吉川 保弘

税務大学校
研究部教授


はじめに

1 中小企業の海外進出の状況

  平成10年度の中小企業白書によれば、プラザ合意以後の経済構造変化について次のように指摘する。「85年のプラザ合意以後、急速な円高が発生した。86年には円高不況が発生し、以後我が国では内需主導型経済への転換が強く求められるようになった。その後、金融緩和政策と消費支出の増大等により、企業収益も増大したが、90年のバブル崩壊後は長期の低迷が続いた。中小企業についても、(既述したように)ストック調整が遅れ、従来の特徴であった設備投資の先行指標性が失われた。また、円高による我が国の輸出品の国際市場での価格の上昇や引き続く通商摩擦の発生等により、製造業においては海外での現地生産推進の必要性が一層高まり、中小企業においても、アジア地域を中心に、海外に投資する企業が増加した。」(1)

 さらに加えて、同白書は、実際の中小企業の海外進出の状況を海外直接投資件数から概観すると(2)、最近は2年続けて前年比で減少しているものの全投資件数に占める中小企業の割合は50%を超えており、依然として高い水準にあるものといえるとし、業種別に分析すると平成3年以後急激に拡大してきた製造業は平成6年をピークに、平成7年以降は3年続けて減少しているが、商業・サービス関係は増加傾向にあり、地域的には中国投資が減少しASEAN諸国への投資が増加していると指摘している。

 そして、アジアに進出した我が国の中小企業は大企業の海外生産拠点に向けた部品サプライヤーとしての役割を担っているものと言えるとし、繊維業界のような製品ごとの最適地生産の動きは一層進み、我が国の中小企業は国際分業体制の一端を担っていくものと予測している。

2 中小企業及び居住者によるタックスヘイブン利用形態研究の必要性

 昭和59年に筆者は、移転価格対策税制導入前におけるタックスヘイブン利用における問題点を外国税額控除制度の視点から言及し、タックスヘイブン対策税制を通じることにより国内源泉所得の国外源泉所得への変換が容易であり、結果として外国税額控除という形で我が国への納付法人税が減少するという問題を提起してきた。(3)その後、外国税額控除制度の改正が行われ、指摘してきた問題点はかなり改善されてきている。こうした外国税額控除の要件が厳しくなれば我が国企業はタックスヘイブンの利用へと向かうとの指摘がある。(4)実際我が国企業のタックスヘイブン利用が増加していると見られるデータ(5)もあり、国外では個人レベルすなわち居住者のタックスヘイブンの利用が問題(6)となっていたが、今日我が国の居住者においても、タックスヘイブン利用により租税回避ないし脱税を図る者が現れてきている。(7)

 こうした中で、大企業である多国籍企業を対象とした国際的租税回避は、比較的研究が進んでいると考えられるが、これまで中小企業や個人レベルのタックスヘイブンを利用した国際的租税回避の実態に関する研究は余り行われていなかった。タックスヘイブン利用の実態がどれだけ中小企業や個人に反映しているか具体的なデータがないので確定的なことは言えないにしても、我が国においてもインターネット上のタックスヘイブンに関する多くの情報(8)(中にはコマーシャルべースのものもある。)や、単行本におけるタックスヘイブンの利用の奨励(9)を考慮すると中小企業とりわけその大勢をなす同族会社及び居住者等の個人のタックスヘイブン利用の実態に関する研究は、ますます必要度を増している。

 そして、個人レベルのタックスヘイブン利用に関して、外国においては従来から節税のために個人の住所地を国外に移転することが指摘されてきたが、我が国においてもいまや、そうした風潮が現れている。すなわち、タックスヘイブンに名目的居所を構えて租税負担を軽減しようとするものである。タックスヘイブンの利用は、古くは便宜置籍船の問題があるが、現在においては法人のタックスヘイブン利用から個人のそれへと拡大進展しているのである。

3 同族会社の国際的課税問題検討の視点

 中小企業における国際課税の問題も次第に増加しつつある。公式な具体的な数値は存在しないが、全国主要税務署に配置されている国際調査情報官の増加につれて具体的な課税問題が顕在化していると考えられる。(10)

 これまで国際課税の問題は、大企業である多国籍企業の行動を前提とし、タックスヘイブン対策税制、移転価格対策税制等の個別税制ごとに議論される傾向があった。企業のタックスプランニングは投資国及び居住地国のいろいろな経済条件を考慮して行われるが、考慮すべき要素を税に限定したとしても、租税条約、投資国の税制、我が国の国際課税の個別規定等を対照考慮してその得失の検討が行われているはずである。(11)

 基本的な国際課税の課題は大企業であろうと中小企業であろうと異なるところはないが、中小企業の大半が同族会社であることを考慮に入れると、これまでと異なった視点で議論する必要がある。

