居波 邦泰

税務大学校
前研究部教授


要約

T 研究の目的

 企業等の無形資産の国外関連者への移転等について、課税上問題となるのは無形資産の評価であるが、評価方法としてDCF法などのインカムアプローチ等はあるが課税上問題なしとはしないものである。米国では、1986年所得相応性基準(Commensurate With Income Standard)が導入され、これにより問題解決を図ってきているが、2007年7月にドイツにおいても所得相応性基準の導入を含んだ企業税制改革案が国会で可決され、2008年1月1日から施行されたところである。
所得相応性基準のメリットとしては、「非常に困難である無形資産の譲渡又は使用許諾時点における予想収益に基づく絶対額としての評価を回避して、その後の当該無形資産からの実際利益という客観的なデータによって当該無形資産に帰属する所得を算定することが可能である」ということとされるが、わが国においても、無形資産の国外関連者への移転等を用いた租税回避スキームやアジア諸国への技術移転等を考慮すると、今後、適正な対価を収受する法的根拠として所得相応性基準を導入することが必要ではないかと考え、これについての検討を行うものである。

U 研究の概要

1 無形資産の会計上の取扱いと評価に係る課税上の問題

(1) 2000年以降の企業結合会計基準の改訂
企業の無形資産の評価に係る取扱いやスタンス等について明確な認識を得るために、最近の無形資産に係る会計上の取扱いに目を向けると、2000年以降において国際的に企業結合会計基準に大きな改革がなされており、世界的には企業結合時の会計処理として、それまで「持分プーリング法」と「パーチェス法」の双方の会計処理が認められてきたものが「パーチェス法」に一本化されている。
これにより、新たなる企業結合会計基準の下でM&Aを行う企業は、無形資産についてより広く厳格に識別を行い公正価格により評価をして資産計上を行うことになり、米国において年間数千件のM&Aが行われていることに鑑みると、簿価引継を禁じたパーチェス法のみの会計基準の下では、無形資産の評価の実例は着実に件数を増やしていくものと思われ、企業の無形資産評価の経験が一層積まれていくことは確実である。
一方、わが国では、現状では要件を満たすことで持分プーリング法の選択が可能であり、取得無形資産を認識しないで簿価を引継ぐことができるものの、国際財務報告基準とのコンバージェンスの取組みがハイペースで進められていることもあり、将来的には国際会計基準や米国での状況に修練していくのではないかと思われ、無形資産の評価については、会計上では大枠として望ましい方向に向かっているのではないかと考えるところである。

(2) 無形資産の評価に係る課税上の問題点
公正価格に基づき無形資産が評価できるかどうかについては、無形資産の会計的見地からの評価方法であるコストアプローチ、マーケットアプローチ、インカムアプローチの3つの評価方法については、いずれも課税上の問題点が存在し、会計上は無形資産の原則的な評価方法と位置づけられるインカムアプローチについても、課税上は企業の主観的判断や恣意性を排除することは構造的に困難であり、移転価格税制の対象となる関連企業間取引などにおいて課税上の問題が生じる可能性は十分にあり得るものと思われる。
加えて、関連企業間での無形資産取引において、当該企業がインカムアプローチで用いた予測利益や割引率について、それが主観的判断によるものであり恣意性が存在することを課税当局が証明できるかどうかについては判断の難しいところであり、企業が低課税国の国外関連者に過小評価と思われる価格で無形資産を譲渡していた場合など、企業が譲渡時点ではそのような評価が正当であると認識していたと主張したことを覆すだけの証拠を調査時点で把握し提示することは至難の業ではないかと思われる。

2 米国及びドイツにおける所得相応性基準

(1) 米国の所得相応性基準
1960年代後半から米国の著名な企業が、軽課税国に関連子会社等を設立して特許等の製造用無形資産を移転又は使用許諾し、これら関連子会社等に多額の所得を移転させたEli Lilly事案、Bausch& Lomb事案、Sundstrand事案、Seagate事案等について、IRSは移転価格税制を用いてIRC§482により課税処分を行ったが、1980年代以降の租税裁判所の判決において、いずれの事案についてもIRS敗訴の判断が示された。
そこで米国議会は、IRC§482に第二文を追加することで、所得相応性基準を導入し、財務省規則§1.482.4にPeriodic adjustments〔定期的調整〕を規定することで、無形資産の移転等の後に無形資産に帰属する所得に大幅な変動がある場合には、その対価の修正を求めることとし、申告当初の評価が適正価格であるとしても、後続年度での対価の修正を妨げないものとした。

