日景 智

税務大学校
研究部教育官


要約

1 研究の目的

 わが国の個人所得課税は、国税である所得税と地方税である個人住民税によって行われており、両者は、それぞれ国税と地方税における基幹税たる地位を占めており、今後もそのようにあり続けることが期待されている。
一般論としていえば、個人所得という同じ税源に国と地方とが別個に課税するようなことは、国と地方とで徴税コストが重複し、効率的でない面がある上、納税者側の負担する申告・納付等に要する納税コストを増幅させるといったデメリットがあると考えられるところであるが、わが国では、このようなデメリットは顕在化していない。それは、国と地方とが、個人所得という同じ税源に対する所得税と個人住民税の執行を、互いの課税権を尊重しつつ、納税者に過度の負担を強いることなく、効率的に行っていくことを可能とする「個人所得課税のメカニズム」ができあがっているからであると考える。
しかしながら、この「個人所得課税のメカニズム」は、執行の当事者たる国も地方も、個人所得課税の全体像に目を向けることが少ないこともあり、必ずしも明確に認識されているとはいえないように思われる。このことが第一の問題点である。
例えば、個人所得課税の執行に関しては、国と地方との間に一定の協力関係が構築されていているが、その関係については、ともすると地方の国への依存といった形で捉えられがちである。しかし、仮に、国の所得税の執行に関し地方の協力が得られないとした場合、現在のような執行のレベルを維持していくことは困難であることも指摘し得るのであり、このことを明確にしておく必要があると考える。
ところで、今後の税制のあり方に関しては、様々に議論が行われてきているところであるが、仮に、「個人所得課税のメカニズム」の実態とその評価という視点を欠いたままで将来の個人所得税制が決定されるとすれば、このメカニズムに変調を来し、個人所得税に係る執行のレベルを低下せしめるといった懸念がある。このことが第二の問題点である。
本研究は、以上のような問題意識から、所得税と個人住民税とがどのような形で関連し、これらの執行がどのように行われているのかを整理することにより「個人所得課税のメカニズム」の実態を明らかにするとともに、その評価を試みるものである。

2 研究の内容等

 「個人所得課税のメカニズム」は、制度面の様々な手当てだけではなく、国と地方との間で構築されてきた協力関係など執行上の創意工夫というべきものから構成されているものであると考える。そこで、考察の前提として、所得税と個人住民税とを様々な観点から対比・整理するとともに、個人所得課税分野において国と地方との間にどのような協力関係が構築されているのかについて概観しておく。

(1)  所得税と個人住民税との対比

1  制度の沿革 現行の個人住民税所得割は、シャウプ勧告を受けて行われた昭和25年度の税制改正により導入された、所得税付加税的な性格の市町村民税を嚆矢とするものであり、その後、地方税の独自性を確保する見地からの改正が加えられてきたものの、納税者の過大な事務負担を回避しつつ、行政効率を高めるという見地から、国税たる所得税と完全に袂を分かつような仕組みが採用されることにはならなかったということができる。

2 税額確定手続 個人住民税については、賦課課税制度が採用されているが、具体的な賦課手続において、申告納税制度とこれを補完する源泉徴収・年末調整制度に基礎を置く所得税に係る情報を最大限活用することで、納税者に過度の負担を強いることのない効率的な仕組みとなっているということができる。

3 源泉徴収制度と特別徴収制度 所得税の源泉徴収制度と個人住民税の特別徴収制度とは、ともに、徴税の確保に資するばかりでなく、源泉徴収義務者(特別徴収義務者)による事務負担によって納税者及び課税庁の事務負担を軽減する効果を持っているなど、類似点が少なくないが、例えば、給与所得に係る個人住民税特別徴収税額は、その天引きの行われる給与そのものの額とは関連性がないという点で、所得税の源泉徴収とは大きく異なる。

4 税負担の時期 所得税に係る税負担については、源泉徴収、予定納税及び申告納付並びに延納によるものがあり、個人住民税に係る税負担については、普通徴収及び特別徴収によるものがあって、その負担の時期は、様々であるが、全体的にいえば、所得税に係る税負担が先行し、しかるのちに個人住民税に係る税負担が求められる仕組みとなっている。

5 納税者の範囲 個人住民税の納税義務者の範囲は、国全体で捉えれば、所得税法上の「居住者」の範囲とほぼ重複しているということができるが、課税庁との直接の関わりという面からすると、所得税における確定申告義務者の範囲が限定されているところから、個人住民税の納税義務者の範囲が相対的に広いということができる。

6 所得税と個人住民税とは、税率が異なるものの、税額計算に係る仕組みはほぼ共通するものということができ、このことが、所得税に係る確定申告書などの情報を個人住民税の賦課決定のために活用する上で有効であると指摘し得るが、各種所得金額の計算・課税標準について若干の相違があり、各種所得控除における控除額が異なるものもある。

(2) 個人所得税分野における国と地方との協力関係
戦後の個人所得税分野における国と地方との協力関係は、昭和29年度税制改正に向けた税制調査会の答申において、国と地方の税務当局の連絡・協調の推進等の必要性を指摘されたことを受け、国税庁と当時の自治庁との間で、課税関係資料等の閲覧の相互協力などに関し了解事項が締結されたことを契機に大きく前進し、その後、主要な税制改革などを機に、国税庁−旧自治省間で重要な了解事項が交わされてきている。
現在、国から地方に対しては、所得税の確定申告書等の課税資料が提供される一方、地方から国に対しては、個人住民税の賦課決定を通じて把握された所得税の課税上の問題点等がフィードバックされるようになっている。

3 結論

 わが国の個人所得税は、税額確定の仕組みや徴税の流れから見れば、個人住民税が申告納税制度とこれを補完する源泉徴収制度とに基礎を置く所得税の課税方式を最大限活用した仕組みとなっているといえるのであり、所得税が「主」、個人住民税が「従」といった形で捉えることもできる。
しかしながら、課税当局が管理する納税者の範囲について見ると、個人住民税の方が相当広いところであり、この点からすれば、むしろ、個人住民税が土台的役割を担い、その土台の上に所得税が乗っているものと捉えることもできる。
そして、以上のように捉えられる個人所得税を執行していくため、国と地方とが適切に協力し合う形で「個人所得課税のメカニズム」ができている。
このような「個人所得課税のメカニズム」の下では、国(税務署)が個人住民税額の計算に影響を及ぼす所得税関係法令の解釈や、税務調査を分担し、地方(市区町村)が広範な納税義務者を分類・整理し、その固有情報や国から提供される情報等を活用した形式的な審査を分担するというあり方が望ましいと考えられる。そして、このようなメカニズムは、所得税と個人住民税とが国税と地方税として互いに独立した税目として存在しているからこそ有効に機能し得るものと考えられる。
また、これまで構築されてきた「個人所得課税のメカニズム」は、両税の執行レベルを維持・向上させていく上で、今後も極力活かしていくべきであり、そのことは、今後、給与所得に係る年末調整の廃止や電子申告の導入・普及といった制度の抜本的な改正が行われる場合にも変わりはないものと考える。

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