大橋 時昭

税務大学校
研究部主任教授


要約

1 研究の目的・問題点等

 国家は主権の発動として固有の課税権を有しているが、国際法上これを制限するルールはないとされる。そうすると、各国の課税権が競合し国際的二重課税等が発生する。国際的二重課税等は国際経済の発展の阻害要因となるためその除去が必要となるが、そのためには各国の課税権を調整(配分)する必要がある。これを国家間で約束するのが租税条約である。この課税権の配分という租税条約の目的は、両締約国がその規定を統一して解釈・適用することによって可能となるが、租税条約の規定には抽象的、不明確な部分があること、あるいは、その解釈・適用には締約国の利害が絡むことから、しばしば租税条約の規定に適合しない課税が発生する。これを解決するのが相互協議制度である。したがって、相互協議には、国際的二重課税等を回避するとともに、わが国の適正なる課税権を確保するという責務がある。
 そこで、相互協議制度についてみるに、相互協議規定では、権限ある当局に対し、国際的二重課税等の問題を合意により解決する権限を与えている。しかしながら、相互協議の「合意」及びそれに至る「協議の実施」につき、1わが国の憲法が規定する租税法律主義との関係(国内税法を変容する合意の可否)、2国内救済手段との関係(両手続の調整いかん)、更には、3協議手続の遂行における納税者の権利保護との関係(相互協議関連通知への不服申立ての可否)につき、疑問ないし不都合が指摘されている。そこで、相互協議を巡るこれら三つの問題に焦点を当て、相互協議を取り巻く法令の適用関係につき整理を試みた。なお、検討に当たっては、これらの問題が顕著に現れる移転価格課税に係る相互協議を中心に行った。

2 研究の概要等

(1) 相互協議と租税法律主義の関係

イ 租税法律主義の下では、「法律」に規定する課税要件が充足されている限り租税行政庁には租税の減免の自由なく、また、租税を徴収しない自由もない(合法性の原則)とされる。一方、わが国が締結した租税条約には課税要件規定及び手続規定が盛り込まれている。したがって、本問題の検討に当たっては、租税条約の国内適用につき整理する必要がある。租税条約はそのままの形で国内的効力を有し法律に優先する(一般的受容方式)が、国内直接適用性を有するのは課税制限規定のみであり、かつ、その内容が明確である場合とするのが通説である。すなわち、国際法が国内法を修正又は無効ならしめるべき場合には、当該規定がその旨を疑いの余地なく表現しなければならない、とされる。

ロ しかして、相互協議規定(個別事案協議)は、「合意により解決するよう努める」といった極めて抽象的な表現となっており、また、当該合意を経て納税者の納税義務を確定(主として、減額更正)に導く手続につき定めていることから、手続法規定として存在する。同規定は、締約国による「措置」の「租税条約の規定への適合性」の問題を「合意」により解決するとするが、この「措置」は一般的には課税処分であり、事案における課税要件事実の認定、租税法の解釈・適用によってなされる。
 したがって、同規定の具体的意味は、課税処分が、適正なる課税要件事実の認定の下で、租税条約の規定に対する法的意味の適正なる理解(解釈)が行われ、当該課税要件事実への当該規定の適切なる当てはめ(適用)がなされたかにつき、両締約国の見解を統一することといえる。すなわち、相互協議は、1租税条約の規定の解釈・適用を巡る協議であり、2両締約国間の法的紛争・対立の解決手段である、ということができる。

ハ 租税条約の解釈については自らも規定を置く(基本的に文脈による解釈を優先)が、その原則を規定するものに「条約法に関するウィーン条約」がある。同条約では、「条約は文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈すべき」としており、条約解釈における法創造的機能(立法者意思の発見)、条約文の枠内における目的論的解釈を認めているとされる。また、同条約の解釈原則から、OECDモデル条約コメンタリーや移転価格ガイドラインが、個別の租税条約の解釈基準となり得る。

ニ 【小括】 上記イからハを踏まえ、租税法律主義の観点から、権限ある当局の相互協議における(合意)権限の範囲につき移転価格課税の関連で整理すれば、以下のとおり。

(イ) 相互協議規定は手続法規定であり、解決に関する規定も抽象的であることから、権限ある当局は、本規定のみを根拠として、国内税法の規定を変容する内容の合意はできない。ただし、成立した合意の国内実施については、明確に規定(更正等の期間制限に係る国内税法の規定の変容)しているので、この限りでない。

(ロ) 租税条約に実体法規定が存在し、それが課税制限規定であり、かつ、明確性を有する場合には、権限ある当局は、国内税法の規定を変容する内容の合意ができる。例えば、移転価格課税に係る(わが国での)対応的調整については、租税条約における特殊関連企業条項(実体法規定)、相互協議条項(手続法規定)を根拠として合意が可能である。なお、実体法規定が存在する場合においても、当該実体法規定の射程外(趣旨、目的を逸脱)となる合意はできない(例:タックス・ヘイブン対策税制に基づく課税は、特殊関連企業条項の射程外)。

(ハ) 相互協議は、租税条約の規定の解釈・適用を巡る協議であるから、権限ある当局は、租税条約の規定自体を改訂あるいは新たな規定の追加となるような内容の合意はできない。また、相互協議は法的紛争・対立の解決手段であるから、現行の国際法に立脚した処理(司法的処理)が原則とされる。すなわち、相互協議は政治的処理の場ではなく、租税条約上も国内法上もこれを可能とする規定はないから、権限ある当局は、法令に立脚しない政治的処理となる内容の合意はできない。
 権限ある当局による合意のための更なる課税権の譲歩(範囲)については、OECDモデル条約コメンタリー、移転価格ガイドライン、ウィーン条約の目的論的解釈等が認め得る範囲内で個別に判断することになろう。例えば、独立企業基準における独立企業間価格の算定につき、わが国の算定方式を基礎に相手国の方法を取り込むことまでは可能ではないかと思料する。

