矢田 公一

税務大学校
研究部教育官


要約

1 研究の目的(問題の所在)

 本稿は、住専処理問題に関し、母体行であった銀行が行った債権放棄を巡って、その債権放棄相当額の損金算入に対する課税処分が争われていた事件を題材にして、法人税法上の貸倒損失の認定基準の研究を行うものである。

(1) 最高裁判決の概要
旧A銀行が、住専処理法案の成立前である平成8年3月末に自らが母体行となっていた住専(住宅金融専門会社)であるJ社に対して行った、いわゆる解除条件を付した債権放棄につき、同年3月期の損金算入を否認した課税処分が争われていた事件について、最高裁は、

1 まず、一般論として、「金銭債権の貸倒損失を法人税法22条3項3号にいう「当該事業年度の損失の額」として当該事業年度の損金の額に算入するためには、当該金銭債権の全額が回収不能であることを要すると解される。そして、その全額が回収不能であることは客観的に明らかでなければならないが、そのことは、債務者の資産状況、支払能力等の債務者側の事情のみならず、債権回収に必要な労力、債権額と取立費用との比較衡量、債権回収を強行することによって生ずる他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情、経済的環境等も踏まえ、社会通念に従って総合的に判断されるべきものである。」と判示し、

2 次いで、上記1の一般論の具体的事例への当てはめとして、当該住専への旧A銀行の関与の状況、整理に至るまでの経緯及び当時の住専処理問題の動向など、旧A銀行の置かれた状況について、事実関係を詳細に列挙、検討した上で、本件債権はその全額が回収不能であったことは客観的に明らかとなっていたというべきであると判示し、

 
その債権相当額について、損失の額として損金算入を認めている(最判平16.12.24 民集58巻9号2637頁)。

(2) 研究の目的
金銭債権が貸倒れ、すなわち回収不能の状態にあり法人税法上損金の額に算入されるか否かについては、従来、専ら債務者の資産状況、支払能力等に着目した判定が行われてきたところである。最高裁判決は、このような債務者側の事情のみならず、債権者側の事情等をもその判断要素に加えるものである旨を判示している。しかしながら、それらの事情等をどの場合に、どの程度勘案すべきかについては、判決自身は明らかにしていない。最高裁調査官の判例解説においても「本判決は、債務者側の事情以外の事情も考慮の対象となることを明らかにしたが、金銭債権の全額が回収不能であるかどうかが債務者の支払能力に大きく依存する以上、回収不能であることが客観的に明らかであるかどうかを判断する上で、債務者側の事情が一般的には大きな比重を占めることは否定し難いであろう。どのような事情がどの程度の重みをもって考慮されるべきかは、個別、具体的な事案における社会通念に従った総合的な判断によって決せられるべきものと考える。」と述べるにとどまっているところである(阪本勝「最高裁判所判例解説民事篇平成16年度(下)」833頁(2007))。
この最高裁判決を巡っては、様々な論評がなされているところであるが、今後の課税実務において、金銭債権の貸倒損失の認定基準は如何にあるべきかについて、より実務的な検討を行う必要があると考える。
そこで、法人が有する金銭債権について、それが回収不能かどうかの判定に当たって、今後の税務執行上、最高裁判決をどのように位置付けていくか、あるいは、どのような基準を設けていくべきかについて、考察していくこととする。

2 研究の概要等

(1) 最高裁判決の特質

イ 最高裁判決の分析
最高裁判決は、当時の旧A銀行の置かれた状況は、それまでの当該住専の経営への関与の状況、社会的批判や機関投資家として旧A銀行の金融債を引き受ける立場にある農協系統金融機関の反発に伴う経営的損失を招くおそれといった点から、損失の平等負担を主張することは不可能であり、完全母体行責任を求める他の債権者に対して自己の有する債権の全額放棄を主張するのが限度であったとの認定をしている。
したがって、このような認定の下においては、当該住専に返済財源があったとしても、旧A銀行にとっては回収可能な金額を有するものではなく、その全額が貸倒れとなる、との判断を示したものと考える。また、こうした考えからすれば、当時の旧A銀行は、当然、損失の平等負担に通じる法的手続を採り得なかった状況下にあったと判断したものといえよう。

