(1)

 
吉川 保弘

税務大学校
研究部主任教授


要約

1 問題の所在

(1) 相互協議申立ての濫用
移転価格課税は、各国の課税権の配分を巡る対立という性格(側面)を有していることから、関係当事国において解決することが望ましく、OECDモデル条約25条は、条約の規定に適合しない課税を受ける等の場合には、関係国による相互協議の実施(1)によって解決することとしている。わが国においても、二重課税リスクを未然に回避する視点(2)から事前確認を行うに際してもできるだけ相互協議の申立てを行うこと(3)を推奨している。加えて、多国籍企業グループ内における移転価格の重要性の認識の高まりに伴い相互協議も増加基調にあり、担当部局である相互協議室も陣容を強化し処理に当たっている。しかしながら、中には明らかにわが国の課税権を制限するような当初から合意ができない内容(4)の申立ても含まれ、そうしたものが増加している状況(5)にある。
米国においては、事前確認制度(6)(Advance Pricing Agreement以下APAという。)がタックスシェルターとして利用されているとの批判が上院財政委員会から発されている(7)が、わが国においても納税者に相互協議申立ての濫用的な利用が見られる。
国税庁はこの制度の定着化に向けて努力を重ねてきているが、本来の趣旨に反するような申立ての増加は憂慮すべきものがある。濫用的な利用については抑制的な態度や規制が必要と考えられるのである。

(2) 補償調整(8)(減額更正)処理の問題
「事前確認に関する相互協議」合意の結果、例えば、わが国における相手国企業の子会社の申告が、合意された価格によっていないため、過大な申告になっており、減額更正する義務をわが国が負った場合に、租税条約実施特例法7条に基づいて、更正の請求を行うこととされている(事務運営要領 5−17 ニ)。合意があるので、通則法上の減額更正の期間制限や更正の請求の期間制限は、クリアーできるが、補償調整に係る実体法の根拠が必ずしも明確ではない。租税条約実施特例法7条にあるというのか、法人税法139条にあるというのか、課税と同様にOECDモデル条約9条1項にあるというか、必ずしも明確な見解が存在している状況にはない。本稿は、どのような根拠に基づき補償調整に係る減額更正を行っているかということについて検討を行った。

2 相互協議申立ての濫用問題の検討

(1) 正当要件事由(形式的な要件)
相互協議の開始にあたって、権限ある当局がその申立てが正当なものであり、他の手段によって解決を図ることができないと認めることが要件とされている。したがって、正当要件を満たさない申立ては受理をしないことができると解される。正当要件を満たさない外形的なものとしては、次のようなものが考え得る。租税条約に規定のない税目は対象とならないであろうし、条約に定める申出の期間を徒過したものは、当然に相互協議の申立てを受けることはできない。租税条約の濫用に関するOECD 1987年報告や2003年モデル条約における指摘は「受益者」概念に関するものであるが、租税条約の利用という観点から、相互協議においても同様の趣旨に解して正当要件を満たしていないとすること(9)ができると考える。
米国においては事前確認の申立てについて拒否できる場合の事由を米国歳入手続において明らかにしている。米国基準に拠れば、「納税者が条約上の資格を有さなければ受け付けできない」とする事由や、「一方的に米国が不利な状況でのみ納税者が同意するという態度を拒絶事由とする」といったものがあるが、わが国おいても当然のことと考えられる。さらに、「納税者が一度拒絶したものを再度の申立てをする場合に拒否する」といった事由は合理的な基準であり、「納税者が情報を提供しない場合の拒絶」事由はわが国の現行運営指針のなかでも規定されているところである。このような米国基準は、わが国にとっても有用性があるものと考えられる。
なお、わが国においては、原則として居住者が申立ての資格を有するのであるが、多様な事業体等が出現している現在、どこまでが申立ての資格を有するのか明示する必要があると思われる。

