松田 直樹

税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的、問題点等

医療過誤訴訟や司法制度改革に代表されるように、職業専門家を取巻く環境は、昨今、大きく変わろうとしている。税務の分野においては、税法の複雑化や取引の国際化等の進展によって、税務専門家を取巻く環境も急速に変貌してきている。しかも、税理士の場合、平成13年の税理士法改正によって、税理士業務の多様化と税務の専門家としての地位の向上が図られ、税理士の業務分野は、今後、益々、質量的な伸張を遂げることが想定される。このような趨勢は、税理士の社会的な役割を高め、税理士のビジネス・チャンスを増加させる方向に作用するが、その反面、税理士が抱えるリスクを増大させる蓋然性を包含している。
主要国では、我が国に先立って、税務専門家の専門家責任論やリスクの大きいタックス・プラニングへの積極的な関与に伴うリスクの具体化が顕著に認められる。税務専門家に対する損害賠償請求訴訟や懲戒処分の件数も最近増加しており、税務専門家、納税者及び税理士監督当局間の関係は、既に新たな局面を迎えている。他方、我が国の場合、納税者と税理士との間の紛争が大きな問題となるというケースは、従来、それほど多くなかった。もっとも、このような状況は徐々に変貌してきており、そのことは、税理士に対する損害賠償請求訴訟件数や税理士職業賠償責任保険の支払件数・金額が最近顕著に増加していることなどからも明らかである。
近年における上記のような税理士を巡る状況の変容は、税理士にとっては勿論、税理士団体や税務当局などの税理士監督当局にとっても非常に重要な問題であり、今後の申告納税制度や税務行政のあり方を模索するうえで極めて重要なインプリケーションを有している。本研究においては、税務専門家を巡る主な問題・リスクの主要国における実状及び我が国における近年の実態を踏まえたうえで、税理士及び税理士監督当局は、増大してきている税理士が抱えるリスクを適切に管理・軽減するために、どのような対応策を講じることが必要であり、また、税理士のリスク管理という観点から、対納税者との関係は、どのように捉えるべきであるのかなどについて論考することを主な目的としている。