(2) ドイツにおける所得相応性基準の導入
ドイツ政府は2008 年に企業税制改革を行いドイツ企業の活性化を図ることとしているが、法人税率の引き下げ(25%⇒15%)等による軽減措置の税収減の手立てのひとつとして、納税者がドイツの国外へビジネスをシフトさせるビジネスリストラクチャリングを課税対象とする移転価格税制の強化を行うこととし、そのなかで所得相応性基準を導入することとしている。
ドイツの移転価格税制の強化は、課税対象となるビジネスリストラクチャリングである「機能の移転」を広く定義し、第三者のデータが利用不可能であるケースにおいて、賢明な企業経営者原則(Prudent Business Manager Principle)を用いて、仮想的独立企業間テスト(Hypothetical Arm's-Length Test)を行うことで、独立企業間価格を決定させるものである。そして、その後10年間は独立企業間価格決定の基本的仮定から実際の状況が逸脱した場合には、納税者は当該独立企業間価格を遡及して調整すべきであるとして、所得相応性基準が対外取引課税法第1条に規定されたわけである。

3 わが国における所得相応性基準導入の必要性の検討
わが国への所得相応性基準導入の必要性については、以下のような要因が認められるものと考える。

● わが国には、米国やドイツに並ぶ世界的な技術力を持つ有数の企業が存在しており、国際的に通用する数多くの技術特許やノウハウの製造無形資産に、それにトレードマーク等の流通無形資産が国内に認められるところであり、無形資産について国際的に出超であるとみられること。

● わが国の法人に対する実効税率は40%と世界的にみても最高水準にあること。

● ビジネスリストラクチャリングによりマーケット・インタンジブル等のオフバランスな無形資産を容易に国外移転させるスキーム等が存在しており、今後このようなビジネスリストラクチャリングがなお一層広く用いられることが想定されること。例えば、次のようなスキームが世界的に見受けられるようになっている。

1 国外の販売子会社を Commissionaireに形態変換させて、これと低課税国に新たに設立した子会社(Principal)との間で問屋(Toiya)契約を締結することで、取引の間に介在させたPrincipalに利益移転させるビジネスリストラクチャリング

2 低課税国に設立したCentral Supply Chain Company にサプライチェーン機能等の無形資産を集約して、これと製造子会社との間で委託製造契約を締結させることで、低課税国の Central Supply Chain Company にグループの利益を移転させるビジネスリストラクチャリング

3 当初は、親会社が直接に海外において鉱物やガス田等の開発を行い、採掘の目処が立った時点で、現地に設立した海外関連子会社に開発した鉱物やガス田等の採掘権を、そのときの公正価格で譲渡して、その後、海外関連子会社から採掘した鉱物やガスを購入することで、海外関連子会社に所得をプールするビジネスリストラクチャリング

● 今後、わが国の労働人口は減少していくなかで、アジアの各地域に安価な労働力が存在するという構造的状況からみて、アジアの各地域で完成品や半製品を製造してわが国に輸入するという経済取引が引き続き展開されていくことを見込むと、技術特許やノウハウ等を中心に無形資産のアジア諸国への国外流出が進むことが想定されること。

● 企業が、将来予測に大きく依存する評価手法としてDCF法などのインカムアプローチ等の直接評価手法などを用いて、意図的に低い評価により当該無形資産を低課税国に移転させることが想定されるところであるが、将来予測には評価者の主観が入るため当該評価を課税上問題があるとして否認することは困難であること。

4 所得相応性基準導入に係る検討課題
実際にわが国に所得相応性基準を導入するためには、以下の検討課題についてクリアしなければならないものと考える。

1 同時文書化(Contemporaneous Documentation)の法制度としての導入
企業が無形資産の移転等の後において所得相応性基準に基づいて申告を行っているかを検証するためには、移転価格税制に係る文書化義務を導入することは、立証責任が課税当局側にあるとされるわが国においては必須であると考える。同様のドイツにおいては2003年には財政裁判所での敗訴判決を受けて導入がなされており、10年間の文書化が義務化されている。なお、ドイツでは企業が文書化義務を履行していない場合には課税当局側から納税者に立証責任が転換されることとされている。

2 所得相応性基準の対象とすべき無形資産の移転等の範囲
所得相応性基準の対象とすべき無形資産の移転等の範囲について、米国の無形資産に係る定義規定や及びドイツの「機能の移転」に係る取扱いを参考にして、わが国においても所得相応性基準の対象とすべき企業のビジネスリストラクチャリングがその適用対象となるような無形資産に係る定義等の取扱いについて確認をしておくべきである。