(2) 濫用の判断基準
濫用かどうかの基準としては、二重課税の排除、脱税・租税回避の防止といった租税条約本来の目的、趣旨から逸脱していることが明らかなものは、租税条約を利用することはできないので、受理を拒否することはできるものと考える。また、OECD 1987年報告の判断基準であるExclusion Approach基準(10)やSubject-to-tax Approach基準(11)からも濫用と考えることができる。加えて、節税スキームといわれるものを課税リスク回避のために相互協議の申立てをした場合には、二重課税の排除、脱税・租税回避の防止といった租税条約の目的の観点から、同様に解することはできる。全体として二重課税にあるのか、二重課税になる蓋然性が極めて高いかどうかが濫用とならないかの判断基準となるものと考える。

(3) 事前確認に係る相互協議の申立てに対する拒否通知の行政処分性
相互協議運営指針の中に拒否できる要件を規定しそれに基づいて、「事前確認に関する相互協議」に係る申立てを却下した場合に、その行為を巡り訴訟問題が起こりえる。その際、問題となるのは、相互協議の申立てに対する拒否通知が行政処分性を有するかどうかである。わが国における「事前確認に関する相互協議」は、相互協議運営指針を根拠として行われていると考えられることである。行政処分に関する最高裁判決(12)(平成15年9月4日判決)によれば、まる1公権力の行使であること、まる2権利義務に変動を生じさせるものであること、まる3権利義務に変動を生じさせるものであることが法律上認められていること、の3要件を満たしているかどうかが行政行為となるかどうかの基準とされている。
租税特別措置法66条の4がこのような「事前確認に関する相互協議」の申立権を抽象的にしろ納税者に認めていると考えると、この最高裁判決のとった仕組み解釈で「法律に基づくもの」と考える余地(13)がないわけではない。しかし、事前確認は行政上の事実行為に過ぎないものであり、租税特別措置法66条の4が抽象的にしろ申立権を認めているとは考えられない。そして、権限のある当局は「事前確認に関する相互協議」の申立てがなされても、合意義務はなく、当局の判断で行う恩恵的なものと考えられるのである。最も、権限のある当局が事前確認をした以上は、信義則による拘束は受けることにはなろうが、相互協議をしないか否かは、当局の判断に委ねられたもので義務(14)はないと考える。

