田中 康男

税務大学校
研究部教育官


要約

1 研究の目的

所得税の実際の負担については、課税標準、所得控除及び税率の定め方によってほとんどの部分が決定することになる。現状の税制を見てみると、個人所得課税は、累次の減税の結果、主要国と比較して税負担水準が極めて低く、基幹税として本来果たすべき機能(財源調達機能・所得再分配機能)を喪失しかねない状況にあるとの指摘がなされている。
政府税制調査会は、こうした個人所得課税の「空洞化」現象を是正するための措置を講じる方策として、諸控除については、できる限り簡素・集約化し、中立的な税制を目指すとともに、課税ベースを拡大する方向でそのあり方を見直す必要があるとしている。
現行の所得控除は、個人的事情の斟酌や政策的要請等に基づき、それぞれ相応の理由があって導入されているが、これまで多数の所得控除が設けられ、さらに度重なる改正の結果、課税ベースの浸蝕や税制の複雑化を招いていることは否めない。
こうした状況を踏まえ、本稿では、現在の個人所得課税の「空洞化」の一要因とされている所得控除制度に射程を絞って、その存在意義及び所得控除を巡る主要な論点を検討の上、今後の人的控除のあり方を中心に考察するものである。

2 研究の概要

(1) 所得控除の意義及び性質
所得に対する租税は、資産に対する租税と並び、相対的にみて「担税力に即した課税」を行うことができるという優れた性質を有している。そこで、所得税の負担のあり方を考える場合には、「担税力に即した課税」ができるという利点を生かすことが重要となる。
この担税力とは何かという点については、基本的には租税を負担する能力のことを指すものであり、憲法25条の生存権すなわち「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する水準が担税力の有無を判断する基準として有意であることに、おそらく異論はないであろう。このため、所得税の負担のあり方を考えるに当たっては、最低限度の生活を維持するために必要な部分(以下「最低生活費」という。)を除いた残余に対して課されるべきであるということとなる。
この所得税の課税対象から最低生活費を除く方法として最も合理的かつ簡素であるのは、改めて言うまでもなく、所得控除である。このように、所得控除は、最低生活費を課税対象から除くことによって、担税力無きところに課税せず、という所得税のあるべき姿を実現するための重要な手段であると考えることができる。
ところで、「担税力に即した課税」を行う場合には、所得控除ではなく、税額控除あるいは税率の調整によっても、その目的を達成することができる。しかしながら、ここで留意しなければならない点は、税額控除と税率の調整は、課税を前提とした担税力の考慮であるという点である。すなわち、税額控除と税率の調整による担税力の考慮は、担税力の有無ではなく、担税力の程度を考慮するものである。このため、税額控除と税率の調整は、最低生活費の保障という要素を考慮するものではなく、他の様々な政策的要素を考慮する観点から政策措置として採用する場合に相応しい仕組みであると考えることができる。
このように、所得税において担税力を考慮するとしても、その考慮の仕方は、一様ではない点に留意する必要がある。

(2) 所得控除を巡る主要な論点

イ 課税単位
 担税力を求める指標を個人単位又は消費(世帯)単位のいずれを選択するかによって、所得税の負担に影響を及ぼすことから、課税単位の選択は税負担のあり方を考えるに当たっての出発点であるといえる。そこで、課税単位を4種類(個人単位・合算非分割・二分二乗・n分n乗)に分類して、総合課税に基づく累進税制を前提として、1世帯間・個人間の公平性、2就労・結婚に対する中立性、3納税者・税務行政における簡素化、という視点から検討した。
結果的に、どのような課税単位が適当であるかは、主に公平や中立の要素を何に求めるかに起因するものである。現行の個人単位課税は、個人のライフスタイルが多様化等をしている昨今の社会情勢に適合しているとともに、公平・中立・簡素という要請を最も満たすことからも妥当な課税単位であるといえる。

ロ 課税最低限
基礎的人的控除(配偶者控除・扶養控除・基礎控除)は、憲法25条の生存権を保障するための最低生活費控除であることに異論はないであろう。一方、課税最低限は、給与所得者の場合、基礎的人的控除のほか給与所得控除及び社会保険料控除を含めて観念される。
この点に関しては、課税最低限は最低生活費控除と同額であるべきとの指摘もあるが、これは観念の仕方が異なることに起因するものである。このため、観念の仕方の是非を問うよりも、最低生活費控除としての基礎的人的控除の水準とともに、課税最低限を構成する給与所得控除の水準が適正かどうかを検討することが賢明である。

