松田 直樹

税務大学校
研究部教授


要約

1 問題の所在と研究の目的

 租税回避スキームに対して十分な対応を行うためには、プロアクティブな対抗策と事後的な対抗策を織り交ぜた多角的なアプローチを採用することが肝要である。かかる観点から、昨年度の研究(「租税回避行為への対抗策に関する一考察」税務大学校論叢52号)では、主なコモン・ローの国々である米国、カナダ及び英国の対抗策に目を向け、プロモーターに対するぺナルティ制度やプロアクティブな対抗策の代表例であるタックス・シェルター開示制度の実態分析を行い、その立脚する視点の重要性と我が国への示唆を踏まえた上で、我が国におけるペナルティ体系の再構築の方向性やプロアクティブな対抗策のあり方を論じた。今年度の研究においては、事後的な対抗策の代表例である包括的否認規定・法理の我が国における潜在的有用性と限界を論考する。
我が国の現行制度の下では、租税回避行為に対するプロアクティブな対抗策が不十分なものとなっているが、事後的な対抗策も、個別否認規定を整備することに終始するという域から殆ど脱しておらず、少なからぬ限界を有している。確かに、かかる限界は、立法化されていない否認の法理によって、ある程度補完することが可能であり、予てより、かかる限界を補う機能を果す上で主役を演じてきたのが実質課税の原則(実質主義とも称される。)である。同原則は、昭和36年の国税通則法の制定の際の税制調査会答申では、条理の原則であるとされ、ドイツのライヒ租税法4条が立脚する経済的観察法に依拠するような課税を可能にするものであると位置付けられるなど、その有用性がかなり評価された時代もあった。
ところが、実質課税の原則の否認機能は、最近の租税法律主義の優位という趨勢の下、低下してきており、昨今では、実質主義の適用は、法的実質主義に限定され、真実の法律関係を離れて経済的な目的や効果に即して課税を行う経済的実質主義の適用は、基本的には認められないと解するのが通説となっている。実質課税の原則の復権を図らんとして、「私法上の法律構成による否認論」や包括的否認規定の導入論が主張されているが、これらの主張も、租税法律主義という壁に阻まれ、その有用性は限られていると解する向きが少なくない。現行の事後的な対抗策については、このような限界・問題点が認められるものの、実質課税の原則に代わるような否認手段は、未だ、十分に合理的な根拠に支えられた明確かつ具体的な形で示されるには至っていないというのが実状である。
本研究は、上記のような実状に鑑み、個別否認規定の整備という手段に内在する問題点と限界を補完して我が国の事後的な対抗策を強化する手段としては、如何なる選択肢が想定され、その根拠はどこに見出し得るのか、また、その潜在的有用性はどのように評価し得るのかなどの考察を行うことを主な目的とするものである。かかる問題意識の下、本研究では、経済的実質主義の有用性が高い米国及び経済的観察法の母国であるドイツに目を向け、実質主義の実態を分析する。また、欧州の主な市民法の国であるフランスにおいて依拠されている包括的否認規定・法理の機能を分析し、かかる法理の欧州における今日的な位置づけをも考察する。このような分析・考察を通じて、我が国の事後的な対抗策を補強するための論理はどのように組み立て得るのかを論考する。

