福田 知弘

研究科第39期
研究員


要約

1 研究の目的

 所得税が課税の対象としている種々の経済取引ないし経済活動は、原則として当事者間における自由な意思決定に基づいて形成される。そして、その結果生ずる経済的利得を基礎として所得税の課税所得が算定され、一定期間経過することによってその租税債権は成立する。
 私的自治が支配する私法においては、このような経済的利得の基礎となる法律関係を、原則としてそれに関与する当事者の合意で有効に成立させることとしているが、例外的に、第三者の一方的意思表示のみによって、いったん有効に成立した法律関係を変動し得ることを認めている。我が国の相続法は、かかる例外的なシステムとして相続の場合に被相続人が相続人のために相続財産の一定部分(遺留分)を保障する遺留分制度を規定している。すなわち、被相続人が行った財産の無償処分(遺贈等)に対して、遺留分を請求できる相続人(以下、「遺留分権利者」という。)は、その一方的意思表示により、じ後的にその財産の一部を取り戻す(減殺請求)ことが法的に保障されているのである(民1028、1031)。
 では、例外的に設けられた遺留分制度は、課税上の局面においてどのような問題を生じさせるのであろうか。例えば、遺贈により取得した貸付用不動産から生ずる不動産所得の申告を行っていた受遺者が、遺留分権利者より減殺請求を受け、当該不動産を返還した場合、受遺者及び遺留分権利者に係る課税関係はどのようになるのか。換言すれば、減殺請求の対象財産から生ずる所得は、誰に、いつの年分に帰属するのかという課税上の問題が惹起されることとなる。特にこのような課税関係は、遺産分割に伴う調停・判決等を経ることが多いことから、相続人間の権利関係が確定されるまでの期間は長期に及ぶこととなり、このことが問題を複雑にしているのである。
 そこで、本研究を通じて、私法上の遺留分減殺請求権に係る遺留分権利者と受贈者又は受遺者等(以下、「遺留分侵害者」という。)との法律関係を踏まえ、遺留分減殺請求時からその権利確定時までの期間における課税時期及び所得の帰属について検討する。更に、遺留分減殺請求により権利関係が変動することとなる相続財産から生ずる所得に係る課税関係の是正についても併せて検討を加える。

2 研究の内容

(1) 遺留分減殺請求権に係る私法上の取扱い

イ 遺留分減殺請求権の法的性質
 遺留分権利者が保障されるべき遺留分を侵害されたとき、遺留分減殺請求という意思表示によって遺留分侵害行為の効力は消滅し、目的物上の権利は当然に遺留分権利者に復帰すると解されており、遺留分権利者は目的財産の引渡しを物権的請求権又は不当利得返還請求権に基づいて請求することができる。そして遺留分侵害者は、遺留分を侵害する限度において目的物の返還又は価額弁償を要することになる。判例・通説は、このような遺留分減殺請求権の法的性質を行使者の意思表示によって権利が確定する形成権であると解している。

ロ 遺留分減殺請求による取戻財産の性質
 遺留分減殺請求によって取り戻された財産は、遺留分侵害者と遺留分権利者との共有となるが、両者の共有関係は遺言の類型により2つに分類される。
 まず、遺贈や「相続させる」遺言の効力が生じると、原則として、対象財産は相続財産から離脱し遺留分侵害者に移転する。その結果、遺留分権利者が遺留分を侵害されたとき、遺留分減殺請求という意思表示によって、遺留分に相当する財産は遺留分権利者へ移転すると解されている。これに対して一般的な相続分の指定や割合的包括遺贈は、原則として相続財産全体の持分割合が遺留分を限度に修正されるにとどまり、個別的な財産の移転は生じず、遺留分権利者と遺留分侵害者は遺産共有の関係となる。

(2) 遺贈又は「相続させる」遺言に対して遺留分減殺請求があった場合の課税関係
 先に述べたとおり、遺留分減殺請求権は形成権であるから、他の形成権に係る課税関係の考え方が参考になると思われる。
 例えば、ストックオプションの法的性質は、付与者と被付与者との間に内在した形成権であると考えられる。被付与者は権利行使という意思表示(形成権の行使)によって株式の市場価格と権利行使価格との差額相当の経済的利益を取得すると考えられるため、当該意思表示の時点をもって経済的利益が被付与者に帰属し、収入すべき時期が確定すると解される(1)
 他方、同じく形成権としての法的性質を有する賃料増額請求権は、その増額すべき賃料債権があらかじめ当事者間において合意されたものではなく、地価等様々な要因によって形成されるものである。したがって、当該請求権に係る課税関係は、原則として当該請求権を行使した時点で賃料債権が賃貸人に帰属し、その収入すべき時期が確定することとなるが、賃料債権について賃借人と争いがあり、かつ、これに関する金員を収受していない場合には、その裁判の確定した時点で賃料債権が賃貸人に帰属し、その収入すべき時期も確定すると考えられる。

