川口 幸彦
税務大学校
研究部教授
相続税法の中には、第22条に「財産の価額は、当該財産の取得の時における時価」によるという一般的な規定が置かれているものの、具体的な財産評価の方法は、数条という僅かな規定が置かれているのみである。これは、同法が創設された明治38年当時から基本的に変わっていないが、何故であろうか。財産評価基本通達(評価通達)には、同法第22条の「時価」の意義とともに、各種財産の具体的な評価方法が定められ、これが課税庁のみならず、納税者にとっても長年に亘り利用され、財産評価におけるバイブル的な存在となっている。そして、評価通達に「一定の法的拘束力と同様な効力を認めるべきではないか」という見解が存在し、多くの裁判例においても評価通達による画一的な評価については、一般的には「納税者の便宜、徴税費用の節減という見地からみて合理的」であり、「租税負担の実質的公平を実現することができ、租税平等主義にかなう」との判断が下されている。一方、財産評価に関して行政庁の自由な裁量が認められたものではないことは最高裁判例(最判昭49.6.28)でも明らかであり、財産評価については、法令により定めるべきという、いわゆる「評価方法の法定化」の議論(田中二郎教授、金子宏教授)があるが、未解決のままとなっている。そこで、法定された評価の特別規定等が違憲又はその恐れがあるとされた例(ドイツ及び日本)などを参考とし、評価通達の必要性・合理性等も考慮しつつ、法定化の方向性について検討を行った。
また、財産の価額は、多種多様な要因によって形成され、それらを分析して適正な価格を算定するための財産の評価方法を決定する作業は困難なものであるが、その評価方法には適正性のほか、簡便性及び安全性が求められる。ただし、その定められた評価方法、特に「評価の安全性」を利用して租税回避を企む者もいることから、その対処策も講じなければならないこととなる。そこで、財産評価が争点となった裁判事例等を検討することにより、租税回避事例における対応は現在のままでよいのか、評価方法について改善する余地はないのかなどについて検討を行った。
上記の論点を踏まえ、今後の財産評価のあり方について提言を行う。
明治38年の相続税法創設時に、「相続財産ノ価額ハ相続開始ノ時ノ価額(時価と同義である。−筆者補足)ニ依ル」と定める以上、土地・建物について固定的な評価方法(土地・建物の賃貸価格に一定の倍率を乗じる方法)を定めることはできないこととされ、地上権や永小作権等、時価の算定が困難なものについてのみ、評価額が区々にならないように相続税法において評価方法を定めたと説明されている。そして、この考え方は今日に至るまで継承されてきたと認められる。財産(土地、家屋、預貯金、公社債等)の評価方法が法定化されたのは、我が国では、昭和21年に連合国軍の占領下にあって戦時利得の没収を目的として施行された財産税法ぐらいである。また、「時価」という用語は、昭和22年改正で使用されたのが初めであり、当時は「市場価格」を意味すると説明されているが、今日の客観的交換価値とほぼ同じ意味と解することができる。
ドイツには評価法があるが、統一評価が維持され、これにより算定された不動産における統一価格は、1964(昭39)年当時の評価額に基づいていたため、取引価額の10%程度であり、取引価額に基づいて評価されていた不動産以外の財産と著しい格差があり、平等原則違反であるとの指摘が絶えず、1995(平7)年に違憲判決が出された。我が国でも、租税特別措置法(旧)第69条の4(取得価額課税の特例)について「憲法違反の疑いが極めて強い」との判示された例(大阪地判平7.10.17、最決平11.6.11)、固定資産税においても土地課税台帳等に登録された価格が適正な時価(客観的な交換価値)を超えて違法とされた例(最判平15.6.26)がある。上記の統一評価や旧第69条の4のように、評価の特別規定又は課税価格計算の特例においても、課税される財産の価額が、時の経過とともに、その時の時価を大きく下回ったり、上回ったりする場合には、その規定の趣旨を逸脱した価格とならないように手当されなければ、課税上の不公平が生じ、ひいては違法(平等原則違反、財産権の侵害等)となるおそれがある点で共通し、上記の固定資産税の例も含め、財産の評価方法を法定化する場合の重要な示唆となると考える。