(イ) 基礎的人的控除の水準
基礎的人的控除は、最低生活費控除の性質を有していることを考えると、かなり低い水準になっている。とりわけ、同条の要請を受けて生活保護法があることを考慮すると、基礎的人的控除は生活保護基準に見合った水準に引き上げる必要があるとも考えられる。
しかしながら、実際に所得税の負担のあり方を考える場合には、最低生活費控除という要素のみを考慮するのではなく、公的サービスを賄うための費用を広く公平に求める必要があることから、主要国と比較した税負担水準や財政事情等を考慮して、段階的に見直すといった姿勢が肝要である。

(ロ) 給与所得控除の水準
給与所得控除は、伝統的に、1概算経費、2担税力の調整、3捕捉率の調整、4金利調整といった性質を有しているとされている。しかしながら、雇用形態の多様化等に伴い給与所得のみにこれらの要素を加味して、約3割(マクロベース)にも上る控除をする必要性は薄れてきている。
したがって、給与所得控除は「概算経費」に純化させ、その割合の適否を判断する必要がある。その割合としては、家計調査の結果等から約10%程度が適当であると考えられるが、所得金額の多寡によって、その割合に差異を設ける必要がある。当面は、給与所得者の負担に配慮して、政策的に何らかの緩和措置が必要であると考える。

3 結論

(1) 控除の基本的なあり方
「担税力に即した課税」を行うという点において、基礎的人的控除は最低生活費控除の性質を有する控除であることから、所得控除が妥当することに異論はないであろう。また、雑損控除や医療費控除も、異常な損失や支出による最低生活費を構成する要素として控除するものであると考えると、所得控除が妥当するということになる。
一方、一種の国家補助的なもの、あるいは政策的要請に基づくものは、控除する税額が所得の多寡にかかわらず一定となる税額控除が妥当すると考えられる(障害者控除、寄附金控除等)。もっとも、国家補助的なものは、本来、税制で控除すべき性質を有するものではなく、社会保障政策として歳出で賄うこととした方が適当であり、また、政策的要請に基づくものは、個別に存続意義を改めて検証し、極力廃止する方向で検討すべきである。
いずれにしても、税制の簡素化という要素を除けば、それぞれの控除の趣旨や目的に従って所得控除と税額控除に分けることが理論的には正しいといえる。しかしながら、現状において、所得控除が複雑であることを考えれば、まずは現行の所得控除を簡素・集約化して真に必要な控除のみに数を減らす方が先決であると考える。

(2) 人的控除の簡素・集約化
現行の人的控除は、親族の年齢や同居・別居等の事情に配慮して特定扶養控除や老人扶養控除等、様々な割増・加算措置をしている。これらの割増・加算措置は、基礎的人的控除の引上げによって最低生活費部分を斟酌することができるとともに、簡素化の観点から、親族に係る控除はすべて同額にすべきと考える。
例えば、老人は通常老齢年金を受給していることから、扶養控除を割増する必要性はなく、同居の加算は別居と比較して多額の費用を要するとは考えられない。また、配偶者特別控除は最低生活費控除という性質を有しないことなどから廃止すべきと考える。そのほか、寡婦には児童扶養手当があること、 男女平等の税制が望ましいことを考えると、寡婦(夫)控除は要件を統一すべきである。さらに、勤労学生控除は、勤労学生を取り巻く社会環境の変化等により存在意義は薄れていることから廃止すべきと考える。

(3) 移転的基礎控除の創設
基礎控除が最低生活費控除の性質を有していることを考えると、例えば配偶者が控除対象配偶者に該当し、かつ、配偶者に一定の所得があり、配偶者が基礎控除を適用している場合、その部分は納税者の配偶者控除からは除外すべきである。
この考え方は、世帯で見た場合の最低生活費非課税の原則の理に適っており、世帯間の公平にも資することになる。

(4) 所得控除改革の方向
所得控除を改革するに当たっては、これまでの立法経緯や納税者の負担を調整する観点から、段階的に人的控除を見直すとともに、納税者の大多数を占める給与所得者の所得計算を見直し、納税者全体の税負担や社会保障政策をも考慮の上、財政事情等を加味しながら検討する必要がある。
また、個人のライフスタイルの多様化等に伴う家族形態等の変容を十分に考慮しておく必要がある。そもそも税制に多様な機能を持たせようとしても自ずと限界があることから、個人が選択した結果によって不公平な税制とならないように個人的事情や政策的要請等の斟酌度合は必要最小限にとどめるべきである。

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