宮脇 義男

税務大学校
前研究部教育官


要約

1 研究の目的(問題の所在)

 現行の相続税の課税方式(法定相続分課税方式)は、1遺産分割の習慣が定着していない状況下では、税務執行上、仮装分割などを防止することが困難であること、2分割容易な遺産と困難な遺産(農地、事業用資産等)との税負担が不均衡となること等を考慮して導入されたものであるが、現在においては、導入当時の状況に変化が認められるとの指摘があるほか、相続税の課税ベースや事業承継に係る優遇措置の見直しに関する議論が見られる。本研究は、このような状況の下、我が国相続税の課税方式や計算構造の在り方についての考察を行うものである。

2 研究の概要

(1) 平成20年度税制改正における議論
政府税制調査会が平成19年11月に公表した答申「抜本的税制改革に向けた基本的考え方(平成20年度答申)」では、相続税・贈与税を巡る近年の議論を踏まえ、地価の下落、経済のストック化、高齢化の進展、公的な社会保障制度の充実等の相続税を巡る環境の変化からすれば、「これまでの改正により大幅に緩和されてきた相続税の負担水準をこのまま放置することは適当ではなく、相続財産に適切な負担を求め、相続税の有する資産再分配機能等の回復を図ることが重要である」と指摘している。次に、相続税の課税方式について、法定相続分課税方式における問題点、すなわち、必ずしも個々の相続人の相続額に応じた課税がなされないこと、一人の相続人の申告漏れにより他の共同相続人にも追徴税額が発生すること、及び事業承継等の各種特例が事業を承継しない他の共同相続人の税負担をも軽減する効果を有し、特例の拡充はこの問題の増幅につながることを指摘した上で、「課税方式のあり方については、・・・、導入当時からの相続の実態の変化や各種特例の整備状況も考慮し、さらに具体的かつ実務的な検討が必要である」と指摘するとともに、事業承継税制について「課税の公平性等の観点からも許容できる、経済活力の維持のために真に効果的な制度とする必要がある。現行の各種特例を拡充することに関する前述の問題点にも留意しつつ、相続税制全体の見直しの中でさらに検討を進めることが必要である」と指摘している。
また、平成19年12月13日に決定した与党の「平成20年度税制改正大綱」では、さらに具体的に、中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律案の制定を踏まえ、平成21年度の税制改正において、事業の後継者を対象とした取引相場のない株式等に係る相続税の納税猶予制度を創設することを決定したが、この新しい事業承継税制の制度化にあわせ、相続税の課税方式を遺産取得課税方式に改めることを検討するとともに、格差の固定化の防止、老後扶養の社会化への対処等を踏まえ、相続税を総合的に見直すことが表明された。このような与党の決定を受け、財務省原案(平成20年度税制改正の大綱(平成19年12月19日))及び政府案(平成20年度税制改正の要綱(平成20年1月11日))にも同様の改正案が明示されている。
一方、民主党税制調査会が昨年12月26日に公表した税制改革大綱(民主党税制改革大綱−納税者の立場に立ち「公平・透明・納得」の税制を築く−)では、相続税について世代間格差縮小の観点からの見直しが必要との観点から、相続税の課税ベースの拡大や税率構造の見直し、事業承継税制の大幅な拡充を提言する一方、相続税の課税方式については、富の一部を社会に還元する考えに立つ遺産課税方式への転換を検討すべきことを表明している。
与党の税制改正大綱における表明は、真に必要な者にのみ事業承継税制の恩典を与えるべきとの方向性が強く働いた結果のように思われる。また、民主党は、課税ベースの拡大等の相続税を巡る方向性は与党とほぼ一致しているにもかかわらず、課税方式については与党と対立する方向性を示していることから、今後、国会などの審議において、相続税の課税方式の在り方について取り上げられる可能性が充分にあるものと考えられ、今後の議論の動向を注視するとともに、各課税方式の長所及び短所を踏まえつつ、あるべき方向性を模索する必要があるものと考える。

