山崎 昇

税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的

 コーポレート・インバージョン(Corporate inversion:外国親会社の設立)(以下「インバージョン」という。)とは、自国に本拠を置く多国籍企業グループが外国に法人を設立し、この外国法人がその企業グループの最終的な親会社になるようにする組織再編成等の処理をいう。通常は、この処理の過程又はこれに伴って、内国法人に外国親会社又は外国関連会社に対する多額の負債が計上され、また、内国法人の保有する資産(外国子会社株式や無形資産)が外国親会社又は外国関連会社に移転される(以下、インバージョンと併せて「インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等」という。)。その結果、自国の課税ベースが失われる懸念があるというものである。
インバージョンは、1990年代以降米国において問題視されるようになり、米国財務省は、これに伴う課税問題に関する暫定報告書として、2002年5月に“Corporate Inversion Transactions : Tax Policy Implications”(以下、「米国インバージョン報告書」という。)を作成している。
我が国においても、新会社法の施行に伴い、平成19年5月以降、外国法人の日本子会社が外国親会社の株式を対価として内国法人を吸収合併するクロスボーダーの三角合併が可能となったことから、これを利用したインバージョンも可能となった。本稿は、我が国に本拠を置く多国籍企業グループがインバージョンを行った場合に、我が国の国際課税にどのような影響を与えるかについて考察するものである。

2 研究の概要

(1) 米国インバージョン報告書と米国におけるインバージョン対応税制
インバージョンにおける国際課税問題に取組んでいる米国の状況について、米国インバージョン報告書の内容及び米国におけるインバージョン対応税制について概観する。
米国インバージョン報告書は、インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等において、米国多国籍企業が保有する外国子会社株式が外国親会社に移転されれば、もともと米国企業グループが稼得して米国の課税に服すべきと考えられる国外事業所得が米国の課税管轄から外れる懸念があること、及び、米国企業に外国親会社に対する多額の負債が計上され、また、米国企業が保有する無形資産が外国親会社に移転されることにより、米国企業において外国親会社に支払う利子やロイヤルティという損金が創出され、米国源泉所得が侵食される懸念があることに言及している。その一方で報告書は、米国多国籍企業の国際競争力を高めるためには、その稼得する国外事業所得に対する過重な課税を排除する必要があることから、国外事業所得に対する課税制度の見直しにも取組む必要があるとも述べている。
米国におけるインバージョンに対応する税制は、クロスボーダーの組織再編による国内資産の国外移転に対するキャピタルゲイン課税の繰延べに関するものと、インバージョン後に米国企業から外国親会社に移転することになる所得に対する課税に関するものとがある。前者は、組織再編等により米国法人が保有する国内資産が外国法人に移転された場合には、原則としてその国内資産の国外移転について課税繰延べを認めないという規定であり(IRC§367)、後者は、インバージョンにより外国親会社となった外国法人については、株主構成に変化が少なく、実質的に事業を行っていない法人を「代理外国法人」とし、これにインバージョンする際に米国法人に生じる一定の所得については繰越欠損金との相殺を認めず、さらに、代理外国法人のうち株主構成にほとんど変化がない法人は米国法人として課税するという規定である(IRC§7874)。また、国外事業所得に対する課税制度については、外国税額控除制度を改正し、9種類の所得毎に控除額を計算するバスケット方式を2種類の所得バスケットに削減し、制度を簡素化して国外事業所得に対する国際的二重課税の排除を容易にしている。

(2) 国際課税に係る制度の相違とインバージョンの影響
米国、日本、英国及びフランスの国際課税制度を比較し、その制度の仕組みの相違によりどのようにインバージョンの影響を受けるかについて検討する。
インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等は、国内の多国籍企業グループが稼得する所得に対する課税管轄の変更処理ということができるが、主要国の国際課税制度の仕組みを検討すると、その仕組みによってインバージョンの影響を受けにくい制度と受け易い制度がある。
法人の居住地の判定基準の制度については、英国やフランスが採用する管理支配地基準は、居住法人がインバージョンを行っても、その外国親会社が国内で管理支配されていれば居住法人として課税されることから、インバージョンの影響を受けにくいと考えられる。一方、米国や日本が採用する設立準拠地基準は、法人の課税所得の範囲についての制度を、内国法人は全世界所得、外国法人は国内所得としている国においては、インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等において国外所得を生む資産が内国法人から外国法人に移転されれば、国外所得に対する課税関係においてインバージョンの影響を受けることになる。なお、設立準拠地基準を採用する場合でも、法人の課税所得の範囲についての制度を、原則として国内所得のみに課税する領土主義課税としている国では、国外所得に対する国内課税の軽減を図るという動機そのものが存在しなくなることから、これを目的としたインバージョンは行われないと考えられる。
また、タックス・ヘイブン税制、過少資本税制及び移転価格税制という国際的租税回避を防止する制度については、法人の居住地について設立準拠地基準を採用する国において、国際的租税回避を企図してインバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等が行われると、制度面で対応できない場合や執行に困難が生じる場合があることから、間接的にインバージョンの影響を受けることになる。

