岡 直樹

税務大学校
研究部教授


要約

研究の背景及び目的

 近年、企業は海外利益を伸ばしており、またその多くが海外子会社に留保される傾向にある。このことは主要国に共通してみられる。
我が国の法人の申告所得金額は、2000年以降40兆円程度で推移している一方、海外子会社の経常利益は01年度の2.3兆円から05年度には8兆円弱に増加し、内部留保残高も05年度には12兆円以上にのぼっている。米国では、多国籍企業の本国における利益は1999年から2004年にかけて4500億ドル程度で横ばいである一方、海外子会社の利益は1700億ドルから2800億ドルへと大幅に増加していることが報告されている。
こうしたことを背景に、国際課税、なかんづく移転価格税制は、企業・税制当局双方にとって重要なインパクトを持つ法人課税の一分野となっている。
米国会計基準解釈指針(FIN40)に従い、2006年12月以降、米国企業は移転価格等による更正の可能性について調査段階から投資家に対して開示しているが、米国で起債する日本企業の中にもこのような開示を行なう企業が現れてきている。移転価格課税は企業経営者にとって日々の経営判断事項の一つとして重要になっている。
各国議会や税制当局は、マクロの課税ベースへの影響の大きさへの懸念を共有している。国際課税先進国である米国では、議会幹部が多国籍企業の所得移転能力に比べIRSの移転価格税制は機能不全に陥っているとして強い懸念を表明たことが報道されている(2008年2月)。ドイツは2008年税制改正において、大胆な移転価格税制の規定の整備を行い国際課税制度の整備を行っている。(はじめに)

 移転価格税制とは、グループ内取引を通じて所得が国外に移転されていると評価し得るときには独立の企業間における類似の取引の価格や利益(「独立企業間価格」)に基づいて課税所得を計算する仕組みである。
「独立企業間価格」算定における困難は、収入・経費の額や両者の対応関係により計算される所得課税の建前と異なり、法令が規定する算定方法により類似取引との比較算定されるものである点にある。算定方法のあてはめは、類似の取引情報へのアクセスに大きく依存するほか、評価や見積もりの問題がつきまとう。
こうした困難のため、移転価格税制の調査は長期化し、また紛糾しやすい。調査期間が2年以上に及ぶことも珍しくなく、納税者・課税庁の調査官双方の負担は小さくないといえよう。
本研究は、裁判例の検討や比較法的な分析を手がかりとし、仮説による検討も織り込みながら、独立企業間価格算定や証明・検証のための理論について、争点の絞込みに資する観点から考察し、申告・調査の合理化・迅速化に貢献することを目指したものである。

研究の概要

 本研究における論点及び結論は以下のとおり(主なもの)。

・  独立企業間価格の証明方法を裁判例等に基づいて整理した。独立企業間価格の証明には、1選択した算定方法により独立企業間価格を算定できるか、2あてはめられた比較対象取引に十分類似性があるか、3差異調整は適当か、について具体的に立証する必要がある。算定方法間に争いがある場合には、13に加え、4先行する算定方法を争う側が自らの算定方法がより比較可能性が高いことについても証明する必要がある。(第2章)

・  その他の方法(営業利益の比較や利益の分割)により独立企業間価格を算定する場合に基本三法(価格や粗利益の比較)により算定できないことについての証明は不要と考えた。「用いることのできない場合」という規定の本質は比較可能性の優劣についての擬制と考えられるからである。右結論を導くにあたっては、訴訟法的な証明責任の配分の問題や比較法的な観点からみても妥当であることについて検討している。(第3章)

・  課税庁にはシークレットコンパラブル(類似の取引を行なう第三者から質問検査等により入手した比較対象取引についての情報)に基づいて独立企業間の算定を行なうことが認められている。シークレットコンパラブルによる課税は、企業等からは“不意打ち”の性格を持つことや守秘義務のため納税者の反証可能性が制限されることへの鋭い批判や懸念があるが、調査途中においてシークレットコンパラブルの利用を予告することなどにより十分対応可能な問題であると考えた。裁判例は、シークレットコンパラブルのための第三者への質問検査権の行使が仮に違法であったとしても、そのことから直ちに課税処分が違法であるとされないとしている。また、米国等諸外国における経験についても分析を行なった。(第4章)

・  情報義務を履行しない納税者に対して、課税庁は同業者の利益率等により独立企業間価格を推定できることが規定されているが、推定の前提となる“情報不提出の要件”がどのような場合に充足するか検討した。国外に所在する資料入手は努力義務であり違反しても推定課税の不利益は招かないという主張が妥当するか否かについて検討し、推定課税の規定は情報義務の履行を求めるための最終的な威嚇力であるので、納税者は合理的に独立企業間価格を算定するために必要な情報を提出する義務があり、これには国外の情報も含まれると結論した。国外情報の入手は努力義務にすぎないと断じることは納税者にとってリスクが大きいだろう。もちろん、納税者が独立企業間価格について証明すれば推定による課税が覆ることになる。(第5章)

・  紛争回避・争点絞込みのための対応として、1移転価格リスクの合理的な評価が納税者・課税庁双方にとって重要であること、2事前確認制度は紛争回避の有望な選択肢だが、公開情報に限定すると高額の無形試算等を含む取引への適用可能性が制限されること、3移転価格リスクの評価(リスクアセスメント)と移転価格ドキュメンテーションの組み合わせにより、相当程度移転価格税制のリスクが限定できると思われること、等について検討した。特に、3が有望であると考えている。(第7章)

・  国際的な課税権の配分の基準として、企業にとって外在する独立企業間価格という基準が採用されたのはなぜか、といった問題についてやや実験的な考察を行なった。そもそも、わが国の法人税法は公正妥当な企業会計によりおこなわれた確定決算に基づいて課税所得を計算することを規定しているが、私人間の計算に基づいて課税所得を計算することがなぜ妥当なのか。私人間の取引価格を課税所得の指標として用いることの根拠を当事者間の利害対立とインセンティブの存在により取引の両当事者の課税所得が大きくなる方向で作用していることに求める議論に着目した。ドイツの対外取引税法第1条は、"仮想テスト"として同様の考え方を法令に取り入れていると思われる。また、以上を踏まえ、独立企業間価格の算定や検証への応用可能性について大胆な検討を行なった。グループ企業内の利害対立を独立企業間価格の証明において補助的に用いることの可能性、49%子会社との取引を内部コンパラと断じることの問題、営業利益の比較において公開法人であれば非関連者取引を行なっていることにこだわる必要性は小さいと思われること、である。(BOX1)

・  なお、法令の解釈、争点整理、立証において役立つ有益な技術である要件事実論について簡単な整理を行なった。(BOX2)

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