2 課題と方向性

 今後の相続税の課税方式の検討に当たっては、前記1のように、相続税の課税ベースや事業承継税制に関する検討とセットで行われることとなるが、これは、法定相続分課税方式が導入された昭和33年度の税制改正では課税方式に関する議論が税負担緩和(基礎控除の引上げ、税率緩和)の方向性の中で行われていたのとは逆に、課税ベースの拡大や事業承継への配慮(事業用資産を相続する者のみに優遇措置が講じられるような仕組み)などを同時に実現しつつ検討していくこととなることに留意が必要である。
このような状況の下、政府が検討することとしている遺産取得課税方式へ転換するに当たっては、例えば、次の事項について検討する必要があるものと考える。

(1) 基礎控除
法定相続分課税方式の下における現行の相続税の基礎控除の額は、定額控除(5,000万円)と法定相続人比例控除(1,000万円×法定相続人数)との合計額により求められるが、これは課税価格の合計額から直接控除するものであり、分割後の個々の遺産額からそれぞれ控除する仕組みとはなっていない。したがって、現行の比例控除は、個々の納税義務者に対応して適用するという性格を有するものではなく、この点は、法定相続人の数と実際に遺産を取得した者(納税義務者)の数との乖離が大きいほど顕在化することとなる。また、定額控除の存在の結果、相続人1人当たりの基礎控除の額は法定相続人の数に応じて変動することとなる。さらに、現在は制度上の手当てがなされているが、かつては、養子縁組により法定相続人の数を意図的に増やして基礎控除を増額することによる節税策も生じていた。これらの結果、同じ遺産額を相続する場合であっても税額が異なる場合が生じ、政府税制調査会の平成20年度答申における個々の相続人の相続額に応じた課税がなされていないとの批判の原因となっている。
遺産取得課税方式においては、個々の納税義務者ごとに基礎控除の額を設ける必要が生ずるため、上記の問題点を解決することができる。もともと事業承継の円滑化に配慮して設けられた定額控除については、これを廃止することにより、課税ベースの拡大と事業用資産を相続しない者にまで控除の恩典を与えないという両方の要求を満たすことができる。しかし、その結果として、一つの相続において、相続税額が発生する者としない者とが生じることが考えられる。

(2) 税率
基礎控除の金額や税率について、被相続人と納税義務者との親疎の別によって差異を設けるべきかどうかも検討課題となる。現行制度においても、相続税額の2割加算制度(相税18条)が存するが、これと同趣旨の制度を基礎控除の額及び税率に差異を設けることにより対応することが考えられる。
一方、贈与税との累積課税の関係では、相続税と贈与税について統一した税率表を設けることも考えられる。

(3) 贈与税
相続税の課税方式を遺産取得課税方式に改めた場合における贈与税の取扱いについて、まず、生前贈与による相続税負担の回避を防止するための機能をどのように仕組むのかを検討する必要がある。すなわち、1現行制度と同じように、相続税とは別に贈与税を課税する仕組みとするのか、2生前贈与と相続とを累積して課税する仕組みとするのか(昭和25年度税制改正後の制度)との検討が必要となる。1の場合については、さらに、生前贈与のみの累積課税とするかどうか(累積するとしたら期間に制限を設けるかどうか)、相続開始前の贈与財産を相続財産に加算するかどうか(加算するとしたら何年前までとするかどうか)との選択肢が考えられる。また、2の場合には、生前贈与の都度累積するのか、それとも相続時に一括して精算するのか、累積期間に制限を設けるのかどうかとの選択肢が考えられる。さらに、1及び2において累積課税の仕組みを設ける場合には、個々の贈与者ごとに課税価格を分けて税率を適用するのか、それとも合算して適用するのかの選択肢が考えられる。累積期間については、アメリカのように無制限とすることは執行上の負担が大きいものと考えられ、執行上の対応可能性から判断する必要がある。

