佐々木 幸男

税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的

 近年における情報通信革命と金融革命の同時進行は、経済取引に急激な変革をもたらしており、その中心の一つに数えられるのが新たな金融取引の展開である。そして、このような金融取引の展開が、実物取引や伝統的な金融商品・金融取引(以下「金融商品等」という)などから生ずる所得を中心に築かれてきたこれまでの課税制度や執行体制の下で、新たな金融商品等から生ずる所得についての課税方法の不明確化、各種の金融商品等を利用した多様で複雑なタックス・プランニングの発生、適正課税の困難化など、制度・執行の両面にわたって様々な問題を投げかけている。
このような状況を踏まえ、金融取引の発展に伴って生じている様々な課税問題の根源や本質はどこにあるのか、またこうした問題に的確に対応するには現実的にどのような方策や課題があるのかといった観点から、この研究を行うこととした。

2 研究の概要

(1) 金融取引の発展が惹き起こす課税上の問題点
近年、金融商品等に関する課税問題は、金融取引の発展等と歩調を合わせるように複雑化・顕在化しながら拡大してきているが、このような問題の根本を探ってみると、その多くは、従来から所得課税制度等に内在している基本問題であることがわかる。
この基本的な問題を所得課税の視点から整理してみると、まず、実体法上の問題として1課税時期の変更 (課税の繰延べ)、2所得種類の変更、3所得の帰属者や源泉地の変更などが挙げられ、そのほかにも、国際課税上の問題や執行等に関する問題などを挙げることができる。また、法人・金融所得などの海外逃避や軽課等により税収の減少等が進めば、労働所得や消費などによる税収の確保(課税強化)への要請が相対的に高まることが予想されるなど、税体系全体のあり方さえもが問われることになる。

(2) 金融商品等に関する課税問題への対応と課題
この研究においては、金融商品等に関する基本的な課税問題を検討するという視点に立って、先に掲げた問題の中から(イ)実体法上の問題(中でも課税繰延べと所得分類の問題)と(ロ)実態把握の困難化の問題を取り上げ、その対応の方向性や課題について検討を行うこととした。

イ 実体法上の問題への対応と課題

1 課税時期の変更への対応と課題
わが国の所得課税の理論的基盤とされている包括的所得概念の立場から見ると、実定法である所得税法や法人税法が実現主義を採用していること自体が、課税繰延べ発生のそもそもの原因と言うことができる。また、このような理念的な立場を離れたとしても、実定法が採用する実現主義の下で取引や資産の選択等により課税所得に係る損益の計上時期を操作できるということが、課税繰延べ発生の大きな要因となっている。本稿では、このような基本構造を念頭に置きながら、金融商品等の課税繰延べ問題への対応の仕方などを考えていく。
まず、法人税においては、平成12年度改正で一部の金融商品等について時価主義の導入等の改正が行われたことにより、時価評価の対象とされた売買目的有価証券、デリバティブ取引等についての課税繰延べ問題は、ほぼ解消されたと考えられる。ただ、国際的な企業会計の分野において全面時価会計導入の動きが見られることや、今後の金融理論や金融工学の発展に伴いより多様で精緻な評価手法の出現が予想されることなどを考えると、今後とも、課税上時価評価等を適用すべきものの範囲やその評価手法などについては、その検討や対応を的確に行っていく必要があろう。その際、大量・反復性を持ち、背後に強制徴収力をも備えるという租税の性格上、課税所得の認識についてはより高い客観性と確実性が求められることに留意する必要がある。
一方、所得税においては、法人税のような時価評価等の導入は行われていない。個人の場合には、法人と異なり、一般的に時価評価等を受け入れる制度的・人的基盤が十分でないことや、キャッシュフローがない段階での納税に対する抵抗感も強いことなどが、導入を行わなかった大きな理由の一つになっていると考えられるが、このような事情を勘案すると、個人については、対象を金融商品等に限ったとしても、現時点での時価評価等の導入はあまり現実的な選択ではないというようにも考えられる。また、個別的な対応ということも考えられようが、それには自ずと限界があるし、複雑化を招く等の問題も発生する。このように、課税繰延べに関し、所得税において金融商品等一般に適用できる対応策を見出すことはなかなか難しいと考えられるが、現状においても所得内の収益・費用の対応や損益通算の制限等に費用の前倒しなどをある程度抑制する効果があることが指摘されていることを踏まえれば、所得種類又は取引ベースでの所得・控除項目対応の厳格な適用や損益通算の制限の活用など、現実の納税環境や税制を踏まえた対応の検討というものが、ますます重要になってくると考えられる。