 同族会社の意思決定がごく少数の個人によって行われるため、個人の利益を優先する租税回避が行われやすく、さらに法人税制と所得税制との差異から所得源泉地の移動や所得分類等のコンバートが行われやすい。現代においては、経済がグローバル化し、それに伴う国際課税問題も高度複雑化してきている。通信、送金等が技術革新により瞬時に行われ、交通手段も格段の進歩を遂げている。このような状況下においては、ある特定の国に物理的に居住し経済活動を営む必要性は従前に比して減じている。例えば、テレビ会議のように国外に居住しながら国内にいるのと同様な活動をすることも可能となる。さらに、グローバル・トレーディングやインターネットを利用したイー・コマースの進展は、これまでの恒久的施設の概念や所得源泉地の概念の意義を希薄にしその特定を困難にする。

 同族会社においては、一般に、一人又は少数の株主によって支配されており、所有と経営とが分離されずに結合しているため、これらの者による恣意的な取引や経理が行われやすく、その結果として、税負担が不当に軽減されることが少なくない。(12)

 既に同族会社を巡る租税回避については多くの論述があるが、これまではどちらかというと国内における経済取引を前提としたものに限られ、国際間に及ぶ租税回避についてはあまり議論されていなかった。これは、同族会社の大勢をなす中小企業においては従来はそれほど国際課税上の問題がなかったともいえるが、いまや中小企業も国際化の潮流の中に巻き込まれており、この課税の検討が必要になってきている。

 本稿は、以上の背景を考慮に入れて、中小企業の大勢を占める同族会社及びそれを支配する株主に焦点を合わせた国際的な課税問題を検討しようとするものである。


  1. (1) 平成10年度中小企業白書p266
  2. (2) 実際の中小企業の海外進出状況を海外直接投資件数から概観すると次のようになっている。同白書p71〜72
      平成元年 平成2年 平成3年 平成4年 平成5年 平成6年 平成7年 平成8年 平成9年
    全法人数 2,602 2,249 1,556 1,397 1,530 1,203 1,498 1,228  
    中小企業 1,401 994 619 574 698 684 783 673 476
    %(1/2) 54 44 40 41 46 57 52 55  
  3. (3) 拙稿「外国税額控除制度とタックスヘイブン税制を巡る諸問題」税大論叢第17号参照
  4. (4) 中里実稿[Tax Havenの利用形態」税研90.1p20
  5. (5) 特定外国子会社数昭和53年度922社、平成5年度3715社、平成7年度3974社その後については国税庁の発表なし。更正件数7年度63件97億円、9年度63件47億円、10年度54件104億円である。ここから言えることは、依然としてタックスヘイブンの利用が拡大しており、そこには利用のうまみがあることが強く推測できることである。99.12.6読売新聞朝刊参照
  6. (6) カナダでは、タックスヘイブンは主に金持ちや大企業に利用されていたが、最近は、平均的なカナダ人にも利用されている。これはタックスヘイブンが良く知られたものとなり、タックスヘイブンに関する情報が容易に入手できる環境となっているためである。例えば、トロントではタックスヘイブンの利用に関する本や雑誌が書店の店頭に高く積まれていたり、また、タックスヘイブンを利用した投資に関するコンサルタントの一般向けセミナー、金融機関のタックスヘイブン国に対する投資の勧誘等タックスヘイブンに関する情報に出会う機会が多くなってきている。カナダ゙では、タックスヘイブンを利用した投資に関する会計事務所やコンサルタントのセミナー、大手信託銀行のタックスヘイブン国に対する投資の誘惑、タックスヘイブンに関する本、新聞、雑誌等が広く社会に普及している。また、近年急速に発展しているインターネットでも、タックスヘイブンに関する各種の情報が入手可能となっている。「平成8年度長期出張者調査報告集」国税庁調査課li72、同様のことが米国からも報告されている。インターネット上には、タックスヘイブンやオフショア市場に関する情報が流されている。多くはコンサルタントの広告であるが、一部には具体的なコマーシャルベースのものまであるとされている。
  7. (7) 元ヤクルト副社長による「プリンストン債」リベートを巡る脱税事件では、元副社長が個人的に英領ケイマン諸島に設立したペーパーカンパニーを利用して多額の不正資金を手にしていた。平成11年11月30日読売新聞朝刊
  8. (8) 例えば、平成12年1月21日にインターネット「MSN」ネットでキーワード「タックスヘイブン」で「日本語条件、全ての語を含む」で検索すると256件(ファイル単位であって提供者単位ではない。)抽出され、全てが税に関するものではないが、「税金が高いと嘆いている社長さん 税金のない国があったらよいなと思いませんか。あるんです。」といったものから、タックスヘイブン法人の設立をサポートします。といったものもある。個人向けには海外口座の開設、タックスヘイブン法人を利用した高利回り投資と大幅な節税効果を謳ったもの等がある。
  9. (9) 例えば、木村昭二著「税金を払わない終身旅行者」総合法令li251、この中では個人を対象としてタックスヘイブンの利用の利点や手続を解説している。
  10. (10) 主として金1億円未満の法人については、税務署で調査を担当することとされている。平成3年度に10署10名で発足。平成12年度59署84名体制で国際取引の課税に従事している。
  11. (11) 吉牟田勲稿「会計学大辞典第4版」中央経済社li1175、中里実著「金融取引と課税」有斐閣li34 駒崎清人著「国際課税Q&A基本的な仕組みと考え方」li15
  12. (12) 金子宏著「租税法第7版」弘文堂li314

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