矢田 公一
税務大学校
研究部教授
私法上、他人の不法行為により損害を受けた場合には、その損害の発生と同時に損害賠償請求権を取得するものと解されている。そして、法人の課税所得の計算においては、このような不法行為により被った損害に係る損失の損金算入時期及び損害賠償請求権の益金算入時期について、学説上、損失確定説、同時両建説及び異時両建説が存する。
法人税法上、いずれの説を採るべきかについては、最高裁昭和43年10月17日判決(裁判集民事92号607頁)において、法人の代表取締役の横領行為によって生じた損失とこれに対する損害賠償請求権の計上時期が争われた事件について、原則として同時両建説によるものとの判断が示され、一応の決着をみたところである。一方、その後の課税実務においては、昭和55年の法人税基本通達改正に際して、その相手方がその法人の役員又は使用人以外の「他の者」である場合には、異時両建説を採用し現在に至っている。
この点について、上記の通達改正の前後から、不法行為の相手方が当該法人の役員又は使用人であっても異時両建説により損益計上を行うべきとの指摘をする学者、実務家が見受けられ、現在、学説上は同時両建説と異時両建説とが拮抗しているといわれている。また、裁判例においては、これまで前掲最高裁判決に沿った判断が続いていたところ、最近において、法人の経理部長の横領行為が税務調査で発覚した事件について、損害賠償請求権の益金算入時期をその行使が事実上可能となった時(法人がその損害の発生と加害者を知った時)とする判決も出されているところである。
これまで学説上様々な議論がなされ、また、裁判所の判断においても下級審ではあるが新たな判断が出されているのは、課税当局が法人税法上の取扱いについて必ずしも具体的な指針を示していないことも要因の一つと考える。課税実務においては、法人が自己の役員又は使用人の不法行為により損失を被る事例は少なからず見受けられるところであり、この際、最近における議論を踏まえながら、いかなる取扱いが妥当するのか、研究しておく必要がある。
損失確定説 被害発生事業年度において直ちに損益の認識をすることなく、その損害賠償請求権の行使の可否により実際の損失額(ネットの損失額)が確定した事業年度において当該損失額を損金の額に算入する。
同時両建説 不法行為による損失については当該損失が生じた事業年度の損金の額に算入することとし、これと同時に取得する損害賠償請求権を同事業年度の益金の額に算入する。
異時両建説 不法行為による損失については当該損失が生じた事業年度の損金の額に算入するが、損害賠償請求権については相手方との合意や訴訟等によりその額が決した事業年度の益金の額に算入する。
法人税基本通達においては、損害賠償金の益金算入時期につき、その相手方が「他の者」である場合には、その支払を受けるべきことが確定した日の属する事業年度又は実際に支払を受けた日の属する事業年度の益金の額に算入することとしている(法基通2-1-43)。課税当局が、このような異時両建て(ないしは現金基準)による処理を認めているのは、損害賠償金といってもその原因は多岐にわたり相手方に損害賠償の責任があるかどうか当事者間に争いのあることが少なくないこと等から確定的な収益といえるか疑問なしとしない面があることがその理由であると説明されている。
他方、その相手方が「他の者」に当たらない場合、すなわちその法人の役員又は使用人である場合には、通達上その取扱いは明らかにされておらず、上記通達の趣旨解説において「例えば、役員の場合にはその行為が個人的なものなのか、それとも法人としてのものなのか峻別しにくいケースが多いことから本通達をそのまま適用することには問題がある場合が多い。」とし、「役員又は使用人に対する損害賠償請求については本通達の取扱いを適用せず、個々の事案の実態に基づいて処理することとされている。」と記述されるにとどまっている。
現行の取扱い及び学説については、課税実務上の観点からは、次のような問題点を指摘できる。
課税当局が示している現行の取扱いは、損害賠償請求の相手方が「他の者」である場合とその法人の役員又は使用人である場合との取扱いの差異について、それぞれ別個の観点から説明されている上、相手方が後者の場合には、ケース・バイ・ケースで処理すべきとの説明は、実務上の具体的な指針を示しているとは言い難いと考える。
不法行為による損害といっても、その内容は様々なものがあり、学説上のいずれの説を採ったとしても、すべてのケースについて一律に適用することは困難であると考える。特に、横領等の加害者がその法人の役員や主要なポストに就いている使用人である場合には、課税当局の主張するように、その行為が個人的なものなのかどうかを峻別する必要もある。
最近の学者の論調では異時両建説が有力視されるが、その論拠として、被害発生事業年度においては、損害が生じている反面、その回復のための資金流入がないことなどから、納税者に「酷である」として、「宥恕的取扱い」を採るべきであるとの主張も多い。しかしながら、租税法律主義の観点からは、法的な理由付けがなされるべきである。以上のような問題点からすれば、今後の取扱いを考察するに当たっては、現行の加害者が役員又は使用人である場合と他の者である場合といった区分のみによるのではなく、租税法の立場からの法的根拠を整理すべきと考える。この点、現在の学説上拮抗しているといわれている同時両建説と異時両建説の相違は、結局は損害賠償請求権の益金算入時期であることからすると、法人税法における益金の基本的な認識基準である権利確定主義の観点からの検討が、適切な取扱いを考察する上で不可欠となろう。
法人が支払を受ける損害賠償金に係る損害賠償請求権の益金算入については、学説上の同時両建説、異時両建説に拘泥することなく、その損害と同時に取得する当該損害賠償請求権が、権利確定主義の観点から、それが「発生」したにとどまるものなのか、「確定」しているものなのかに応じて益金計上時期が決せられることが相当である。すなわち、法人が損害を受け、相手方に損害賠償を請求する場合において、その損害賠償請求権の相手方が特定され損害額が算定されるなど権利の内容、範囲が確定した時点で益金に算入すべきものと考える。損害賠償請求権が損害の発生と同時に「確定」している場合にはその損害が生じた事業年度において当該損害賠償請求権を益金算入(結果として同時両建てとなる。)し、損害の発生時には損害賠償請求権は権利の「発生」にとどまる場合には当該損害の損金算入が先行する(結果として異時両建てとなる。)こととなろう。
そして、法人の役員又は使用人による不法行為による損失とこれに係る損害賠償請求権については、次のように取り扱うべきと考える。
その損害がその法人の役員又は使用人による横領による損失であるような場合には、通常、損害賠償請求権はその時において権利が「確定」したものということができるのであるから、被害発生事業年度において、当該損失の額を損金の額に算入するとともに、損害賠償請求権を益金の額に算入する。
相手方がその法人の役員又は使用人であっても、権利の帰属を巡る損害賠償請求や交通事故による損害賠償請求のように、私法上の権利の取得の時点で、その権利が「確定」していない場合には、それが確定した時点で損害賠償請求権を益金の額に算入する。PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。
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