSは、軽課税国の海外製造子会社は委託製造者(contract manufacturer)であり通常の独立企業と同様の事業リスクを負っておらず、これらの企業と同様の利益を稼得する権利を有していないという委託製造者(contract manufacturing)理論による更正処分を行っており、海外製造子会社に対して委託製造者としてのマークアップ率を適用することで不足税額の算出を行っている。
この場合におけるIRSのIRC§482に関する理論構成は、販売価格に係る独立企業間価格の算定方法として委託製造者理論による委託製造者としてのマークアップ率を用いて「原価基準法」を選択したうえで、無形資産の移転又は使用許諾に係るロイヤルティについては販売価格に包含することで別途算定する必要はないというものであった。
租税裁判所は、このIRS主張に対し、契約書上に米国親会社による全量買取や価格保証の取決めがなされてはおらず、海外製造子会社は単なる委託業者ではないとして、まずはIRSの委託製造者理論の適用を退けたうえで、有形資産の販売価格及び無形資産のロイヤルティに係る独立企業間価格の算定は別々に行うべきであるとした。結果として、租税裁判所はIRS及び納税者の双方の理論について採用をせず、租税裁判所が「最良の判断」を用いてこれらの独立企業間価格の算定を行った。
これらの事案でIRSは、租税裁判所から委託製造者理論への理解を得るために、各々の事案においてその取引実態からのアプローチにより主張を行っている。
すなわち、Bausch & Lomb事案では1枚当たり約1.5ドルで製造が可能であるソフトコンタクトレンズを7.5ドル支払って購入しているという事実を、Sundstrand事案ではSundstrand Pacific社が直接流通販売できる能力を有するまで、当初はすべての製造部品を買い上げてSundstrand社が販売するつもりであったという事実を、Seagate事案ではSeagate Technology社の再販売価格が急激に下落するなか、買取価格がSeagate Singapore社の標準製造原価にその25%を加算した価格に完全に固定されてきた事実を、IRSは委託製造者理論を採用した根拠として主張したわけである。
このようにIRSは実態面からのアプローチを繰り返し行ったが、租税裁判所は契約書上の取決めに着目した法形式的な判断を行い、これらはすべて認められなかった。
しかし、納税者側としても、この移転価格に係る訴訟に勝つために多大なる時間と労力を費やしたにもかかわらず、租税裁判所の判断では完勝にはいたらず、結局のところそれなりの額の不足税額を米国に支払うことになったわけであり、この移転価格という訴訟からは納税者も学ぶべきものがあったのではないかと思われる。

ロ 1990年代後半からの移転価格事案の訴訟における変化に係る分析
このように1990年代前半までの米国における移転価格事案に係る主要な訴訟については、決してIRSの勝訴率は高いものとはいえなかったが、上記(1)でみたように2000年以降の移転価格事案の訴訟におけるIRSの勝訴率は高いものになっている。このようなIRSの勝訴率の大きな変化は1990年代後半に生じたものと思われる。
この1990年代後半の移転価格事案の訴訟に係る大きな変化については、2000年2月に公表されたJames M. O’Brien & Mark A. Oates共著「Transfer Pricing Controversies − Recent Trends: High IRS Success Rate and Other Observations」に分析がなされており、この時期に租税裁判所で出された13件の移転価格事案の判決については、この論文においてIRSの10勝1敗2分とされている。
この論文の分析から1990年代後半に生じたIRSの勝訴率の大幅な変化の要因として、以下のものが考えられる。

1 大規模事案に対するIRSの効果的な人的資源の投下 ・・・ 大規模事案訴訟手続(Large Case Procedures)の導入により訴訟チームによる的確な対応がなされるようになった。

2 代替的法的理論(Alternative Legal Theories)の活用 ・・・ IRC§162の公正な市場価値基準や偽装(sham)理論を用いたIRC§61の適用など、多様な法的理論の適用を租税裁判所に主張することにより、IRC§482の限られた検討だけでは更正処分の維持が難しい事案についても、租税裁判所が代替的法的理論を活用・支持することにより勝訴が可能になっているものと思われる。特に、偽装(sham)理論などの経済的実質理論との組合せを租税裁判所が受け入れたことにより、IRC§482の適用範囲の幅が広がったように思われる。