ロ 過去の裁判例との比較、検討
過去の裁判例にも、債権者側の事情をも踏まえて回収不能かどうかを判断した事例も存する。例えば、債務者の資産状況、支払能力等や債権者が採用した取立の手段方法のほか、債権者の当該債権に対する評価等を判断要素に含めて回収不能かどうかを判断しているのである。
一般に、法人の有する金銭債権が、法律上それが切り捨てられた場合を除き、回収不能かどうかの判断に当たって、債権者は、通常は、その債務者の状況を詳細に知り得ることは困難であることが少なくないであろうし、債権が法律上切り捨てられるに至っていない状況においてはそれが回収不能かどうかはおよそその債権債務関係の個別の事情によるのであるから、債務者の事業等の状況や将来性、債権者が採用した取立ての手法やその効果などを総合して、当該債務者の資産状況、支払能力等を測定することとなろう。換言すれば、これらは債務者の資産状況、支払能力等を判断するための一要素として機能しているといえる。
したがって、過去の裁判例における認定事例は、このような課税実務に即した内容であるといえるものであり、旧A銀行は債権の全額放棄を主張するのが限度であったのであり、それを前提として専ら債権者の事情を考慮して貸倒れと認定した最高裁判決の認定基準は、その視点が大きく異なるものであるといえる。

ハ 回収可能額の放棄
旧A銀行が債権放棄を行った当時、当該住専においては少なくとも1兆円の返済財源を有していたことが認められ、仮に、損失の平等負担が行われたならば、旧A銀行も債権額の一部が回収ができたこととなる。換言すれば、旧A銀行は、「社会的批判や機関投資家として旧A銀行の金融債を引き受ける立場にある農協系統金融機関の反発に伴う経営的損失」といった回収を強行することによって生ずる損失を回避するために、回収可能であった金額を放棄したとみることもできる。
そうすると、本件最高裁判決の貸倒れの認定は、これまでの裁判例や課税実務からみるとその視点を大きく異にするものであり、むしろ、損失負担等をせざるを得ないという債権者側の事情に大きな比重を置く子会社の整理損の取扱い(法基通9-4-1)に近いものと考えることができる。

ニ 他の金融機関の判断
住専の母体行のうち、その有する住専向け債権を放棄して損金の額に算入したのは、旧A銀行のほか2行であり、それ以外の母体行は、債権の全額かどうかを問わず、住専向け債権の償却について、税務上損金算入していないのである。この点については、「このような事実をみても、平成8年3月末時点での住専向け債権の回収可能性に関する旧A銀行の判断は当時の住専母体行の「通念」からいえば、例外に属するものであったといえる。」との見解も存するところであり、当時の旧A銀行の判断、処理の特異性をみることができる。

(2) 最高裁判決の課税実務上の問題点
本件最高裁判決の「他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情、経済的環境等も踏まえ、社会通念に従って総合的に判断されるべきもの」との判示が、一般論として重要な意味を持ち、およそ金銭債権全般について、それが回収不能かどうかの判断に当たって適用するとすれば、事実認定の要素が極めて広範なものとなる。特に、他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失などといった債権者側の事情は、極めて個別性が強く、また、通常、第三者には容易に確知し得るものではないことから、納税者にとって自己の有する金銭債権が如何なる場合に社会通念上、回収不能と判断されるのかが不明確となるとともに、事実認定を巡って課税庁の裁量により課税処分が行われるではないかとの不安を招き、課税庁にとっても納税者(債権者)の主観的な判断による損金算入のおそれもあり利益調整の余地が生じるとの懸念を抱えることとなると考えられる。

イ 債権者側の事情の範囲
本件最高裁判決は、金銭債権が回収不能かどうかについて、「債務者の資産状況、支払能力等の債務者側の事情のみならず、……債権者側の事情、経済的環境等も踏まえ」判断すべき旨判示しているが、最高裁判決がいう債権者側の事情等が債務者の資産状況、支払能力等を判断する要素として採り上げるものであれば、従来の判断基準、裁判例と軌を一にしているものと考えられる。
しかしながら、最高裁判決は、回収不能の判断要素としての債権者側の事情について、「債権回収を強行することによって生ずる他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等」といったものも挙げており、従来と大きく異なる視点を示している。一般に、債権者が有する金銭債権について貸倒れかどうかを判定する場面においては、既に債務返済についての紛争が生じているのが常であろうから、他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった事情についてまで、課税実務上の基準として作用するかどうかについては、疑問なしとしない。