(3) 我が国におけるインバージョンの影響と問題の所在
インバージョンが我が国の国際課税にどのような影響を与え、問題はどこに所在するかについて、具体的に検討する。
我が国は、内国法人がそのリソースを用いて国外で行う投資活動や事業活動により稼得する利益については、これが軽課税国に所在する実体のない子会社に付け替えられている場合にはタックス・ヘイブン税制により課税してきたところであるが、その子会社株式がインバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等により軽課税国に所在する実体のない外国親会社に移転されれば、同税制が機能しなくなる可能性がある。この問題は、どの範囲の国外所得に対して我が国の課税権を及ぼすかという我が国の国際課税制度のあり方に関わる問題でもあろう。
また、インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等においては、企業グループ内にグループ外の法人が編入される訳ではなく、企業グループ内の関連会社間で債権債務関係の創出や無形資産の移転が行われるだけであり、企業グループ全体としてみれば、企業価値の増加やその後の所得の増加は認められないことから、その取引には事業目的はないと考えられる。したがって、その後、内国法人が国外関連会社に対して損金として利子やロイヤルティを支払うことにより、我が国の課税所得が侵食されて国外関連会社に所得が移転し、この所得が過少資本税制や移転価格税制によっても適正に課税されないとすれば、これは租税回避の問題である。問題の本質は、企業グループ内において債権債務関係が創出され、又は無形資産が移転されるような取引自体の適否にあると考える。
さらに、我が国特有の問題として、いわゆるオーナー企業が行うインバージョンの問題があると思われる。オーナー企業の創業者一族は、インバージョンにより、その保有する「オーナー企業の株式」という国内財産を「オーナー企業株式の外国持株会社の株式」という国外財産に変更し、この株式を一定の非居住者となった一族における後継者に贈与することにより、贈与税の課税を回避しつつ、企業支配の世代間移転を行うことが可能となる。インバージョンは、オーナー企業の創業者一族における企業支配の世代間移転における贈与税の回避を容易にするかもしれない。なお、この場合は、持株会社に対する優遇税制を有するオランダやスイスにインバージョンする可能性が高いと考えられる。

(4) インバージョンを利用した租税回避に対する課税制度
租税回避を企図したインバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等(以下「インバージョンを利用した租税回避」という。)に対する課税方法を中心に考察する。
我が国においては、T工務店事件(東京高判平18.3.15)や消費者金融業者T社事件(東京地判平19.5.23)にみられるように、オーナー企業が外国法人を設立し、自社開発の無形資産や自社株式を保有させることは行われており、インバージョンという言葉はないが、相続税対策という色彩は強いものの、同様の事例は従来から存在していたということができる。国内の企業グループが行うインバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等の結果我が国での課税が回避された所得について、どの国でも課税されない、又は著しく課税が軽減されるとすれば、それはインバージョンを利用した租税回避であり、そのような場合には、我が国の課税が確保されるべきではないか。現行制度においてこれに対処しようとすると、実質所得者課税、PE認定課税、同族会社の行為計算否認、仮装行為の認定等が考えられるが、いずれも厳しい事実認定が必要となる。課税庁は、T工務店事件やT社事件については、取引を濫用した租税回避が認められるとして、十分な事実認定を行った上で課税しているものと考えられるが、判決をみる限り、その課税の適法性について裁判所の理解を得ることができなかったということになろう。
我が国は、平成19年度税制改正において、一定の要件で軽課税国にインバージョンされた外国親会社を特定し、インバージョン時には、この外国親会社の株式が対価として交付される場合の合併等の適格性を否認するとともに、交付を受けた株主の旧株の譲渡益に課税することとし、また、インバージョン後においては、その外国親会社の国内株主に対するタックス・ヘイブン税制の適用範囲を拡大した。これは、インバージョンの問題が顕在化していない現状における最低限の制度の導入と考えられる。
これまでの検討を踏まえ、さらにインバージョンを利用した租税回避に対応するとすれば、平成19年度税制改正で特定した軽課税国所在のインバージョン外国親会社については、要件を絞り込んで管理支配地基準により居住地を判定し、「居住法人」として内国法人と同様に課税することが望ましいと考える。この場合は、タックス・ヘイブン税制の適用範囲との調整を含め、我が国の課税権に服すべき法人の範囲や所得の範囲についても同時に議論する必要があろう。また、インバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等において内国法人が保有する無形資産が国外に移転される場合については、課税上はその国外移転を認めずにロイヤルティとして課税する米国IRC§367(d)のような制度の導入も一考に値する。この場合は、所得相応性基準の導入も含め、無形資産の国外移転に係る移転価格税制についても同時に議論する必要があると考える。さらに、相続税法においては、インバージョンのために設立された外国親会社の株式の所在については、「その保有する子会社株式の所在」とする方向で検討すべきであろう。この場合は、内国法人株式の持株会社である外国法人の株式や外国法人である不動産保有法人の株式を含め、資産を保有する外国法人の株式の所在は、その保有する資産の所在で判定すべきとの観点から議論することが望ましい。

3 結びにかえて

 本稿は、我が国の企業グループがインバージョン及びこれに伴う企業グループ内の資産移転等を行った場合の国際課税問題について、問題が顕在化していない段階で検討したものであり、検討はまだ不十分である。この問題については、今後、我が国において行われるインバージョンの動向を注視し、それがインバージョンを利用した租税回避と認められるか否かについて十分に検討し、その課税のあり方について議論する必要があると考える。

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