3 補償調整処理の問題の検討

 国内法と租税条約との関係に関しては、租税条約実施特例法があるが、この法律は租税条約による課税の軽減免除の適用手続を定めるのに過ぎず、租税条約の国内的効力を創設するものではないとされていること、さらに法人税法139条(租税条約に異なる定めがある場合の国内源泉所得)も、租税条約が優先適用される場合の課税管轄権の重複を調整するための規定に過ぎないと解されていることから、これらは相互協議の合意に基づく補償調整の処理についての国内法の根拠規定(15)になりえないと解されるところである。
したがって、相互協議の合意が国内法を修正するという考え方に立てば、特殊関連企業条項が課税制限規範として直接適用され、対応的調整を直接根拠づけることなり、「事前確認に関する相互協議」に係る補償調整に係る減額についての実体規定もOECDモデル条約9条1項2項で根拠付けられねばならないと考える。
その上で、対応的調整(課税に伴う減額更正)と補償調整(事前確認に係る価格調整)を対比すると、対応的調整を行おうとするときには経済的二重課税が存在しているが、補償調整を行おうとするときには、減額更正できる状況にはあるけれども現実には経済的二重課税状態にはないという違いがある。この違いをどのように解するのかというのが本主題である。
OECDモデル条約25条1項は、相互協議の申立者の要件として、「課税を受けることとなる」者とし、2項において「適合しない課税」を回避するために、関係国に合意努力義務があると規定している。この協議によって合意された事項については、関係国が当然に義務を負う。すなわち、「事前確認に関する相互協議」においては、他方の締約国が増額処理の義務を負い、一方の締約国が減額処理の義務を負う。OECDモデル条約9条2項は、課税において経済的二重課税状態にあるときは対応的調整すると規定されているが、経済的二重課税状態ではないが、他方の締約国が増額処理を行えば、経済的二重課税になる場合に、増額処理が約束されているのであれば、それも経済的二重課税状態と同視しうるものとして対応的調整することができるものと解されるのである。
さらに言えば、「事前確認に関する相互協議」においては、経済的二重課税ではないけれども合意の結果、他方の締約国が増額処理することが義務付けされ、一方の締約国は減額処分することを義務付けられたことから、(他方の増額更正を待ってあえて経済的二重課税状態を作出してその上で対応的調整を行うという手続きを踏まずとも)他方の締約国における増額が担保されているのであれば、一方の締約国が減額処分を行うことはOECDモデル条約9条2項の解釈として十分成り立つものと考える(16)
 補償調整を行う時期について、まる1相互協議で算定方法が合意された時点、まる2わが国において合意された算定方式によって計算した結果申告した所得金額との乖離額が算出された時点、まる3乖離した数額について相互協議を行い確定した時点、まる4確定した数額を相手国において増額処理が行われそのことが確認できた時点、まる5補償調整額の受け渡しが関係会社間で済んだ時点、の各時点が考えられる。
以上の議論を踏まえて整理検討すると、まる3の乖離した数額について相互協議を行い確定した時点以降が、補償調整による減額更正が可能となる時期と考える。既述したように、「事前確認に関する相互協議」合意が成立した段階で、減額更正すべき状態は、経済的二重課税が存在することと同視できるので、OECDモデル条約9条2項を根拠として対応的調整へと進むことは可能となる。さらに、通則法施行令6条四号にいう要件を充足しており更正の請求要件、減額更正の期間の特則要件もクリアーされているので、補正調整に係る減額更正は可能と考える。
なお、米国のAPA制度の中において補償調整額の受け渡しが規定されている。この規定においては、APAが関係会社間の取引の価格の事前確認というのであるのなら、私法上の契約においてもそれに合わせて取引をするということが求められているものと考えられる。ここまで、わが国においては求めていないと考えられるが、移転価格事務運営要領における事前確認制度の趣旨が米国のようなことであるのなら、契約関係が合意どおりになっているのかどうかを確認し補償調整するということに一定の合理性はあると考えるのである。

4 まとめ(今後の対応等)

(1) 相互協議申立ての濫用と考えられる場合の対応
濫用に関しては、租税条約が相手国との相互主義的なものであることから難しい面があるが、相互協議運営指針において、具体的なケースを示してわが国としては合意できない旨を予め明示することとしてはどうかと考える。その際、米国で規定している拒否基準についてはわが国においてもそのまま適用できるものと考える。
すなわち、受理できない事由を類型化し予め明示することで、抑止的効果が期待されるものと考える。合わせて、PATA等の国際会議等で予め討議し、このような実質的に合意できないものを相互協議の申立ての濫用と位置付けて理解を求めることも重要と考える。
米国においては、「APAプログラムは、APAの申請及びその事案の進展状況が健全な税務行政原則に反する場合には、当該APA申請を却下又は審査を打ち切る権利を留保する。」(17)としており、健全な税務行政原則を明らかにした上で、わが国においてもインプリケーションすることはできるものと考える。

(2) 補償調整に係る減額更正の根拠
補償調整に係る減額更正については、「事前確認に関する相互協議」合意結果をOECDモデル9条1項に言う独立企業間価格と考えることができ、その時点で、他方の締約国及び一方の締約国において増額及び減額処分する義務を負い、経済的二重課税と同視しうる状態が生じたので、OECDモデル条約9条2項を根拠として適当な調整が行いうると考える。「事前確認に関する相互協議」に係る減額更正については、このように解することができるが、補償調整に関する減額更正の根拠を確認的に租税条約の中や国内法において明らかにしていくことも必要ではないかと考えられる。


(1) OECDモデル条約コメンタリー9−11.本文に戻る

(2) 国税庁「APAレポート2005」1頁。本文に戻る

(3) 国税庁「移転価格事務運営要領」5−11(1)、最近における事前確認の85%超が相互協議となっている。山川博樹「最近の事前確認の状況について」国際税務26巻1号24頁。本文に戻る