ロ 法的手続への移行不能
本件最高裁判決は、旧A銀行は社会的批判等を覚悟してまで損失の平等負担を主張することができたとは社会通念上想定し難いとし、法的手続を採り得ない状況を想定した判断である。
しかしながら、自然人であれ法人であれ、紛争が生じた際に法的な手続や司法判断を求める権利があることは、憲法上も保障されたものとみるべきであり、法的手続きをとる権利が全く行使できないという極めて特殊な状況を前提とした判断は、課税実務上、貸倒損失の一般的な基準として用いるには問題が多いものと考える。なぜならば、およそ経済取引における債権債務関係は、私法上の信義誠実の原則を基としつつも、不幸にして債務の弁済が滞った場合には法的な手続によりその履行を請求することができることが法律上の権利として保障されているのであって、経済取引一般もこれを前提に行われているからである。

(3) 最高裁判決の課税実務の観点からの位置付け

イ 住専処理問題の特異性と最高裁判決
本事件には、住専処理問題という未曾有の不良債権処理問題が存在し、本件最高裁判決の背景、事実関係には極めて特異なものが存在する。

1 本件最高裁判決は、当時の旧A銀行の置かれた状況は、完全母体行責任を求める他の債権者に対して、自己の有する債権の全額放棄(いわゆる修正母体行責任)を主張するのが限度であったとの認定をしている。
このような状態は、通常の債権者にはあり得ない状況であり、旧A銀行は、その折衝如何によっては、債権全額の放棄に加えてJ社の処理損失まで負担する可能性があったという、いわば一種の債務者にも等しい立場にあったともいえるのであり、通常の債権債務関係とは異なる特異性を有する事案であった。

2 本件最高裁判決は、旧A銀行は社会的批判等を覚悟してまで損失の平等負担を主張することができたとは社会通念上想定し難いとし、法的手続を採り得ない状況を想定した判断を示しているが、一般的に、債権債務関係において、債務の弁済が滞った場合には法的な手続によりその履行を請求することができることが法律上の権利として保障されていることを前提に経済取引は行われているのであり、この点も非常に特異な事案であるといえる。

3 住専処理問題は、未曾有ともいえる不良債権処理問題であり、政府による処理スキームの策定、損失処理等のための立法措置があり、6,850億円の巨額の公的資金の投入を巡る世論の批判、国会審議の紛糾など、一種の社会問題化した事案といえる。そうした中、旧A銀行としては、当時の償却証明制度などをはじめとする金融当局の監督体制等をも踏まえれば、債権全額の債権放棄、貸倒損失の計上といった方針を採らざるを得ず、もはや純経済人しての経営判断を超えた判断を求められていたということができよう。

 
以上のように、本事件における債権放棄には、通常の金銭債権の貸倒れの場面とはその背景、事実関係に極めて特異なものが存在していたことが明らかであり、本件最高裁判決もそうした状況を踏まえて、貸倒れの認定要素として、「………他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情、経済的環境等」という従来の裁判例や課税実務とは異なる視点の基準を挙げたものということができよう。

ロ 最高裁判決の射程範囲についての私見
本件最高裁判決が示した貸倒損失の認定基準は、一般的な基準として採用するには問題が多いこと、その要因となっているのは同判決の背景、事実関係には極めて特異なものが存在することを明らかにしてきた。
そこで、今後の課税実務上の位置付けとして、判決の射程あるいは判決が示した貸倒損失の認定基準を用いて回収可能性を判断する事案が出現するかどうかについては、どのように捉えたらよいのであろうか。

1 不良債権の処理の方策としては、平成8年3月期当時における金融当局の償却証明制度に基づく貸倒損失又は債権償却特別勘定の計上は、平成9年9月中間決算までの取扱いで廃止され、更に平成10年税制改正により債権償却特別勘定が廃止されて現行の制度となっている。現行制度は、本事件当時の制度に比して、法人の経営判断の下、その債権の劣化の度合いや債権放棄等の事情に応じて、柔軟に対応できるともいえるもので、今後、直ちに本事件と類似の案件が出現する可能性は低いものと考える。