3 争点の無形資産へのシフト ・・・争点がトレード・マーク、役務提供、コスト・シェアリング等へと無形資産に係る取引にシフトしていることから、当初申告の移転価格を合理的に説明することが企業側にとっても難しくなってきており、IRSに立証責任の転換が図れない場合には、ペナルティの賦課も含めて、納税者側に不利になってきているものと思われる。

4 原告となる企業の変化 ・・・ 外国親会社と米国子会社の組合せによる事案については、米国子会社が稼得した米国源泉所得を海外に流出させて、再度米国に還流しないことが想定されることから、租税裁判所としても厳しい判断を行っているのではないかと考える。 これらに加え、1986年の税制改正による所得相応性原則(Commensurate With Income Principle)の導入により、1995年以前のEli Lilly事案、Bausch & Lomb事案、Sundstrand事案のような内容の訴訟が減少したほか、訴訟で正式な事実審理に至る前に多くの事案についてIRSと納税者の間で和解が行われるようになったこともIRSが高い勝訴率を収めるようになった主要な要因の1つではないかと考える。

ハ 2000年以降における移転価格事案に係る訴訟展開及び最近のIRSのスタンス
上記のように、1996〜99年の租税裁判所における移転価格事案に係る訴訟は、その大半においてIRSが勝利を収めている。そのなかで、特に、DHL事案及びUPS事案については、前者は初めてIRC§6662(h)に基づいて40%のペナルティが賦課された事案であり、後者は関連企業間取引に偽装(sham)理論を適用された何十年ぶりの事案となっており、IRSにとって移転価格に係る訴訟において著しい進展が見受けられた事案であった。
2000年以降の展開として、このDHL事案及びUPS事案について連邦巡回控訴裁判所で控訴審判決が出されており、租税裁判所の判断との主要な相違は以下のようになっている。
DHL事案では、「DHL」のトレード・マークのDHL社から香港子会社であるDHLI社への譲渡が問題となったが、無形資産であるトレード・マークの評価を租税裁判所が1億ドルとしたことについて連邦巡回控訴裁判所は「我々は、租税裁判所の評価について明らかに誤っているとは判らないことから、1億ドルの評価についてはこれを支持する」としてこれを維持したものの、「DHL」のトレード・マークに係る米国外部分の権利の所有者の認定については租税裁判所の判断を覆して、香港子会社であるDHLI社が米国外における権利を元々所有していたとの判断を行った。これにより不足税額は大幅に減らされ、40%のペナルティについても取り消しがなされた。
UPS事案では、非関連保険会社とバミューダの再保険子会社との再保険契約について、租税裁判所は偽装(sham)理論を適用することでバミューダの再保険子会社に保有させた1億ドルをUSP社の所得と認定したが、連邦巡回控訴裁判所は当該契約には実態があるとしてこれを覆した。
このようにIRSが訴訟チーム等の活用により租税裁判所において著しい進展をみせた事案であり、IRSがその理論構成等について自信を持って臨んだ事案であっても、それが連邦巡回控訴裁判所において受け入れられるとは限らない結果となったわけである。
しかし、UPS事案では、結局、租税裁判所に差し戻された後で、IRS とUPS社は租税裁判所の担当判事の下で調停(Mediation)を選択し、UPS社は1990年までの7年間について約4億2000万ドルの支払及びIRC§6662(e)に基づくペナルティの賦課に合意した。これにより、当初更正処分に係る不足税額の約6割が確保できたわけであり、IRSは訴訟上で解決はできなかったものの、訴訟外においてIRSの意図する納税者へのコンプライアンスの維持・向上を図ったのではないかと考える。
最後に、2006年に紆余曲折を経て「IRSへの約34億ドルの支払及びAPAに係る18億ドルの税額還付の主張の取下げ」という和解(Settlement)に至ったGlaxoSmithKline事案をみることで、移転価格事案の訴訟に係るごく最近のIRSのスタンスについて以下のように考察する。
IRSは、GlaxoSmithKline事案の経験を通じて、外国親会社を持ち米国内販売で多額の所得を得ている米国子会社の販売網等のマーケットに係る無形資産の存在を捉え評価し、これにIRC§482を適用することで、米国に所得を取り込むことが、現状における最良の戦略になると考えたのではないか。
マーケットに係る無形資産には当然のことながら評価の問題が存在し、これがネックとなるように思われるが、米国では移転価格で問題にするような大企業については立証責任が企業側にあり、GlaxoSmithKline事案では租税裁判所の書類提出命令をIRSが利用することで、Glaxoグループのコンピュータ・システムへの直接アクセスについてIRSが交渉する展開が可能であったことが重要なポイントではないかと考える。また、このようなマーケットに係る無形資産については実在しているものであり、評価の問題はあるが、UPS事案の偽装(Sham)理論のように、説得的な理由が提示されることなしに連邦巡回控訴裁判所で存在自体が覆されるというような心配はないものと考えられる。つまり、訴訟で完敗する可能性が低いことから、多額の不足税額により更正処分を行い、立証責任等から納税者に訴訟負担等を意識させることで、和解による解決に持ち込むことにより、結果的に、IRSの期待しているレベルでの納税者のコンプライアンスの維持・向上を図ることができるとの認識があったのではないか。
わが国の大企業(特に、臨床試験の大半を米国で行っている医薬品製造業界や米国の一般家庭向けに大きなマーケットを築いている電子機器産業など)で、米国から多額の所得を得ている企業については、あらかじめAPA等による移転価格対策を的確に行っていかなければ、このGlaxoSmithKline事案と同様のシナリオによってIRSの移転価格対策の俎上に載せられるのではないかとの危惧を感じるところである。
GlaxoSmithKline事案の合意についてIRSはホームページ上に公表しており、その最後でIRSのChief Counsel であるDonald Korb氏は「もし、我々の最終目標であるコンプライアンスが損なわれなければ、Glaxo Americas社との和解を受け入れた我々の判断は、訴訟をせずに移転価格論争を解決しようとする我々の献身を反映しているものである」と述べている。