(3) 相続分の指定又は割合的包括遺贈に対して遺留分減殺請求があった場合の課税関係
 遺留分減殺請求による取戻財産のうち、相続分の指定又は割合的包括遺贈に係る遺留分権利者と遺留分侵害者の法律関係は原則として遺産共有であり、これに着目すれば同様の性質を持つ未分割遺産から生ずる所得に係る課税関係の取扱いが参考になると思われる。

イ 未分割遺産から生ずる所得の課税関係
 未分割遺産から生ずる所得に係る課税関係については、遺産共有における共同相続人間の持分割合すなわち相続分とは何かということが問題となる。判例では、共同相続人が実体的権利として取得する相続分は、民法において規定されている法定相続分(民900、901)又は遺言による指定相続分(民902)(以下、「抽象的相続分」という。)であると解されている。
 したがって、遺産共有関係にある共同相続人は、抽象的相続分に応じて被相続人の権利義務を共有していることとなり、未分割遺産から生ずる所得はこれに応じて相続人に帰属し、その所得が生じた年分が収入すべき時期になると考えられる。

ロ 未分割遺産から生ずる所得の課税関係の是正
 遺産分割の効果によって相続人は、取得した相続財産が被相続人から直接移転するものとされている(民909)が、このことが遺産分割までの共同相続人の共有関係を否定するものではなく、また、未分割遺産から生ずる所得(果実)は相続財産ではない。このため、抽象的相続分に応じて共同相続人に帰属している未分割遺産から生ずる所得(果実)は、その後の遺産分割によって、既に確定している課税関係を是正する必要はないといい得る。
 しかしながら、遺言内容に瑕疵があるなど判決によって抽象的相続分の異動が確定した場合には、課税標準の計算の基礎となった事実が判決により異動したことになる。したがって、判決の確定により所得が減少する者については、国税通則法23条2項1号による更正の請求が認められるべきであり、逆に所得が増加する者については、その増加した部分の金額をその確定した年分に属する所得として収入金額に計上すべきであると考えられる。

3 結論

(1) 課税時期に係る取扱い
 形成権の行使に係る課税時期について、所得税法上は、原則として当該行使のあった時がその「収入すべき時期」であると考えられる。これを踏まえれば、遺留分減殺請求があった場合の相続財産から生ずる所得の課税時期はその意思表示の時点ということになる。
 しかしながら、遺贈又は「相続させる」遺言に対する遺留分減殺請求によって遺留分権利者と遺留分侵害者間で紛争が生じている場合には、当該財産の帰属が当事者間の訴訟等を通じて個別具体的に確定することとなる。このため、対象財産の帰属が確定するまで収入すべき時期は到来しておらず、課税関係を変更させる必要はないといい得る。
 したがって、遺留分減殺請求により対象財産の帰属先が未確定の場合における課税の時期は、その形成権的効果の特殊性を踏まえ、判決の確定した時点であると考えられる。

(2) 所得の帰属に係る取扱い
 遺留分減殺請求による取戻財産は、その形成権的効果により遺留分権利者と遺留分侵害者との共有となるため、当該財産から生ずる所得はその共有関係に応じて帰属することとなる。
 相続分の指定又は割合的包括遺贈の場合は、未分割遺産から生ずる所得と同様の取扱いとなり、遺留分減殺請求により指定相続分が修正された遺留分率に応じて所得が帰属すると解される。
 しかしながら、遺贈又は「相続させる」遺言に対する遺留分減殺請求によって当事者間で紛争が生じている場合、その訴訟等による確定までの期間は当初の遺言による権利関係に基づいて遺留分侵害者と遺留分権利者の所得が帰属すると考えられる。

(3) 課税関係の是正に係る取扱い
 遺留分減殺請求があった場合の相続財産から生ずる所得は、遺留分権利者と遺留分侵害者における課税標準の基礎となった対象財産又は抽象的相続分の異動の有無によって課税関係を是正すべきであると考えられる。
 すなわち、遺贈や「相続させる」遺言の場合は、対象財産から生ずる果実を返還すべきことが判決で確定したことをもって課税関係の是正を行い、その結果税額が減少する者は更正の請求をすることができ(通法232一)、また、税額が増加する者は判決が確定した日の属する年分において修正申告をすべきであると思われる。
 これに対して相続分の指定や割合的包括遺贈の場合における遺産分割中の所得は遺留分率によって帰属し、遺産分割による協議等の結果その割合等が変動しても課税関係の是正はすべきではないと考えられる。


(1) 酒井克彦「親会社ストック・オプションの権利行使利益に係る所得区分(下)」月刊税務事例36巻6号1頁以下(2004)を参考とした。

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