2 最高裁判決後に課税当局が設置した事前照会窓口の状況は明らかではないが、当初、課税当局が想定したような、本件最高裁判決に示された貸倒れの認定基準を踏まえて回収不能かどうかを判定する事案は、寄せられていないものとみられる。類似事案に関する事前照会が寄せられていないとすれば、それはどのように考えたらよいのか。本件が住専処理という特異性を背景とした個別事案であったとも考えられよう。

3 さらに、納税者側における「………他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情、経済的環境等」の点の立証の困難性も挙げられよう。
本事件においては、損失処理に関する金融当局の関与、政府による処理方策の策定、関係者間の折衝状況、国会審議の状況などから、その背景、事実関係の主張、立証が比較的容易であったとも考えられるが、通常、本件最高裁判決がいう「他の債権者とのあつれきなどによる経営的損失等といった債権者側の事情」などといった事柄は第三者には容易に知り得ないものであり、そのような事情により債権の全額が回収不能であることが「客観的に明らか」との立証は困難を伴うと考えられる。一般的な債権債務関係において、こういった本事件と比肩するような個別の背景、事実関係から債権者側の事情を主張する事案の発生は低いものと考えられる。したがって、その射程範囲も自ずと狭いものとなろう。

(4) 今後の認定基準の考え方

イ 最高裁判決と認定基準
これまで考察してきたように、本事件の最高裁判決は、過去の裁判例や課税実務とは異なる視点からの認定基準を加えて貸倒れの判断を行っているものであり、そこには、債権の全額放棄が限度であり、また、そのため法的手続など採り得なかったという特殊事情や、政府や金融当局の関与、世論の動向、国会審議の紛糾、更には当時の金融機関の不良債権償却実務の特質などが背景、事実関係として存在しているものである。したがって、課税実務一般の貸倒認定基準との関係においては、本件最高裁判決は、特異な事実関係を前提にした個別事案に係る判断であると位置付けざるを得ない。

ロ 今後の貸倒損失の認定基準の考え方

(イ) 今後の貸倒損失の認定基準については、従来と同様に、まず、第一義的には債務者の状況から回収不能かどうかを判断し、更に債権者が採用した取立ての手法やその効果などの一般的な「債権者側の事情」をも加味して、債務者の資産状況、支払能力等を判断し、その全額が回収できないことが明らかかどうかの判定を行うこととなろう。したがって、一般課税実務においては、回収不能の判断に当たっての債権者側の事情とは、債務者の資産状況、支払能力等を判断する(補完的な)一要素と考えるべきである。

(ロ) ただし、本件最高裁判決は、債権者をとりまく状況によっては、当該債権者の事情を広く斟酌して回収不能かどうかの判断を行うべしと判示したものであり、この点、今後の課税実務に与える影響は大きいものがある。したがって、本事件の特殊な背景、事実関係に比肩するような、あるいは類似する事案が生じ、かつ、イに述べた基準のみによっては回収不能かどうかが直ちに判定できない場合には、その判定に当たっては、最高裁が示した基準をも踏まえつつ、債権の全額が回収不能であることが「客観的に明らか」かどうかを「社会通念に従って総合的に判断」することとなるのである。
なお、この場合においては、その事情のいかんによっては、回収不能かどうか、すなわち貸倒損失に当たるかどうかを判定するのみにとどまらず、個別評価金銭債権に係る貸倒引当金制度の適用や、それが子会社等を整理するため又は再建するための債権放棄であるときには法人税基本通達9-4-1(子会社等を整理する場合の損失負担等)または同9-4-2(子会社等を再建する場合の無利息貸付け等)の適用も視野に入れた検討が必要となる。

(ハ) 求められる課税庁の対応
貸倒れを巡る事例は、債権者と債務者との個別事情によることが大きく、その認定基準の考察に当たっては、「これまでの判決から抽出された要因や判断基準が、個別の事案における個別の事情に止まることが多く、事実認定をする際の決定的基準としては十分に機能し得ないことも念頭に置くべきであろう」との指摘もあながち否定できるものではない。
課税庁が最高裁判決後に行った事前照会窓口の設置は、個別事案の妥当性を担保できるものであるとして、本判決に対する賛成する立場、反対する立場の双方から一定の評価を得ているものと思われるが、今後とも、課税庁においては、貸倒損失についての事例の集積に努め、その公表あるいは事前照会などへの対応の充実を通じて納税者の予測可能性を高め、課税の公平を図っていく必要があろう。

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