評価通達は課税庁内部の通達であるが、納税者双方の便宜、徴税費の節約等の観点から見て、両者にとって欠くことのできない存在である。また、評価通達は行政先例法としての効力を有しているわけではないが、納税者にとって無視することができない存在となっている。このような状況下にあって、田中、金子両教授は、「基本的な評価方法」又は「評価に関する基本事項」については法令で定めるべきとの租税法律主義からみても重要な指摘をしているが、その検討・導入に際しては、上記のとおり、その評価方法が「時価」の変動に対応できない場合や、適時・適切に改正されない場合等には、その規定自体の違法性が問われることに留意しなければならないと考える。そこで、評価の普遍的(不変的)な考え方・評価方法を法定化し、その時の社会経済情勢等の変化によって生じる可変的な部分については通達に委ね、いつでも実態に即した改正ができる柔軟性を確保しておく必要があると考える。
財産評価に関する租税回避事例として争われた裁判事例等の中で、国側の勝訴又は敗訴となったものを選定・検討し、租税回避への対応策を中心とした財産評価の在り方について検討を行った。
勝訴事例として、上場株式、取引相場のない株式(純資産価額方式の法人税額等相当額の控除、配当還元方式の適用の有無)、相続開始直前に購入した土地の評価が争点となったもの(計8例)などについて検討を行ったところ、評価の安全性(評価上のしんしゃく)及び評価方法そのものが租税回避として利用されていることが判明した。これらの事例においては、「評価通達に定められた評価方式を形式的に適用するとかえって実質的な租税負担の公平を著しく害するなど、右評価方式によらないことが正当と是認されるような特別な事情がある場合には、他の合理的な方式により評価することが許される」などと判断され、租税回避としての利用が認められることはなかった。また、これら裁判事例の検討と併せ、評価方法自体についても、その改正の経緯等をも踏まえて検討したが、取引相場のない株式評価を中心として、外部からの様々な要望及び租税回避の対応等によって度重なる改正が行われてきたことから、現行の評価方法が、財産の実体に応じた時価が算定できるか(純資産価額方式における法人税額等相当額の控除、配当還元方式とその適用範囲等)、評価の安全性に配慮し過ぎていないのか(上場株式の評価方法( ))などについて検討すべきであると考えた。
敗訴事例としては、医療法人の出資の評価、
親族間売買における土地の評価が争点となったものについて検討を行った。
は、医療法人の跛行増資に伴う経済的利益(出資持分の含み益)の移転が、相続税法9条に規定するみなし贈与に該当するか否かが争われた事例であり、東京高裁平成20年3月27日判決では、「仮に社団たる医療法人で出資持分の定めのあるものが定款を変更して基本財産と運用財産とを区分することとしたことが租税回避に当るとしても、相続税法64条第1項に該当する場合は別として、課税庁が、根拠となる否認規定が存在しないのに、財産評価基本通達による評価を一律に適用することにより同様の結果を達成することは許されないものというべきである。」とし、評価通達の一律適用による租税回避への対処は許されないと判示した(相続税法64条を持ち出した理由も定かではなく、本件は同法22条の「時価」の解釈としてどちらが適正かを判断すべきであったと考える)。
は、親族間の土地の売買において、相続税評価額が相続税法第7条の「著しく低い価額」の対価とみなされるか否かが争われた事例であり、東京地裁平成19年8月23日判決(認容・確定)では、本件の売買における対価は相続税評価額(地価公示価格水準の80%程度)によっていることから、当該対価は「著しく低い価額の対価」には当らないと判示し、負担付贈与通達(通常の取引価額に相当する金額によって評価)によらないことを認めた(これは、評価の安全性等を利用することを認めたことと同様の結果となっており、財産評価の在り方にも問題を提起していると考える。)。
さらに、評価通達6項( )の適用上の問題(相続税法64条との適用関係、評価通達6項の適用要件)、評価通達によらない評価(不動産鑑定評価)に係る問題について裁判事例を基に検討を行った。そして、以上の検討を踏まえ、「財産評価の今後のあり方」については、次のとおり提言する。
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