三宅 浩一

税務大学校
研究部教育官


要約

1 研究の目的、問題点等

 土地等の売買契約成立後、その契約に係る引渡しが未了の状態で売主又は買主に相続が開始した場合における相続税の課税財産がその取引の対象物である土地所有権であるのか、あるいは契約によって成立した売買代金請求権や土地の引渡請求権等の債権であるかということは、原則として民法等の規定に基づく私法上の法律関係を前提として考えなけばならないが、相続税法あるいは評価通達ではこれらの取扱いについて特に定められた規定はない。
また、相続税の課税価格に算入すべき価額について相続税法22条は、「特別の定めのある場合を除き、相続又は遺贈により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価による」と規定し、いわゆる時価主義を定めているが、売買契約中の財産についての具体的な評価方法について定めた規定もない。このような中、売買契約中の相続財産については、特に実際の売買価額と相続税評価額との間の乖離が大きいものほど課税関係に大きな影響を及ぼすとともに、相続税の負担に大きな差異が生じることとなり重要な問題であることから、その取扱いは慎重かつ公平でなければならない。
本研究では、土地等の売買契約中に売主又は買主に相続が開始した場合における相続税の課税財産及び評価について、判例及び学説等の動向を踏まえながら考察するとともに、更に租税特別措置法69条の4(小規模宅地等の課税の特例)の趣旨にかんがみ、売買契約中の土地等について本特例が適用できるか否かという点について検討する。

2 研究の過程等

(1) 判例の動向
売主に相続が開始した場合の事例として最高裁として初めて判断を示したものが最二小判昭和61年12月5日である。すなわち、「たとえ本件土地の所有権が売主に残っているとしても、もはやその実質は売買代金債権を確保するための機能を有するにすぎず、独立して相続税の課税財産を構成しないというべきであって、課税財産となるのは売買残代金債権である」とし、また、その価額は、具体的売買契約により顕在化している契約上の取引価額であると判示しており、その後の下級審判決においても踏襲されている。
一方、買主に相続が開始した場合の事例について最二小判昭和61年12月5日は、買主は相続開始時点では所有権を有しておらず、相続税の課税財産に含まれるものは、土地の所有権移転請求権等の債権的権利であり、その財産の価額は、当該土地の売買契約における売買価額であると判示している。つまり、客観的な取引価額を顕現する売買契約が課税時期の直近において成立しているなど、その適正な時価が何らかの方法で明確にされている場合には、あえて評価通達を用いる必要はなく、その取引価額をもって時価とすべきであるということである。
ただし、売買契約成立時から相続開始までに長期間経過した場合の事例において、最三小判平成5年5月28日は、その相続財産は所有権移転請求権等の債権的権利であるとしながらも、評価額については、当該売買の対象となった農地の売買代金ではなく、農地と同一の財産的価値(相続税評価額)を有しているものと解するのが相当であると判示している。
そして、これらの判例を受けて現在の課税執行上の考え方としている。

(2) 学説の動向
相続税の課税財産について学説は、その財産の評価額が問題であり財産の種類にはこだわらないとする説もあるが、売主死亡の場合においては、1土地所有権自体を課税財産とする説、2売買代金債権を課税財産とする説があり、買主死亡の場合においては、多くは所有権移転請求権であるとしている。
また、当該財産の評価についてであるが、問題は、地価の上昇時又は下落時のいずれの時期においても相続開始時における相続税評価額と実際の取引価額とに乖離が生じていることである。それゆえに学説は、根本的な問題として相続税法22条の「時価」の解釈としての評価通達の意義と性質、行政先例法性との関係、取引価額との乖離等の問題を中心に展開していくが、結論として1評価通達に基づいて評価するとする説と、2売買契約によって具体的な取引価額が明らかとなっているためその取引価額で評価するとする説とに分かれる。

(3) 検討

イ 相続税課税における「売買契約中」の期間
農地の売買において、農地法上の転用未許可等の状態での取引が多方面にわたって行われている現状を考えた場合、私法上の契約に基づく所有権移転時期が直接相続税の課税に影響するとしたのでは、例えば、前述のような売買契約成立時から長期間経過しているような事例に対応できない。これは、相続税の課税上において「売買契約中」という期間をどのように捉えるかという問題であるが、現行の課税執行上の考え方ではこの取扱いが適用される範囲は、原則として土地等の売買契約後、当該土地等の売主から買主への資産の引渡し前に売主又は買主に相続が開始した場合であり、代金の決済という経済的側面は特に重視していない。しかし、相続開始日において既に代金の決済を了しているような場合においては、私法上の契約に基づく所有権移転という法律関係よりも、むしろ売買代金の受渡しという経済的実質に重きをおいて相続税の課税関係を整理すべきであろうと考える。もっとも通常の取引においては、売買物件の引渡しと売買代金の受渡しとはほとんどが同時期になるものと考えられることから、売買契約中に買主に相続が開始した場合において、農地法上の所定の許可等が未了であったり、あるいは所有権移転登記が未了であった場合でも、原則としては物件の引渡しが完了しておれば相続税の課税価格に算入すべき財産は土地所有権とし、当該財産の評価は、相続税評価額によることとなるのであるが、まれに物件の引渡しと売買代金の決済の日が異なる取引が行われた場合には、契約に係る売買代金の決済を了しておればここでいう「売買契約中」の期間からは除外すべきであると考える。

