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權田 和雄

税務大学校
教頭


要約

1 問題の所在

 租税ほ脱犯(脱税犯)への司法上の対応を見ると、「法定犯から自然犯へ」との標語に象徴される流れの中で、各税目で実刑判決も積重ねられ、重大犯罪としての社会的認識も確立されてきたものと思われる。
しかし、ほ脱行為を行った本人の意識はどうなのだろうか。東京地方裁判所刑事部調査官時代(平成6年7月〜平成8年7月)に租税ほ脱事件の公判を傍聴したが、最終陳述で被告人が反省の意を表し二度と過ちを繰り返さない旨を述べる時、どこまで本心から反省、悔悟しているのかと考えることがよくあった。再犯に至っては尚更である。例えば殺人を犯した被告人が、己が犯行を振り返って、人間としての本性から罪の深さを悔いるのとは異なる心情が支配しているのは間違いのないところであろう。
「見つかったのが不運であった。」「自分だけがこのような責めを受けて不当である。」というのが正直なところだと思えるが、反省すると言っても、「違法な行為をしたのだから責めを受けるのは仕方がない」と思うのがせいぜいで、とても、検察官の論告にあるような「脱税は、国民の経済的犠牲によって自らが利得し、税制の根幹である申告納税制度を損なうものである」という意識まで実感として持つことは期待できないのではないだろうか。
それは、租税ほ脱犯が他の刑事犯に較べて犯罪としての悪性が軽微であるということではなく、租税ほ脱犯の特質にあると思われる。即ち、まる1法律により納税義務が発生し国の租税債権となるものの、一時的には自分に帰属する経済的利益であり、租税ほ脱行為は、積極的に何かを為すというよりは「納めるべき税金を納めない」という不作為犯としての性質を本質的にもっている、まる2特定の被害者がいない(国民全体が被害者であり一対一の対応関係がない)、まる3そのため、法益侵害の意識が薄い、という特質である。
「法定犯から自然犯へ」という標語は、申告納税制度が財政の根幹を支える現代社会の中で、租税ほ脱犯への非難が強いことを確認する点では大きな意味を持つが、犯罪としての性格まで例えば殺人犯等と同じということにはならない。大きな社会的非難に値するものであることを強調する反面、その性格について意識されることは少ないのではないか。その特質を意識したうえで、租税ほ脱犯に対しての対応を考えることが必要であると思われる。
本稿では、租税ほ脱犯の特質を根底に置きつつ、まる1無申告ほ脱犯の成立要件の解釈を通じた租税ほ脱犯の構造の解明、まる2社会奉仕命令という新たな制裁のあり方の提言、という二方向からのアプローチにより検討を行った。

2 無申告ほ脱犯への対応

 まる1の特質(不作為犯的要素)は、無申告ほ脱犯の成立要件にかかわる。租税ほ脱犯の成立要件は、「偽りその他不正の行為により…所得税(法人税等)を免れ」ることと規定されている。「偽りその他不正の行為により」というのは、一見作為的な表現であるが、租税ほ脱犯の本質は申告・納付についての不作為であり、過少申告ほ脱犯、無申告ほ脱犯を通じ、無申告という行為、部分に非難が加えられていると考えられる。無申告ほ脱犯は、過少申告ほ脱犯のような申告という積極的な行為もなく、外形的に悪性が現れにくい面がある。過少申告ほ脱犯と無申告ほ脱犯を較べて見た場合、一般的には無申告ほ脱犯がより悪質であり、最も巧妙で悪質な行為が処罰の網から逃れるということであってはならない。
判例は、「ほ脱の意思で確定申告書を提出しない行為が、「偽りその他不正の行為」に当たるか否か」について、かつて積極的か消極的かという基準で成否を分けており(1)、例えば二重帳簿の作成、正規帳簿の秘匿・破棄等の積極的ないし作為的な所得秘匿工作が求められているようにも読める。しかし、その後の判例で(2)、積極的という言葉の意味について、「税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作が必要とする趣旨」との補足的な解釈がなされ、現在はこれが基準とされているようである。
「偽りその他不正の行為」の判断において、外形的な面にとらわれすぎず実質的に判断すべきとの方向性を示したものと評価できるが、具体的にどのようなものが限界事例となるのかは必ずしも明らかではない。最高裁平成6年9月13日判決では、「仮名又は借名(家族名義等)の預金口座に売上金の一部を入金保管すること」を、東京高裁平成16年2月23日判決では、「虚偽の住民登録をすること」を所得秘匿工作であるとして無申告ほ脱犯の成立を認めており、公表帳簿への虚偽記載、二重帳簿の作成等の典型的な所得秘匿工作以外についても、かなり広く実質的な判断がなされているように思われる。
学説の中には、「過少申告ほ脱犯においてほ脱結果との間に因果関係をもつのは一部の申告ではなく一部の不申告であり、不申告ほ脱犯においては全部不申告という不作為そのものが犯罪の成立に重要な意味を持つ。この意味からも不申告それ自体に実行行為性を認めるべき」とし、「ほ脱の意思さえあれば所得秘匿工作がなくても無申告ほ脱犯は成立する」とする見解もある(3)。明快な見解であり、ほ脱犯の構造的にはそのとおりと考える。ただし、「偽りその他不正の行為により」という文言からも、違法性、悪質性の高いものを限定する意味で一定の縛りは必要ではないかと思われる。この場合においても、ほ脱犯の構造を踏まえ、作為、不作為にとらわれない解釈(判例のいう所得秘匿工作=租税倫理に違反する実質ととらえ)をすべきである。