(3) わが国の移転価格事案に係る立証責任の検討

イ 客観的立証責任の転換の可能性
客観的立証責任とは、納税者も課税当局もある争点について裁判官の心証に確信を持たせるだけの立証を果たせられないときに、つまり、裁判官が真偽不明の状態に陥ったときに、当該争点につき自動的に当事者の一方の主張が否定されることになる危険又は不利益のことである。
移転価格税制における客観的立証責任の転換については、その課税要件事実について整理したうえで、過去の法人税の判例等から考察するに、海外に有用な証拠等が存在することが多いという移転価格事案の特徴からみて、1課税庁がその存否及び金額について検証の手段を有しないと認められる場合及び2課税処分の基礎とされていない簿外経費等のような存在が主張された場合には、その可能性があり得るのではないかと思われる。

ロ 主観的立証責任に係る的確な立証活動のためのポイント 通常は、主観的立証責任に係る立証活動を通じて裁判官に確証たる心証を与えた方が訴訟に勝つわけである。そこで的確な立証活動の遂行のためには、以下のことが必要であると考える。

(イ) 時機に遅れた証拠申出への対応策としての「文書化(Documentation)の導入」
移転価格事案では海外に有用な証拠等が存在することが多いことから、納税者が訴訟において時機に遅れた証拠申出を行うことが十分に考えられる。
時機に遅れた証拠申出には国税通則法第116条第1項での対処が考えられるが、課税処分後に独立企業間価格の算定等に関し海外において偶発的な追加資料を把握したとか、比較可能取引の把握に長期間の追加的確認作業が必要であったとかの納税者に帰責事由を問えない場合には時機に遅れた証拠申出が認められることから、移転価格事案では有効に機能しないことが想定される。
そこで、移転価格事案に係る時機に遅れた証拠申出への対応策として、納税者が移転価格に係る独立企業間価格の算定に関する文書をあらかじめ準備・保存することにより、課税庁の求めに応じてより迅速な文書の提出を可能とする制度である「文書化(Documentation)の導入」が有効であると考える。
文書化は既に世界20ヶ国以上において法令レベルで導入されており、2002年にはわが国が加盟していたPATAドキュメンテーション・パッケージで作成すべき文書の具体例が示されたところである。なお、わが国に文書化を導入するとしても、この場合、企業への過重なる負担を考慮して、その対象企業又は対象国外関連取引に限定性を与えたうえで、文書化が必要な文書については、独立企業間価格の算定についてより重要なコアなものに限定する必要があるのではないかと考える。