ロ 売買契約中の課税財産等
土地の売買契約締結時における当事者に帰属する債権債務関係は、売主側は、債権として売買代金請求権を、債務として所有権移転義務を有し、一方、買主側は、債権として所有権移転請求権を、債務として代金支払債務を有することになる。そして、売主には所有権が留保されていることから当該土地所有権が存することとなる。これらの財産債務のうち、相続開始時において金銭に見積もることができる経済的価値のあるものが課税財産となり(相基通11の2−1)、現に存すると認められる債務が債務控除の対象になる。この場合に土地の売買契約中に売主と買主が同時に死亡したときを考えると、双方の債権債務関係は、それぞれ表裏一体の関係になるものと考える。
また、売買契約中における土地所有権に関して、買主側は、売買契約に基づく義務が履行されておらず当該財産の所有権が買主に移転していないことから、判例、学説のとおり所有権自体を課税財産とみることはできないが、売主側は、売買契約中であるとはいえ所有権が留保されている以上、土地としての経済的価値はあると認められることから、相続税の課税財産を構成するものと考える。そして、このように解することは、売主側において、土地所有権と当該土地の所有権引渡義務が等価であることを考えると、売買残代金請求権だけが残ることとなり、前述の売主に相続が開始した場合の判例と結果的に同じことになる。更には売主と買主の双方の課税関係において整合性がとれることになる。

ハ 評価
相続税の課税価格に算入されるべき財産の価額は、相続開始時における客観的な交換価値による価額によるのであるが、評価通達による評価額が相続税法22条における時価であるということを考えた場合には、評価通達説の立場は明快であるように思われるが、同説においては、余剰債務額の発生の問題が解決できない。これに対して、取引価額説が説くように相続開始時の直近に土地等の売買契約が成立しているなど、その客観的な価額が取引価額という形で明確になっている時までも当該土地等の時価を評価通達により算定することは、かえって相続税法22条の趣旨に照らして不合理であるばかりでなく、租税負担の公平をも害することになり、このような場合には、評価の原則に立ち返って実際の取引価額をもって時価とすべきであると考える。

ニ 小規模宅地等の特例の適用
小規模宅地等の特例の適用については、売買契約中の課税財産の性質が債権的なものであるとするならば、条文の規定から本特例における特例適用土地等の範囲を「債権」にまで拡大することは適当ではないと考える。一方、買主に相続が開始した場合の課税財産に「土地等」が含まれていないからといって本特例の適用を認めないとするのは、本特例が居住若しくは事業を継続していく上で欠くことのできない資産で生活基盤及び社会的基盤の継続などのために不可欠であり、相続人等の税負担の軽減を目的として創設されたものであるという制定の趣旨からして不合理であるとも考えられる。現に、本特例の取扱いとして、事業用建物等や居住用建物の建築中等に相続が開始した場合において、本特例が設けられている趣旨から本特例の適用を認める取扱いをしているものもある。このように考えると、たとえ課税財産の種類が「債権」であったとしても、本特例の制定の趣旨からその適用を認める余地はあるものと考える。しかし、本特例が政策的に制定されたものであり、条文の規定が特例適用対象を「土地等」に限定している以上、その解釈は厳密でなくてはならず、このような拡大解釈をすべきではないと考える。

3 結論

 以上のことから、売買契約中における課税財産は、売主に相続開始があった場合は、所有権である土地及び売買残代金請求権が課税財産となり、所有権引渡義務が債務控除の対象となる。一方、買主に相続開始があった場合には、所有権移転請求権等の債権が課税財産となり、残代金債務額が債務控除の対象になるものと考える。また、その評価は、売買価額が通常成立すると認められる取引価額に比し著しく異なるところがないものであれば、その取引価額をもって相続開始時における時価とすることが適当であると考える。そして、このような取扱いをするのは、原則として売買契約締結日から売主から買主への財産の引渡しの日前に売主又は買主に相続が開始したときとするのが相当であるが、ただし、契約に係る売買代金の決済を了しておればここでいう「売買契約中」の期間からは除外すべきであると考える。
なお、小規模宅地等の特例の適用については、売買契約中の課税財産に本特例の適用要件である「土地等」が存在する場合に限り適用があるものと解する。したがって、現行法上では売主側においては他の適用要件を具備する限り本特例の適用はあり、買主側においては、特例の趣旨からは特例の適用を認める余地はあると考えるが、特例適用の対象となる課税財産の種類を所有権移転請求権のような「債権」にまで拡大することには何らかの法的措置等が必要であると考える。

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