2 研究の概要等

  第1章「税理士のプロフェッショナリズム」では、内外における主な職業専門家の専門家としての責任・注意義務レベルの変遷を考察するほか、これらの職業専門家との比較という観点から、税理士のプロフェッショナルとしての地位・専門家責任論は、今日どのように位置付けられるのかを検討している。例えば、米国では、嘗てはあり得ないと判示されたこともあったコンピューター・スペシャリストの専門家責任がコンピューター・マルプラクティス訴訟で問題とされるなど、マルプラクティス訴訟の対象となる職業専門家の範囲が拡大している。このような傾向は、米国に限って認められるものではなく、我が国においても、嘗ては「セミ・プロフェッショナル」と位置付けられる向きもあった税理士も、その地位の向上に見合った責任義務が求められるようになってきているというのが実状である。
近年におけるこのような実状は、我が国の場合、諸外国と異なり、税務申告書の作成の代理業務等が有資格者である税理士に独占的に認められているということに鑑みた場合、むしろ当然の現象であり、同じく税理士制度を有するドイツにおける税理士に対する専門家責任のレベルの高さを示唆する判決(「税理士は依頼に関係した膨大な法律知識及び法的知識を備えているか、遅滞なく備えなければならない」Zugehor DStR2001,1613,1615m.m.N.; Lange DB 2003 869,871、「税理士は新規又は変更された法規範をこの範囲において調査しなければならない」(連邦通常裁判所1971年6月30日決定、IV ZB 41/71, NJW 1971,1704)は、我が国においても、このような現象が今後更に顕著なものとなることを暗示するものであるとも言えよう。
第2章「税務専門家のリスク」では、税理士の専門家責任論に立脚する主な判例を参考にしながら、税理士に求められる注意義務の内容とレベルを分析し、税理士業務がどのように変容してきているのかを主に契約法の観点から考察している。近年においては、税理士の地位の向上・役割の増大に伴い、税理士の専門家としての責任も重くなってきており、税理士の注意義務・節税義務違反に対して厳しい判決が下されることも少なくない。他方、主な欧米諸国ほどではないが、我が国においても、税理士のリスクの高い取引等への関与は、むしろ益々積極化してきているのが実状であり、本章では、その1例として、税理士のリスクの高い節税金融商品やタックス・シェルターへの関与がどのような問題を包含しているのかについても検討を行っている。
例えば、東京地裁平成11年3月30日判決では、融資一体型変額保険の勧誘・募集は税理士が行ったものであるという事実認定がされたため、行政取締法規である「保険募集の取締に関する法律」(平成7年法律第10号付則3条により廃止前のもの)第9条が生命保険の募集資格を登録させた生命保険募集人に限定し、同法16条1項1号が保険契約者や被保険者に不実を告げることや重要な事項を告げない行為を禁止し、昭和61年7月10日付通達(蔵銀1933号「変額保険募集上の留意点について」)が将来実績についての断定的判断の提供を禁止していることなどから、税理士の不法行為責任が認定された。
第3章「税務専門家のリスク軽減策−税理士職業賠償責任保険」では、主要国の税務専門家の職業賠償責任保険制度の特徴を踏まえたうえで、我が国における税理士の職業賠償責任保険制度の改革の方向性を提言する。主な諸外国と我が国における税務専門家の職業賠償責任保険の大きな違いは、保険加入の任意性、保険料、免責事項の範囲及び保険料決定基準等である。最近、税理士の職業賠償責任保険の免責条項の有効性に関して二つの最高裁判決が下された。本章では、これらの判決を巡る議論を踏まえながら、「プロフェッショナル」に相応しく、かつ税理士のリスク軽減に資する職業賠償責任保険制度のあり方を模索している。
税理士職業賠償責任保険の特約条項の適用を否定した上記の二つの最高裁判決の射程範囲がどれほどのものであるかについては議論があるが、これらの判決を契機として、大幅な赤字を抱える税理士職業賠償責任保険制度の保険料率は、ついに大幅な引上げが実行されるに至っている。今後は、制度運営上の赤字の拡大を抑制するとともに、過度の保険料負担が課されないような方向で税理士職業賠償責任保険制度の変革を実行することが重要な課題となろうが、この観点から、本稿では、税理士の税理士職業賠償責任保険制度への強制加入と各被保険者に対する過年度分の保険支払実績に基づいた保険料率の決定という制度改革を提言している。
第4章「租税専門家のリスク軽減策−裁判外紛争処理制度」では、税理士のレピューテーショナル・リスクの顕在化を回避するための手段ともなり得るADRのポテンシャルを考察している。最近、我が国でも、司法制度改革の中でADRの活用の拡大を図る制度を整備することの重要性が唱えられ、仲裁法(平成15年法律第138号)や裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(平成16年法律第151号)等が制定されているが、納税者と税理士間の紛争についても、その解決方法の一つとして、平成13年の税理士法の改正により、税理士会による紛議の調停制度が創設されたところである。
確かに、これまでのところ、当該制度の利用率は多くはないが、我が国においては、調停や仲裁を行うための制度的な枠組みの整備が未だ十分でないことなどに鑑みた場合、当該制度を有効に利用することによって、納税者と税理士間の紛争も、迅速、簡易、安価、柔軟な解決が図れることとなる場合が少なくないものと考えられる。主な欧米諸国では、既に、税務専門家と納税者の紛議についても、訴訟によらない簡素・迅速・低廉で柔軟な紛争解決を可能とする民間型ADR(とりわけ和解)の利用が活発化・半強制化している。また、調停委員を育てる環境も整備されてきており、納税者と税務専門家の紛争解決手段としての調停の役割は極めて大きいものとなっている。
第5章「税務専門家のリスクと監督当局との関係」では、税理士のビジネス・チャンスとリスクが増大してきている中、税理士会や税務当局等の税理士監督当局は、申告納税制度の適切な運用を図るために、どのような策を講じるべきであるのかを論考する。近年、主要国の税務専門家団体は、会員に対する研修やガイダンスを充実させてきている。例えば、英国の主な会計士・税務専門家団体は、昨今における税務専門家業務の複雑化・困難性の高まり等に鑑み、プラクティス・アシュランス・ビジットというプログラムを2003年以降実施しており、トレーニング・スタッフが税務専門家の業務執行状況を現場に赴いてチェックしている。
他方、行政の観点から税務専門家への監督権限を有している税務当局は、リスクの高い取引に関与する租税専門家に対する管理・監督態勢を強化してきている。例えば、米国内国歳入庁は、2004年に制定された「米国雇用創出法」に基づき、税務専門家のタックス・シェルターの登録義務等の違反に対する罰則を大幅に厳格化し、カナダ歳入庁は、2000年の所得税法・物品税法の改正によって、税務専門家のタックス・シェルターへの関与において「非難に値する行為」(“culpable conduct”)が認められる場合には、「第三者民事罰」(“third party civil penalty”)を適用し、税務専門家に相当額の罰金を課することができるようになった。
終章では、税理士と納税者間のリスク配分のあり方という観点から、税理士のリスク管理の在り方を論考している。申告納税制度の適切な運用を図るためには、納税者側のリスク認識・管理も非常に重要である。英国の「勅認会計士協会」(the Institute of Chartered Accountants in England & Wales)の職業規範に関するガイダンスには、「納税者は、自己の知る限りにおいて、正確で完全な申告書を提出する主たる責任を有している」と述べられているが、税理士制度を有するとはいえ、我が国においても、申告納税制度の下において申告内容に主体的な責任を持つべきは、本来、納税者本人のはずである。
申告書の作成・提出の委託先が税理士であるというケースではなかったが、京都地裁平成4年3月23日判決は、「納税者は、誠実に受任者を選任し、受任者の作成した申告書を点検し、自ら署名押印する等して適法に申告するよう監視、監督して、自己の申告義務に遺憾のないようにすべきである」と判示した。このような立場に立脚すれば、なおさらのこと、我が国と英米等における税務専門家と顧客との責任・義務関係及び業務取極めの実態上の差異に注目することが、リスク管理のあり方を考察するうえで一つのポイントとなろう。税務申告における税理士と納税者の責任・義務の本来のあり方を検討し、必要に応じて適切な書面の作成等を行うことによって、税理士が抱えるリスクは、さらに軽減され得ることを提言し、本研究論文のまとめとしている。

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