【答え】

1.小学校

【解説】

昭和20(1945)年の敗戦を受けて、日本各地に進駐した連合国軍は戦災を免れた建物などを接収しました。昭和15年にできた大蔵省の庁舎もその対象となり、昭和20年9月15日から昭和30年12月19日までの約10年間接収されました。接収中、大蔵省庁舎は連合国軍の事務所兼兵舎などに使用され、建物内には教会やバー、ボーリング場なども設けられました。
 その間本来の庁舎を利用できなくなった大蔵省は大急ぎで代わりの庁舎を探し、四谷の第三小学校に移転しました。移転後は小学校だった建物を改修し、隣地を買収して木造庁舎を増設するなどして、10年間業務を続けました。大蔵省にとってこの10年間は申告納税制度の採用や国税庁の発足などがあり、激動の時代を彼らはこの仮庁舎で過ごしたのです。
 しかし元々が小学校だったため、施設が子供向けの大きさに作られていたことや、戦後直後の混乱期で物資事情が悪かったことも重なり、かなり不便だったと当時勤務していた職員は回顧しています。
 当初の移転案には東京都赤坂区葵町(現:港区虎ノ門)にあった満鉄ビルなどが候補として挙がっていたようです。なお、返還された大蔵省庁舎は現在も財務省と国税庁の庁舎として使用されています。
 ちなみに4番の要塞という答えは一見するとあり得ない答えのようにも思えますが、実は実際に要塞の建物を税務署として使用していたことがあります。それは京都府の舞鶴税務署で、旧陸軍舞鶴要塞司令部の建物を税務署として昭和22年から約30年間使用しました。
 税務署や国税局の建物は全国に500か所以上あり、中にはこのような変わったいわれのあるものを見ることができます。令和3年度の特別展示はそんな税務署の庁舎に焦点を当て、明治時代からの様々な税務署の写真や絵はがきなどの史料を展示する「庁舎にみる税務署の歴史」を11月から開催しています。また、特別展示は、ホームページでも閲覧できます。

(研究調査員 菅沼 明弘)