3 セーフハーバールール(Safe Harbor Rule)の検討
所得相応性基準に係るセーフハーバールールは、本制度に係る企業の予測可能性の確保のために必須となるものであり、米国においては所得相応性基準の例外規定として、「無形資産の利用により実際に稼得した利益等が、関連者間契約締結時点において予測した期待利益等の80%未満でも120%超でもないこと」が置かれている。この範囲内にあれば、企業は後続年度の申告で修正を行う必要はないことになる。

4 所得相応性基準の適用期間の策定
無形資産の移転等の時点からいつまで所得相応性基準が適用されるかについては、米国の所得相応性基準では5年間、ドイツでは文書化の義務期間と平仄を合わせて10年間としており、国によりかなりの開きがある。わが国では移転価格課税の除斥期間が6年であることから、最長で6年間とすることが考えられる。

5 特異な発生事項の策定
関連者間契約が締結された時点では合理的に予想できなかった特異な発生事項が生じた場合には、所得相応性基準の適用を除外する必要があると考えられるが、どのようなケースを特異な発生事項とするかについては、所得相応性基準が実質的に機能するかどうかを決するものであり、十分な検討が必要となる。

6 罰則規定の検討
所得相応性基準を実効性あるものとするためには、文書化の不履行に係る罰則規定やセーフハーバーの範囲から外れていることが明らかな場合に定期的調整を行わないことに係る重加算税の新設などについて検討が必要である。

7 企業の事務負担の大幅な増加に対する対応
所得相応性基準の導入は、文書化や後続年度におけるセーフハーバーに係る確認等でかなりの負担を強いるものになる。したがって、文書化の対象企業等を一定の企業に限定するなどの負担軽減策を講じる必要がある。

8 新日米租税条約の交換公文3との調整
租税条約との関係では、2004年に改正された新日米租税条約の交換公文3に「移転価格課税の執行に係るOECD移転価格ガイドラインの遵守義務」が置かれた。
OECD移転価格ガイドラインでは所得相応性基準を容認してしないことから、所得相応性基準が導入されたとしても、日米の移転価格事案において、ユニラテラルな事案については両国とも所得相応性基準の適用が可能ではあるが、バイラテラルな事案で相互協議に至るとどちらも所得相応性基準が使えないという奇妙な状態が生じることが想定される。したがって、所得相応性基準の導入に際しては、新日米租税条約の交換公文3への対応を検討しておく必要があるものと考える。

9 アジア諸国等からの反発
米国が1986年に所得相応性基準を導入したときには、EU諸国から米国の所得相応性基準は「後知恵(hindsight)」的なものであり、独立企業間原則と整合的でないとして非常に強い批判がなされたところであるが、わが国が所得相応性基準を導入するとすれば、日本からの無形資産の移転等から生ずる所得に係る課税額が減少することを懸念して、アジア諸国等からの反発が予想されるところであり、対外的な説明が必要になるものと思われる。

5 わが国の所得相応性基準の具体的イメージと執行の在り方
最後に、上記検討からわが国の所得相応性基準の具体的イメージを示すとともに、以下の所得相応性基準導入の税務執行上の有用性について述べると、前述のとおり、所得相応性基準には無形資産の評価に係る客観的事実に基づく事後調整の確保という機能があることが認められるところであるが、この所得相応性基準に上記のセーフハーバールールが組み込まれることで、所得相応性基準及び文書化が導入されれば課税当局にとっては以下のような税務執行上の有用性が得られることになるものと思われる。

● これまでの移転価格調査においても、無形資産取引に係る所得が国外関連者に偏っていることを把握したならば、事実関係を十分に精査したうえで利益分割法等を用いて独立企業間価格を算定して納税者との協議を重ねたうえで更正処分がなされることはあった。セーフハーバールールが組み込まれた所得相応性基準が導入されたのであれば、課税当局は無形資産の取引価格(独立企業間価格に調整されていればその価格)がセーフハーバーの範囲内であるかどうかを、同時文書化された書類を基に検認するという画一的な作業を行うことから問題取引の絞込みが可能となると思われ、もし、セーフハーバーの範囲外であれば、特異な発生事項の確認は要するが、度重なる納税者との協議を行うことなく処分ができるのではないかと考える。したがって、所得相応性基準の導入は、移転価格課税の無形資産に係る調査効率に大きく寄与することが期待できるものである。

● 企業が所得の国外流出を目的として無形資産取引において意図的に評価を低くするならば、その後の無形資産からの収益はセーフハーバーの範囲外となることで企業は自主的な修正を余儀なくされることから、セーフハーバールールが組み込まれた所得相応性基準にはオートマティカルな租税回避防止機能が備わっており、これまでこれらの非違に充てられてきた移転価格課税の無形資産に係る調査事務量を他の困難事案に用いるなど効果的な調査展開を図ることが期待できる。

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