(ロ) シークレット・コンパラブルへの対応策
シークレット・コンパラブルを課税処分の根拠とする問題点としては、「納税者がシークレット・コンパラブルを用いて当初申告をすることは不可能であり申告納税制度の原理に反すること」及び「納税者の課税処分の根拠となる事実及び仮定について知る権利を侵害し納税者の予測可能性を阻害していること」があげられている。

1 前者への対応策としては、上記の文書化の導入後において、法人が文書化を適正に行っており、かつ、それに基づいて独立企業間価格が適切に算出されていると判定できるのであれば、国税通則法第65条第4項にいう「正当な理由」があると判断し、当該課税処分に係る過少申告加算税の賦課を免除することが考えられる。

2 後者への対応策としては、特許法第105条の7の裁判官だけに証拠陳述をすることができる「公開停止に係るインカメラ審理手続」は、完全には守秘義務に対応していないものの、実質的に第三者情報の保護機能を有するのであれば、シークレット・コンパラブルへの対応策になるものと思われ、このようなインカメラ審理手続を国税通則法第116条の関連規定として導入することが考えられる。

(4) 無形資産の評価等に係る対応策
無形資産の評価等に係る対応策としては、米国において1986年に導入された所得相応性基準(Commensurate With Income Standard)について、この制度のメリットとしては、「非常に困難である無形資産の譲渡又は使用許諾時点における予想収益に基づく絶対額としての評価を回避して、その後の当該無形資産から生ずる実際利益という客観的なデータによって当該無形資産に帰属する所得を算定することが可能である」ということであるが、今後この制度の導入について検討を行うことが必要であると考える。

(5) 租税訴訟における和解の検討
わが国の租税訴訟では、租税法律主義に基づく合法性の原則により、法律の根拠に基づくことなしに、租税の減免や徴収猶予を行うことは許されないし、また納税義務の内容や徴収の時期・方法等について租税行政庁と納税義務者との間で和解をすることは許されないとされている。
これに対し、米国やカナダなどの英米法の国のみならず、大陸法の国であるドイツやフランスにおいても租税訴訟上の和解がなされており、ドイツでは課税庁と納税者の間で年間1万件以上の訴訟上の合意形成がなされているということは特筆すべきことである。
ドイツでは、原則、租税法律主義及び租税平等主義の観点から見て租税請求権に関する和解は許されないとしているものの、「法律解釈に関する和解」と「事実の取扱いに関する和解」は区別すべきとし、後者について、事実関係の解明に困難性が認められる事案については、ドイツの連邦財政裁判所は「事実関係に関する合意が、手続の迅速性を確保し、法的平和に資する」ものであるとしており、積極的にその有用性及び有効性を認めている。
また、ドイツでは、裁判官の立会いもとでの租税訴訟上の合意形成が制度的に行われており、当該合意内容が「不合理な結果」であるかどうかの判断は立ち会った裁判官により行われている。
このことから、わが国においても「事実の取扱いに関する和解」を対象として、裁判所が課税庁と納税者の合意形成の協議に関与し、和解内容が事実の取扱いに係るものであること等の判定や和解内容に不正が介在していないことの確認及び問題がある和解については裁判所がその成立を認めないことを国税通則法第116条の関連規定として制度的に導入することで、合法性の原則や租税法律主義と並存する形で現実的に租税訴訟上の和解(合意形成)が可能にできないものかと考える。

3.結論

 米国の移転価格事案に係る訴訟状況等から、最近のIRSの紛争事案解決では、納税者のコンプライアンスの維持・向上が図れるのであれば、訴訟以外の手段を有効活用していること等を確認するとともに、わが国で移転価格事案に係る訴訟が的確になされるためには、上記のうち文書化の導入、シークレット・コンパラブルへの対応は必須であり、加えて無形資産に係る所得相応性基準及び租税訴訟における和解についても目を向けるべきであるほか、上記以外の施策としては、無形資産への「ベスト・メソッド・ルール」の導入、国外関連者の定義の充実、APA及び事前相談の拡充等も必要であると考える。

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・3.6MB