浅川 和仁

研究科第40期
研究員


要約

1 研究の目的

企業経営における知的財産を中心とした無形資産の重要性が拡大する中で、租税法上の所得計算においても、無形資産の評価をめぐる問題が増加している。特に、関連会社間で無形資産取引を行う場合において、無形資産の評価が大きな問題となっている。なぜなら、関連者間取引を規定している移転価格税制において、取引価格は、原則、価格をベースにした方法である基本三法(独立価格比準法、再販売価格基準法、原価基準法)により算定されるのであるが、無形資産取引に対する比較可能な独立企業間取引を見出すことが困難であるため、多くの場合に、価格をベースにした方法を適用できないからである。このような問題のある関連者間での無形資産取引に対して、日本では、従来どおり独立企業原則に基づき対応することとなるのであるが、米国では、1986年に無形資産取引に対する特別ルールである所得相応性基準というユニークな基準を導入し、当該問題に本格的に取り組んでいる。
そこで、本研究では、この所得相応性基準について、まる1法令上の位置づけ、まる2無形資産取引形態別適用方法、まる3判例における取り扱い、まる4実務上の適用状況と課題という観点から分析を行った上で、同基準を日本に導入することの意義について考察することを目的とする。

2 研究の概要

(1) 法令上の位置づけ
第1章(移転価格税制における無形資産の評価)では、所得相応性基準に係る法令上の変遷について分析している。
所得相応性基準とは、関連者間の無形資産取引に対して、1986年、内国歳入法482条に導入された概念で、無形資産の移転後において、移転された無形資産から発生する実際の所得により無形資産を評価するという特徴を持つ。その後、同基準の具体的実施規定として、1993年に定期的調整と利益比準法が、また、1994年に利益分割法が、財務省規則に規定された。
定期的調整とは、無形資産の移転後に、無形資産に帰属する所得に大幅な変動がある場合、無形資産移転後の各課税年度でも対価の修正を要求する規定である。また、利益比準法や利益分割法は、価格をベースにした方法に代替する利益をベースにした方法で、無形資産移転後の各課税年度における対価の修正額を決定するため、各課税年度において無形資産に帰属する実際の利益を算定する方法である。

(2) 無形資産取引形態別適用方法
第2章(無形資産の取引形態と所得相応性基準の適用)では、上記のような特徴を有する所得相応性基準が、ロイヤルティ取引、売却取引等の取引形態別に異なって適用されるため、同基準の無形資産取引形態別適用方法について分析している。
ロイヤルティ取引においては、各課税年度のロイヤルティ額と利益をベースにした方法により計算された無形資産に帰属する利益との差額が調整額となる。また、売却取引では、各課税年度の対価の支払がないため、売却対価をロイヤルティの前払いとして扱うことで計算する各課税年度のみなしロイヤルティ額と利益をベースにした方法により計算された無形資産に帰属する利益との差額が調整額となる。このような取引形態による同基準の適用方法の相違は、すべての取引形態に定期的調整が要求されるためにもたらされるのであるが、その結果、同基準は、すべての取引形態において、取引時点では確実でない無形資産の将来の成功による利益を確実に無形資産の開発者に帰属させることを可能にしているといえる。

(3) 判例における取り扱い
第3章(所得相応性基準をめぐる判例分析)では、上記の特徴を有する所得相応性基準が導入される契機となった判例を分析している。
例えば、Baush & Lomb事件で内国歳入庁は、独立企業なら契約の再交渉を行う程に取引後の状況が変化しているとして、当該状況の変化を考慮した所得配分を求めたが、裁判所は、取引時点で予想できる収益に基づいた対価の決定に誤りは認められないと判示し、内国歳入庁の主張は認められなかった。このような結果は、無形資産取引における事実認定の難しさからもたらされるといえるが、所得相応という概念を採用することによって、無形資産取引に対して明確な基準が与えられ、個別事案毎の事実認定という実務上の問題を回避することが有用な対策であるという意識が高まっていった。