2 研究の概要等

 「私法上の法律構成による否認論」に代表されるように、我が国における事後的な対抗策の強化手段を模索する最近の動きは、個別否認規定を基本とする事後的な対抗策の限界を補う機能を長い間果してきた実質課税の原則の復権を図るというアプローチを採用したものが殆どである。例えば、包括的否認規定の導入を主張する者の多くが想定しているのも、実質課税の適用範囲の拡大に繋がるような制度設計である。本稿では、我が国における実質課税の原則の変遷を辿り、また、主な諸外国の包括的な否認規定・法理の分析を通じて、上記のようなアプローチが最も妥当なものであるか否かを検討するとともに、その他の事後的な対抗策の強化方法としては、どのような包括的な否認アプローチがあり、その我が国における位置づけやポテンシャルを探っている。
まず、本稿の第1章(『我が国における実質主義』)では、国税通則法が制定された頃と最近の実質課税の原則に対する考え方の趨勢が、どのように異なっているのかを主な判決・学説等を通じて分析し、我が国における実質課税の原則を巡る議論の変遷を辿っている。従来、条理の原則であると位置づけられていた実質課税の原則は、最近の租税法律主義の優位性の高まりを背景として、その適用範囲がかなり狭められる傾向にある。この点は、我が国におけるウェストミンスター原則を示したものとも位置づけられ得るI事件に対する東京高裁平成11年6月21日判決に如実に現れており、実質課税の原則の射程範囲を狭く解することを善しとしない「私法上の法律構成による否認論」も、昨今における実質課税の原則を巡る議論の趨勢に大きな変化を迫るものとはなっていない。
第2章(『米国における実質主義』)では、我が国の実質課税の原則の否認機能を強化する可能性を検討するという観点から、経済的実質主義による否認機能が高いレベルにある米国の実態を考察している。確かに、米国における経済的実質主義の有用性は低いものではないが、その適用基準(「二股テスト」)の解釈を巡る裁判所の立場は、必らずしも一貫していない。かかる状況の改善を図るなどの観点から、経済的実質主義の立法化案(代表的なものは上院が示した「三股テスト」とも称される案)も議論されているが、財務省や内国歳入庁は、経済的実質主義の立法化によって状況が改善するとは言い切れないとして、「三股テスト」の採用には必ずしも賛同しておらず、対抗策の強化は、むしろ、タックス・シェルター開示制度の実効性を高めるという方向で進展している。
第3章(『ドイツにおける包括的否認法理』)では、我が国の法体系に大きな影響を与えたドイツにおける実質主義の盛衰を探っている。ドイツでは、1919年に制定されたライヒ租税法4条の下、税法解釈に関する「独立説」が「(法)統一説」を凌駕し、経済的観察法に基づく否認が広く認められた時代があった。しかし、第二次大戦後は、「統一説」の復権が認められ、包括的否認を行うための主な根拠規定(新国税通則法§42)が採用しているアプロ一チも、経済的観察法ではなく、「法(形式)の濫用」の法理に依拠するものとなっている。新国税通則法§42の否認機能は、その他の諸国の包括的否認規定よりも総じて大きいという指摘がされているが、国際的な租税回避行為等の否認という点では、その限界が露呈してきており、近年では、対抗策の多角化に向けた動きも生じてきている。
第4章(『欧州における法の濫用の法理』)では、フランスにおいて法の一般原則と位置づけられている法の濫用の法理及び同法理を明文化した租税手続法典64条の否認のツールとしての有用性が、国務院の判決を通じて高まった経緯を追っている。また、EU加盟国の否認規定・法理は、国際的な租税回避行為との関係では、欧州法等が定める基本的自由の保障という制約に服するため、欧州司法裁判所等が、法の濫用の法理をどのように解しているのかを分析している。Halifax事件欧州司法裁判所判決等(2006)では法の濫用の法理は、いずれのEU加盟国でも依拠し得るものであると判示され、少なからぬ加盟国の対抗策を強化することに繋がった。
終章(『我が国の事後的な対抗策の強化方法』)では、1我が国における実質課税の原則の今日的な趨勢、2欧州における法の濫用の法理・原則の法的性格とポテンシャル、3最高裁平成17年12月19日判決で示された法の濫用という概念の法的性格とポテンシャルなどを踏まえ、23は基本的に同様なものであると解し、我が国の事後的な対抗策を強化する鍵は、3に見い出し得ると結論づけている。また、3の適用基準については、Halifax事件判決で示された基準に相当するものが合理的であろうという見解の下、『結語』では、名古屋地裁平成18年12月13日判決で問題となった事件を採り上げ、本件では、仮装行為の認定という最近特に批判されがちな手段に依拠しなくとも、法の濫用の概念に基づく否認というアプロ一チを採用することも十分に可能ではなかったかという指摘を行っている。

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