2 所得種類の変更への対応と課題
所得種類の変更の問題は、所得をその源泉や発生態様などにより分類し、差別課税を行っていることから生じているのであるが、このような所得分類と課税の差別にも、担税力の違いへの配慮や適切な徴収方法の選択などの観点から積極的な意義が認められている。こうした所得分類の意義を認めるとしても、所得分類の目的自体の妥当性や、その目的と実際の所得分類との整合性などは、社会経済情勢の変化を踏まえつつ常に検証されなければならない。こうした観点から、税制調査会の『個人所得課税に関する論点整理』では、不動産所得の区分の廃止などを今後の課題として掲げており、このような検討が更に広く進められることが期待される。
また、現在所得税で進められている金融所得課税の一体化は、現行の所得分類の下でも、各種の金融所得間の課税を極力同じにして租税裁定の誘引を低く抑えることにより、所得種類の転換等による課税逃れを抑制する効果があると考えられるが、課税の一体化の過程で残されている課題や、一体化を進めることにより新たに発生する問題も少なくない。他方、これと関連して言われる「金融所得」という新たな所得区分の創設については、これを支持し、統一的な課税を実現すべきという主張が行われる反面、その創設による税制の複雑化や金融所得の定義の困難さなども指摘されている。このような所得分類に関する議論の中から窺えることは、所得分類の抜本的な見直しに当たっては、現在及び将来を見据えた担税力概念の整理と再構築、物的所得区分と人的所得区分のあり方、法人税との調整の必要性など、検討・整理すべき基本的な課題が山積しているという現実である。
このような状況を踏まえると、金融商品等から生ずる所得については、新たな所得区分を設けるか否かに拘わらず、まずはその検討の前段階として、金融商品等の種類、仕組、法的・経済的な性格、取引・保有の状況などの現状と将来の動向を把握・分析するとともに、課税の差異の合目的性、他の所得や金融所得相互間の課税のバランス、税収への影響、官民のコスト、執行可能性、国際的な調和などの問題点を明確に認識し、分析・検討することが必要であろう。

ロ 実態把握の困難化への対応と課題

1 法定調書制度の枠組み等
現在、金融商品等などに関する各種の法定調書の多くは個別税法の定めによりその提出等が義務付けられているが、これらの法定調書の範囲や内容は、その税法に定める個別税目の適正な納税義務の履行の確保という趣旨との関連で一定の制約を受けざるを得ないものとなっている。これに対し、「内国税の適正な課税の確保を図るための国外送金等に係る調書の提出等に関する法律」の目的規定には、次のような点において、今後の法定調書制度等のあり方を考える上での重要な示唆が含まれていると考えられる。
その第一は、すべての内国税を守備範囲としている点である。このことは、特に取引当事者や取引内容などの多様化・複雑化等が進む金融商品等の分野においては、資料情報の範囲の拡充、展開可能性、効率化等の観点から重要である。第二は、「国税当局による把握」や「課税の適正化」という表現を用いて法定調書制度の本質と課税当局の能動的役割を宣明している点であり、課税当局による制度拡充等への積極的な関与が重要であることを再認識させられる。第三は、「取引」や「財産」という資料情報の内容を明示していることであり、これまで十分ではなかった取引形態や資産そのものの資料情報の拡充の一助となることが期待される。
以上のような評価に立てば、今後の法定調書等の制度は、より広範で効果的・効率的な資料情報を得るためにも、その全体をまとめて税目横断的なものに再構築し、課税当局が積極的にその充実や多様化を図りやすくする方向で検討されるべきと考える。
また、法定調書は法定された内容等について画一的に提出等を求めるものであることから、柔軟性や機動性に欠ける面がある。金融商品等及びその媒体等の多様化・複雑化の更なる進展等を考えれば、既存の制度との調整を図りつつ、一定の制限の下で課税当局が適時に一定の資料情報の提出を求めることができる制度を創設することを、検討課題の一つに加えてもよいのではなかろうか。

2 その他
その他の実態把握の困難化の問題に関しては、1居住地国での課税の確保のための国際的な情報交換の重要性が更に高まってきていることから、そのための条約、国内法の整備等が求められるほか、2源泉徴収を中心とした課税方法についての批判や国際的な動向を踏まえれば、資料情報の充実や効率的な事務運営のための重要な基盤となる納税者(金融)番号制度の導入については、より積極的な検討が望まれる。
また、執行サイドにおいても、自らの努力により商品内容や利用実態に関する情報の積極的な収集・分析・整理とその成果を踏まえた 資料源・調査手法の開発や部内関係部署への情報提供などの取り組みをより充実させていく必要があるほか、収集された情報等を基に制度改正が必要なものについて具体的な問題提起を行うなど、より迅速で的確な制度化に結びつけていくための基盤整備を図っていくことが重要となってこよう。

3 結びに代えて

 この研究では、先に述べたように、金融商品等に関する課税問題のうちごく基本的なものを取り上げ、できるだけ現実的な対応等を探ってみることとした。その結果は以上に述べたとおりであるが、この研究の中で、求められる対応の陰には更に解決すべき多くの課題が潜んでいることを改めて認識させられた。本稿で問題のすべてを取り上げることができず、また、対応の方向性や課題が抽象的なものにとどまった感は否めないが、いずれの問題も制度と執行の両分野が共通の認識を持って協力し、補い合わなければ前進しないものである。特に金融商品等については、まずは、検討の前提となる金融商品等の仕組みや実態の把握・分析等を的確に行うための、また、その成果を実施に移すための立法・執行の連携の強化などが、より広い意味での課題となっていると言えるのではなかろうか。

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・656KB