(4) 相続時精算課税制度
前記(3)の累積課税との関係で、現行の相続時精算課税制度は、同一人からの複数の生前贈与をその都度累積するのではなく、相続時に一度にまとめて精算して課税する仕組みとなっているが、これは、現在の法定相続分課税方式の下では、生前贈与の都度累積して課税しても、相続時における相続税の額が確定するまでは、その生前贈与に係る贈与税の額も確定しないこととなるためによる。しかし、遺産取得課税方式に変更した場合には、このような相続税の課税方式に起因する制約はもはや存在しなくなることに留意が必要と考えられる。
また、現行の非課税枠(2,500万円)は、現行の相続税の基礎控除の水準を勘案して設定されたものであるため、相続税における課税ベースの拡大(基礎控除額の縮小)に対応して、見直す必要があるものと考える。

(5) 贈与税額控除
現行の相続開始前3年以内に贈与があった場合の相続税額(いわゆる3年加算、相税19条)は、相続等により財産を取得した相続人等のみが対象(生前贈与を受けても相続時に財産を取得しない者は対象外)となるため、3年加算に係る贈与税額控除も当該相続人等しか対象とならない。しかも、仮に、生前贈与に係る贈与税額が相続税額を上回っても、還付が認められていない。一方、相続時精算課税制度の場合は、相続等により財産を取得しない相続人等も対象となり、贈与税額の控除が認められ、しかも、相続時精算課税制度に係る贈与税額が相続税額を上回っている場合(相続税額が存しない場合を含む)は、還付申告が認められる。
両者の相違は、制度趣旨の違いにより一応の説明はできるものと考えられるが、新たな課税方式の下で、今後もこのような相違を残していくべきかどうか検討する必要があるものと考える。なお、累積課税方式の下で、相続税と贈与税の控除及び税率を統一すれば、税額の還付が生ずることは想定できないことから、このような問題は存在しなくなるものと考えられる。

(6) 納税地
続税の納税地は、現行法の本則では、納税義務者とされる相続人や受遺者の住所地とされ(相税62条1項)、相続税の申告書の提出先もその納税地(住所地)の所轄税務署長とされている(相税27条1項)。ただし、当分の間の取扱いとして、被相続人の死亡の時における住所地をもって申告すべき相続税に係る納税地とされ(相税附則3項)、これにより、相続税の申告書の提出先も被相続人の住所地の所轄税務署長に置き換えられている。これは、遺産取得課税方式が採用された昭和25年度の税制改正において、課税上又は納税上の理由を勘案して講じられたものであり、法定相続分課税方式が採用された昭和33年度の税制改正においても存置され、現在まで維持されているものである。
法定相続人課税方式においては、自ら取得した相続財産のみでなく、他の相続人等が取得した相続財産の額が自らの税額に影響するため、被相続人の住所地を納税地とし、全ての相続人等に係る申告を一括して行うことには相当の理由が存在していた。遺産取得課税方式に変更した場合においても、執行上の便宜を考えれば引き続き被相続人の住所地とすることが適当との考えもあるが、法定相続分課税方式における上記の事情はもはや存在しなくなることに留意が必要と考えられる。

(7) 連帯納付義務
連帯納付義務(相税34条)は、相続税は被相続人の財産に課せられるものであってこれを相続人が連帯して負うべきであるとする遺産課税的な発想からくるものであり、各相続人が取得した財産に対してそれぞれ独立に課税される遺産取得課税方式の下で連帯納付義務の制度を仕組むことは理論的に難しいとの指摘があり、連帯納付義務を廃止すべきとする主張が存在する。現行の法定相続分課税方式の下では、遺産課税的な要素を有しているため、このような主張を退けることもできるものと考えられるが、遺産取得課税方式に変更する場合には、そのような説明はできなくなり、連帯納付義務を存続させるためには、別の観点からの根拠・必要性を提示することが求められることとなる。

