遠藤 克博

税務大学校
研究部教育官


はじめに

 『多国籍企業』(Multinational company)という呼称は、米国で1963年に出版された『ビジネス・ウイーク』の特集号で初めて使われたと言われているが、36年の歳月の経過とともに、『多国籍企業』が世界経済に及ぼす影響力は益々拡大の一途を辿っている。
多国籍企業の経済活動は、少ないものでも数カ国から、多いものでは百数十か国にまで及び、各国税務当局と企業との間の税に関わる問題は、複雑化と多様化の度合いを強めている。そこには、通信技術の飛躍的な進歩を反映した企業活動の高速化、ペーパーレス化の現実があり、一方には関係各国の税制が互 いに影響し合いながら独自な制度をめざしているという状況がある。
各国の租税制度は、その産業構造や社会制度に加えてそれぞれの国民性を色濃く反映した歴史的経緯の集大成として存在し、各国民の選択権として変化し続けている。わが国は、狭い国土に多くの人口を抱え、天然資源に恵まれないという条件の下で、加工貿易を中心に永い間高度な経済の成長を実現してきた。
『多国籍企業』という名称がわが国にはじめて紹介された頃、『多国籍企業』のイメージはアメリカやヨーロッパの巨大企業であったと思われる。同様に、アメリカやヨーロッパの人々の『多国籍企業』のイメージは、世界の津々浦々まで進出し、圧倒的な競争力で市場を席巻する先進国の巨大企業であったはずである。時代がながれ、かつての先進国の企業の競争力が相対的に低下し、日本やアジア諸国の企業が優れた労働力、技術力、マーケッティングカ等により次々に市場を獲得してゆく時代が訪れた。今やアジア生まれの『多国籍企業』が世界市場の獲得競争に凌ぎを削っている。
わが国に、いわゆる『移転価格税制』が導入されたのは、昭和61年の税制改正であったが、その十年前の昭和51年に、わが国の代表的な『多国籍企業』であるトヨタ自動車と日産自動車が、米国市場において『多国籍企業』にとっての重大な国際課税問題に直面していた。米国内国歳入庁の移転価格課税の執行 の強化とわが国の新税制の導入は、国際経済の環境変化が各国の租税制度の選択に影響を及ぼした顕著な例と捉えることができる。
自由主義経済のもとでは、企業は自己責任のもとで、経済的合理性に基づく製品のプライスィングを行ってきた。これが関係会社間の取引である場合、種々の動機から、独立した企業が経済的合理性のもとで行うプライスィングとは違うプライスィングが行われる場合があった。このようなケースに対し、租税法は適正で公平な課税を実現するため、独立企業間で行われるプライスィングに引きなおした課税所得金額の計算を求めてきた。これらの特殊関係者間の取引は、日本国内の法人間で行われることもあれば、日本法人と外国の関係会社の間で行われることもあった。昭和61年に『移転価格税制』が導入される前は、前述のプライスィングの差額について、『寄附金の損金不算入』の制度(法人税法第37条)を適用して課税関係を整理してきた例が多い。これが、新税制の導入と同時に、国外関連者との取引については、『移転価格税制』(租税特別措置法第66条の4)を適用して課税関係を整理することとなった。新税制の執行とともに新たな問題点が指摘されることとなる。すなわち、『移転価格税制』の適用対象取引とならない取引で、国外関連者に所得が移転している取引については、従来どおり『寄附金』課税により課税関係を整理していたため、同じ国際間の所得の移転であるにもかかわらず、損金算入限度額の分だけ『寄附金』課税が有利となるというものであった。これを受けて、平成3年に『国外関連者に対する寄附金の全額損金不算入』の制度(租税特別措置法第66条の4第3項)が導入された。
現行法では、内国法人が行う国外関連者との取引について、『移転価格税制』による課税と『国外関連者に対する寄附金』の課税が行われている。従来より『寄附金』概念の下で整理されてきた経済取引の一部を適用対象とする形で、外国の租税制度として既に存在していた『移転価格税制』を日本型の制度にアレンジして導入したことから、『移転価格』課税の適用対象取引を明確化することにより、『寄附金』課税の適用対象取引は明確化されるはずであった。ところが、いざ『移転価格税制』が執行されてみると、現実の経済取引の中に、『移転価格税制』を適用すべき取引であるか、あるいは『寄附金』課税を適用すべき取引であるかが不明確なケースが散見されるようになった。これは、日本独特の『寄附金』概念の存在に加え、日本と諸外国の『移転価格税制』の相違点に起因するものと思われる。
本稿の目的は、わが国における『移転価格税制』の適用対象取引を再確認し、『国外関連者に対する寄附金』の適用対象取引の明確化を試みることにある。
国際取引の性格上、国際間の課税権の調整に関連して、租税条約上の相互協議の問題にも言及することとする。

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