村上 憲雄

税務大学校
研究部教授


はじめに

 執行停止の制度は、行政処分の執行不停止の原則の下、抗告訴訟を提起した原告に対する仮の救済措置として設けられた制度である。しかしながら、執行停止が安易に認容されることとなると、行政処分の正当な公権力の行使を妨げる結果、いたずらに行政の停滞を招くこととなる。したがって、行政処分の執行停止にあっては、私人の権利・利益の保護と行政の円滑な運営の確保というときによって相反する二つの理念をいかに調整して現実的かつ合理的な結果を得るかは極めて重要な問題とされている。

 このため、私人の権利・利益と公共の利益をどのような形で調整して執行停止制度の目的を達するかという命題のもとに、執行停止の対象や執行停止の要件等をめぐって、従来から種々の論議が行われてきた(1)。また、その法解釈についても国民の権利意識の高揚や社会情勢の変化ともあいまって時代的な変化もみられるところである。

 殊に、租税の賦課徴収処分は、大量反復性を有する上、国家や地方公共団体の活動の財源的基盤をなすものであることから、租税の優先性とあいまって迅速かつ効率的な確保が図られる必要があり、特に執行不停止の原則が重要な意義を有する。一方、租税の賦課徴収処分は、納税者の財産権に直接制限・処分を加える側面を有し、その執行に当たっては、十分に私人の権利・利益の保護が図られる必要のあることも論をまたない(2)。このことから、租税賦課徴収処分の執行停止にあっても、課税処分を本案訴訟とする滞納処分の執行停止の可否、執行停止によって保護されるべき権益の内容並びに執行停止決定の内容的効力の範囲等、さまざまな問題提起がなされている。

 ところで、近時の執行停止事例として、東京地裁平成9年12月5日決定(3)は、公売財産の仮差押債権者が売却決定の取消しを本案訴訟として公売処分の続行停止を求めた事件につき、右仮差押債権者の申立人適格を認めるとともに、執行停止の要件である行政事件訴訟法25条2項の「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要」及び同条3項の「本案について理由がないとみえるとき」について、一定の判断を示した上で、これを認めている。右決定については、被申立人(行政庁)において即時抗告がなされたが、抗告審の途中、被抗告人(申立人)において執行停止の申立てが取り下げられ、抗告理由に対する裁判所の終局的な判断を仰ぐことなく事件が終了し、行政庁側にとっては不本意な結果を残すこととなった。

 本稿では、執行停止の制度を概括するとともに、滞納処分の執行停止に係る裁判例を集約・整理して、滞納処分の執行停止をめぐる問題点について租税徴収の実務的な面からの考察を行うとともに、これを前提として、前記東京地裁平成9年12月5日決定をめぐる問題点についても考察を試みたい。

(1) 「執行停止の制度は、行政行為による権利侵害に対し、国民の権利保護を有効に実現するための仮の権利保護制度として決して十分なものではない。」とされる(東條武治「行政事件における執行不停止の原則の再検討(一)」『西ドイツの執行停止制度との対比について』民商法雑誌61巻4号551頁以下)。
また、立法論として、執行停止を原則とすべきとして執行不停止の原則そのものに対する問題提起も少なくない。芝池義一「行政救済法講義」94頁(有斐閣、平11)。平峯隆「行政処分の執行停止」吉川還暦記念『保全処分の体系(下)』969頁(法律文化社、昭40)。藤田宙靖「新版・行政法T(総論)」317頁以下〔現代法律講座〕(青林書院、昭62)。

(2) 国税徴収法の目的とするところは、私法秩序の尊重、徴収の合理化、国税収入の確保の3つであるとされる(吉国二郎ほか「国税徴収法精解」96頁〔大蔵財務協会、14版、平8〕)。

(3) 東京地裁平成9年(行ク)第84号 執行停止申立事件(行集48巻11・12号904頁、判時1653号77頁)。

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