(4) 秋元秀仁「移転価格事務運営要領の改正等とその留意点」租税研究2006年2月27頁。例えば、日本企業が有する無形資産そのものを低税率国の国外関連者への譲渡する取引を対象としたもので、その無形資産の譲渡対価やその譲渡に伴い、多額のロイヤルティを国外関連者に支払う取引についての事前確認( )等のようなケースの場合がある。これらのケースは事前確認に申立に関するものであるが、このような結果を伴う取引の移転価格算定法を相互協議で確認しあうことは、相互協議本来の目的、趣旨から逸脱しているものと考えることができる。本文に戻る

(5) APAがタックスシェルターとして利用され濫用されているとの批判も有り、このような観点からは何らかの規制が必要となる。川田剛「APAもタッタクス・シェルター?」国際税務24巻7号7頁。

(6) 金子宏教授は、事前適正価格合意制度と訳されている。制度の性格を言い表したものといえる。金子宏「アドヴァンス・ルーリングについて」(社)研究情報基金平成6年3月「多国籍企業課税の諸問題」83頁。

(7) 「Tax Notes International」19 January 2004 p232.本文に戻る

(8) 確認法人のその事前確認に係る価格の調整を補償調整という。移転価格事務運営指針(平成13年6月1日)5−17(2) したがって、対応的調整は減額を意味しているが増額修正もありえることを意味している。本文に戻る

(9) 租税条約の本来の趣旨、二重課税の排除、脱税の防止といった点からトリティーショッピングを前提とした租税条約の濫用における場合と同様に解せる。本文に戻る

(10) この規制策は条約締結国が国内法において例えば産業政策の一環として、特定法人を対象として租税を免除したり、軽減措置を採る場合には、その法人に対して租税条約上の有利な取扱を認めないという方式である。このような場合に、相手国の免除軽減を確認合意することは、わが国の課税権を拘束する結果となるのでそもそもできない。本文に戻る

(11) 居住地国の居住者が課税対象となる所得についてのみ源泉地国で条約の減免措置を認める方式である。相互協議においても相手国において課税が生じないものはそもそも二重課税ではないので、相互協議の対象としない。本文に戻る

(12) 最高裁判決平成15年9月4日訟務月報50巻5号1526頁。本文に戻る

(13) 課税においては、相互協議をしない以上、更正の請求事由もなく、更正処分を争えなくなることにより、税額が確定するので、納税者は相互協議申立ての拒否通知を争わない限り、更正処分を争うことができないのであるから、義務を確定するものとして行政処分性があると考える。(国内法的に適法であっても経済的二重課税は生じている場合がありえる。)仕組み解釈:単に当該条文だけによるのではなく、当該条文と関係のある法律なども考慮に入れて、当該条文の規定している制度との仕組みを明らかにすることにより当該条文の趣旨・目的を明らかにすること。本文に戻る

(14) 「事前確認に関する相互協議」の申立てを拒否してもそれ自体納税者に義務を課したり不利益を与えるものではなく、後の更正処分で義務を課されたり、不利益を受けた場合に争えば足りると考える。本文に戻る

(15) 合意は措置法66条の4の枠内ということを前提とした場合に同法に従って減額更正できるという考え方がありえる。しかし、まる1相互協議においては、一方の価格調整は他方の価格調整を伴うことを前提としており、確認合意されたものは措置法66条の4ではなく、租税条約を根拠としたものと考えるべきである。まる2さらに、基本3法による算定方法のところを利益分割法で合意した場合を考えると、相互協議合意によって、独立企業間価格が利益分割法による価格になったと考えるべきであろうから、根拠は条約の特殊関連企業条項にあるものと考える。本文に戻る

(16) 9条2項に相当する規定のない租税条約もある。相互協議の合意が9条1項にいう独立企業間原則となりうるので、合意後、独立企業間原則に反した申告が関係国間に存在し、他方の国は増額を一方の国は減額処理を義務付けられることから、9条2項の規定がなくとも当然に一方の国は対応的調整義務を負っていると解することができる。本文に戻る

(17) IRS Revised Procedures 2004-40 on Request for APA sec.2 para.03.本文に戻る

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・578KB