(4) 実務上の適用状況と課題
第4章(所得相応性基準をめぐる実務分析)では、所得相応性基準の実務における適用状況及び同基準の課題について分析している。
実務における適用状況については、事前確認制度(APA)のデータを基礎として分析を行った結果、同基準の導入以降、無形資産取引の独立企業間価格算定方法として、利益比準法がほとんどの年で、全体の50%を超える高い割合で適用されていることが明らかとなった。他方、関連者間役務提供規則案(2003.9公表)及びGlaxo事件(2004.4提訴。現在係争中)の分析により、無形資産取引に役務提供が関与する取引や関連者間で複雑に高収益無形資産が関係する取引において、無形資産に帰属する所得をどのように算定するかという点で同基準の課題があることが明らかとなった。

3 結論

(1) 日本の現状における問題点
日本では、所得相応性基準が導入されていないため、無形資産取引に対して、独立企業原則で対応することとなるが、独立企業原則によっても、いくつかの条件がそろう場合に、同基準と同様な課税関係を得ることは可能であると考える。例えば、現在日本で問題となっている生産拠点の海外移転に伴い無償で無形資産が海外関連会社に移転しているような場合には、次のように対応することにより、同基準と同様な適用が可能となる。

まる1 国外関連者が無形資産を利用しているような場合に当該取引をロイヤルティ取引と認定する。

まる2 独立企業間のロイヤルティ取引においても、利益に基づきロイヤルティ額を算定する場合もあること等から、当該取引に利益に基づきロイヤルティ額を算定する方法を適用する。

まる3 また、対価の支払形態は、各課税年度の販売実績に基づいた方法を適用する。

 このように、日本の現状において、ロイヤルティ取引に利益に基づきロイヤルティ額を算定する方法を適用できるのであれば、同基準に近づいた執行を実現できるといえる。しかし、この独立企業原則に基づく方法は、個別に事実認定しなければならず、一般化できないという問題がある。例えば、納税者が、上記まる1まる2まる3と異なり、無形資産取引時点において明確な契約を締結し、取引時点で合理的に予想できるすべての要因を考慮し対価の算定を行っている場合には、取引時点で対価を算定する方法を排除することができず、利益に基づきロイヤルティ額を算定する方法を適用できないという問題が生じることも想定される。この場合、米国で問題となったような高収益無形資産を、収益力がそれほど高くない通常の無形資産の標準的対価でタックス・ヘイブン等低課税国へ移転するという不当な無形資産取引に完全に対処できず、多額の国内源泉所得が国外へ流出しかねない。

(2) 日本における所得相応性基準導入の意義
前述のとおり、所得相応性基準にも課題はあるが、上述の分析に基づくと同基準は次のような大きなメリットを有しているといえる。

・ 実際利益という客観的データによって無形資産に帰属する所得を算定可能であること

・ 無形資産取引における取引後の調整を、個別の事実認定によらず、一般化できること

・ 無形資産取引に対する明確な基準を設けることで、税務当局、納税者双方にとって、事務負担及びコスト負担が削減されること

 上記のメリットのポテンシャルに鑑みた場合、関連者間無形資産取引に対する特別ルールとして日本に所得相応性基準を導入することの必要性・有用性について、議論することが望ましいと考える。同基準を導入する場合、その方法としては、まる1同基準が独立企業原則に則ったものであることを実証分析により証明する理論的アプローチとまる2現状において発生している課税上の弊害を解決するという視点からの行政判断によるアプローチの二つが考えられる。米国において同基準は、基本的にまる1によるものであったようであるが、実際の運用にあたっては実質上まる2によっているものと考えられる。日本においても、まる1は、実証分析を行う上で、有意な結果を得るための十分なサンプルが得られない可能性が高いため、まる2の方が適していると考える。但し、同基準は、取引後の結果を見て対価を修正するという後知恵的側面や独立企業原則との整合性という問題もあることから、導入当初は、広範囲かつ具体的条件を備えた同基準の例外規定を設け、同基準の適用を適正な対価から顕著に乖離している無形資産取引などに限定するのが望ましいと考える。そして、同基準の導入後、行政側のスキルや事案の積み重ねによる緻密性が向上し、それに伴い納税者側の同基準に対する予測可能性が高まったところで、将来的に例外規定の範囲を見直していくという方法が望ましいと考える。

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・971KB