(2) 相互協議と国内救済手段の関係

イ 相互協議手続は国内救済手続とは別個の制度であり、納税者は、同時に両手続の申立てができる。両手続はそれぞれ目的・性格及び手続構造等を異にしており、担当部局も異なることから、その結果は異なり得る。また、国内救済手続における取消裁決及び取消判決は行政庁を拘束するが、相互協議の合意は納税者等を拘束しない。そこで、両手続が同時に申立てられ、それらが同時追行される場合、とりわけ、権限ある当局にとって不都合が生じる。

ロ 両手続の調整に当たっては、1両手続の目的・性格の相違(権利救済制度と紛争解決手段)、2両手続の法的拘束性の相違(上記イのとおり)、3両手続における納税者の権利等(裁判を受ける権利、相互協議申立権の行使により生じる当局の合意努力義務)に配慮する必要がある。なお、両手続の同時追行の場合における権限ある当局及び納税者の対応については、国内救済手続における棄却裁決又は棄却判決後の相互協議の合意による下方修正の可否を踏まえることが望ましいと考える。この点については、棄却裁決及び棄却判決の場合は、課税庁の処分に違法性あるいは不当性がない旨を判断したにとどまるものとされ、その後に課税庁が職権により当該処分を取り消すことは可能とされていることから、下方修正は法律的には可能と思料する。

ハ 【小括】
 上記イ及びロを踏まえ、両手続の調整の在り方を検討すれば以下のとおり。

(イ) 納税者が国内救済手続を追行する場合、権限ある当局は、納税者から留保の要請がない限り、相互協議手続を進め、合意できる見込みとなった段階(仮合意)で納税者に対し、国内救済手続を継続するか否かについての意思を確認する。納税者が継続しない旨の意思を表明した場合(不服申立ての取下げ)には合意を成立させ国内実施する。継続の意思を表明した場合の対応については、以下の(ロ)及び(ハ)の仮合意に達した場合に同じ。

(ロ) 納税者が国内救済手続の追行を留保する場合も、権限ある当局は、相互協議手続を進め、仮合意に至った段階で納税者に対し、国内救済手続を継続するか否かの確認を求め、納税者が継続しないとした場合には合意を成立させ国内実施する。納税者が国内救済手続を継続する旨の意思を表明した場合には、1相互協議を終了させる対応と、2合意を留保(相互協議の一時中断)し裁決等の結果を待つ対応の二つが考えられる。

(ハ) 上記(ロ)の二つの対応の選択は、権限ある当局の合意努力義務をどこまで求めるかの問題であるが、相互協議の目的・性格(適合しない課税の回避・紛争解決手段)から、仮合意に至った段階で既に義務は果たしているといえ、協議は終了となろう。相互協議の一時中断は相手国との関係もあるが、実益の限りにおいて選択の余地があろう。 仮合意前に裁決等(一部取消し)が出された場合には、権限ある当局は、その内容(課税額等)を更に納税者有利にすべき理由を認めなければ、当該裁決等の内容に基づき、相手国に対し、対応的調整を求めることとなろう。

(ニ) 納税者が国内救済手続を継続しない旨の意思を表明することは、当該手続の取下げを伴うと考えられるが、仮に当該意思を表明した上でこれを追行した場合には、納税者の相互協議に係る権利の濫用又は不当な使用であること、また、課税真空地帯の発生の認容は相互協議の意図するところではないとの理由から、不服申立ての取下げを待って合意を成立させるとの対応は合理的とされよう。

(ホ) 相互協議における国内救済手続の前置については、両手続の目的、性格、手続構造が異なるとの前提に立てば、課税当局によるそのような対応には問題があろう。また、それを可能とするような規定自体の制定も難しいのではないかと考える。しかし、仮に、国内救済手続前置の立法化は可能ということであれば、その前提として、権限ある当局による裁決又は判決後の下方修正の権限を明記すべきである。

(3) 相互協議における納税者の権利保護

イ 相互協議は権限ある当局間のみの協議であり、納税者は参加できないが、協議に関連して権限ある当局より、一定の場合に、「相互協議の申入れを行わない旨の通知」や「相互協議を終了した旨の通知」が発出される(相互協議通達に規定)。そこで、納税者はこれらの通知に対し不服申立てができるかといった疑問がある。

ロ 不服申立ての要件は、1行政処分であること、2不服申立ての利益が存在すること、の二つである。1は、「公権力の行使として、外部に対してなされる直接の法的効果を生ずる行為」とされ、当該行為とは、「その行為によって国民の権利義務を形成することが法律上認められているもの」とされる。2は、「行政庁の違法又は不当な処分よって、自己の利益を侵害された場合」とされる。なお、行政当局の自由裁量事項については、原則として、権利侵害等の問題は生じない。

ハ 【小括】 相互協議は権利救済制度ではなく、国家間の課税権の調整に係る紛争・対立の解決手段(外交交渉)であるとの立場からは、その遂行における納税者の権利は制限されるから、かかる不服申立てはできないとする見解となろう。しかしながら、上記の二通知については、1それは当局が一方的に事実を認定し、法令を解釈・適用するものであって、2それにより当初課税が租税条約の規定に適合するものであるとの効果を生じさせるとして、行政処分に該当するとされる余地があるように思われる(合意努力義務を発生させる相互協議の申立てが『正当と認める場合』なる概念は、司法的コントロールに服するとされ得る)。次に、不服申立ての利益「法的に保護された利益」についても、3納税者の申立権の保障・充足が、権限ある当局による合意努力義務の適正なる遂行に依ることを考えれば、存在するとされる可能性があるように思われる。

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