(8) 法人受贈者
現行制度でも生じうるが、遺産取得課税方式においては、遺産の取得者に対してその取得額に応じて課税する仕組みであり、その取得者は相続人や受遺者たる「個人」に限られるため、法人が遺贈により取得した財産は、一律に相続税の対象外(法人税の対象)となる。非営利法人や人格のない社団等に財産を移転することによる相続税逃れを防止する観点からは、別途、そのような法人に対して相続税等を課税する制度(相税66条)があり、平成20年度の税制改正において、同制度について新たな非営利法人制度の発足に対応した一定の適正化措置が講じられている。ただし、今後、法人設立の態様や剰余金分配の取扱いに見られるように、営利法人と非営利法人との均一化傾向が進むとすれば、今後、非営利法人等に対してのみこのような制度が存することの有効な理由を見出し難くなる状況が考えられる。
なお、遺産課税方式であれば、分割前の遺産全体に課税する以上、遺産取得課税方式のように、遺産の受け手の属性(個人・法人、営利法人・非営利法人)を問うことは基本的に必要とせず、課税上、同様の扱いとなるものと考える。

(9) 信託受益権の評価
これも現行制度でも生じうるが、信託の場合、受益権を分割し、例えば、収益受益権と元本受益権とを分割して別々の者が相続した場合、遺産取得課税方式の下では、それぞれの受益権の評価を行う必要性が生じ、財産評価の面で困難な問題を生ずることとなる。今後、新たな信託法の下で民事信託の活用が促進されれば、なおのこと問題が顕在化することが考えられる。
一方、遺産課税方式であれば、遺産総額を把握すればその分配にまで立ち入らずに課税できるため、信託受益権の評価についても全体を捉えて行うことができ、比較的容易であると考えられる。

(10) 仮装分割への対応
相続税の課税方式が遺産取得課税方式から法定相続分課税方式へ変更された理由の一つとしては、前述のとおり、税務執行上、仮装分割などを防止することが困難であることが挙げられているが、遺産取得課税方式に戻すことにより、仮装分割への対応の是非を再び検討する必要性が生ずることとなる。この点については、遺産分割の習慣が定着していなかった当時とは異なり、相続人の権利意識の高まりや遺産分割の習慣が定着してきているとの指摘により、仮装分割への対応を検討する必要は特にないとの考えもある。しかし、遺産分割の習慣の定着化傾向は、仮装分割による税負担軽減行為を行うインセンティブが相当程度減殺される法定相続分課税方式を採用したためと考えることもでき、また、近年における累次にわたる相続税の負担緩和により、分割を仮装してまで税負担軽減を図る実質的なインセンティブが更に軽減した結果と見ることもできる。したがって、今後の相続税の課税方式の変更が課税ベースの拡大を伴うことを考慮すると、今後、遺産分割を仮装した相続税回避を誘発する懸念も念頭に置いておく必要がある。

3 結論

 仮装分割による相続税回避には、1実際の遺産分割の内容よりも細分化したことを装って申告するもの、2法定相続分よりも少ない者により分割したにもかかわらず未分割として相続税法第55条(未分割遺産に対する課税)を適用し、法定相続分により申告するもの、という大きく二つの類型に分けることができる。
上記1については、仮装分割が判明した時点で、修正申告や更正処分により申告内容を是正することは勿論のことであるが、実際には、遺産分割をやり直したりすることも考えられるところであり、その度に相続税の申告内容を是正していたのでは、制度の安定性を損なうこととなる。また、事実に基づく遺産分割であっても、専ら節税目的で分割を行うことも十分に考えられるところである。したがって、新たな遺産取得課税方式の下においても、遺産分割の形態に対して中立的な仕組み、すなわち、遺産課税的な要素を何らかの形で残しておく必要があるものと考える。
また、現行相続税法第55条は、遺産分割がされた後でないと相続税の申告ができないこととすると、いつまでも未分割の状態にして相続税の申告を故意に遅らせることが想定されるため、そのような行為に対処するために講じられたものとされる(昭和25年度税制改正)。勿論、実際には、相続税回避の意図がなく、親族間で折り合いがつかず結果として未分割の状態となるケースもあろうが、上記2のような行為は、この制度を言わば逆手にとって悪用するものであり、このような行為に対する対応が必要となる。したがって、上記2のような行為に対処しつつ、新たな遺産取得課税の実効性を確保する観点から、申告期限までに遺産分割が整っていない財産(未分割遺産)に対しては、その財産全体に対して課税、すなわち、遺産課税方式により課税することが必要となる。

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