3 租税ほ脱犯に対する制裁のあり方

 まる2の特質(不特定性)は、まる1の特質と併せ法益侵害の意識の薄さに結びつく。実刑、多額の罰金という制裁の威嚇効果は重大なものがあるが、本人の意識が低いまま制裁を厳しくしても必ずしも贖罪的行動(将来の更生)に結びつくかどうかは疑問である。社会的責任の放棄という罪を犯した租税ほ脱犯には、積極的に社会とのかかわりを体験させ意識を高めることも制裁(矯正)のひとつのあり方ではないか。
イギリス等では「社会奉仕命令」モデルというものがあり、短期自由刑や罰金未納の代替拘禁等に代えて一定期間の無報酬での社会への奉仕労働を命じることが可能となっている。各種の犯罪について幅広く行われているものであるが、租税ほ脱犯が申告、納付を怠る不作為の犯罪であることを考えれば、社会に対する義務を果たさせることにより社会への帰属意識を覚醒させることにも馴染むものではないか。
現行の懲役刑、罰金刑は一般予防的な観点からも必要であり、基本的な体系を大きく変えることは適当ではない。執行に当たってはこれらと併せて、事件の性質、被告人の情状に応じ(例えば再犯等の悪質なもの)取り入れることが考えられる。単なる道義的非難としての制裁にとどまらず、より合目的的に(本人にとっては、むしろ望まざる措置ともなり得るが)、本人の矯正も考慮した贖罪的行動の機会を与える一面を持つものと考える。
なお、法務省においては、刑務所などの過剰収容の解消や犯罪者の社会復帰対策として、社会奉仕命令のような収監しない刑罰の多様化や、刑務所などに収容せず自宅や専門施設で一定管理下に置き更生を支援することなどを検討するプロジェクトチームを発足したと伝えられている。


(1) 最高裁昭和38年2月12日第三小法廷判決は、「ほ脱の意思で確定申告書を提出しない行為が、『偽りその他不正の行為』に当たるか否か」について、「詐偽その他不正の手段が積極的に行われた場合に限るのであって、たとえ所得税ほ脱の意思によってなされた場合においても、単に確定申告書を提出しなかったという消極的な行為だけでは、右条項にいわゆる『詐偽その他不正の行為』にあたるものということはできない」(下線筆者)として、ほ脱の故意があっても無申告行為のみでは租税ほ脱犯は成立しない(単純無申告犯の成立にとどまる)ことを明らかにした。本文に戻る

(2) 最高裁42年11月8日大法廷判決は、「課税対象となるべき事実を手帳にメモして保管しながら正規の帳簿にことさらに記載していなかった行為」について無申告ほ脱犯の成立を認めたものであるが、「詐偽その他不正の行為とは、ほ脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。」「所論引用の判例(最高裁昭和38年2月12日判決)が、不申告以外に詐偽その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告しないというだけでなく、そのほかに右のようななんらかの偽計その他の工作が行われることを必要とするという趣旨を判示したものと解すべきである」(下線筆者)として、より実体的な基準を示している。本文に戻る

(3) 土本武司「東京高裁平成3年10月14日判決の評釈」判例時報1427号。本文に戻る

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