(注1)

 
磯部 喜久男

元研究部主任教授


はじめに

 「朕、所得税法ヲ裁可シ、茲ニ之ヲ公布セシム。明治二十年≡月十九日」。我が国初の所得税法の誕生である。以来、110年が過ぎた。
この所得税法は、同年3月23日付の官報でその全文が公表された(以下この所得税法を「創設所得税法」という。)。
同月24日付東京日日新聞(1)は、所得税法の創設を、「かねて世上に評判ありし所得税法は、昨二十三日を以て発表せられたり、その全文は本紙第一欄にあり、就いて見らるべし。さてこの所得税法は何ほどの収入あるべきや、その筋にても未だ確かな見据えは付かざれども、およそ百四十五万余円にて、その内より二十万円位は調査費、徴収費に掛かるべし。ただし、本年七月より十二月までにては半ケ年分なれば、およそ六十万円位なるべきか。しかし、人民も段々所得税の事を理会し、調査も行き届くに従いて、収入も増加するなるべしとの見込みなりと言えり。
この所得税法は、英国、独逸その外欧州諸国の税法を参照して、日本に適当するように取調べられしものにて、単に外法によられしにはあらずとの事なり。
また、この所得税より得る所の金額は、多分これを国防のために、すなわち砲台建築に向けらるべし。この外に帝室よりも国防のため御下金ありと言えば、一にしてこれに充てらるるなるべしと聞けり。」と報じている。簡潔な内容であるが、要領を得た報道内容である。
報道にもある収入見込みをみると、明治20年の歳入予算には、まだ収入見込額は計上されていない。同21年の税収をみると、所得税106万円である。税収総額は6,472万円であるから、所得税の割合は1.6パーセントであり、納税者数においても、明治21年が14万人で、(2)当時の人口3,900万人の0.36%に過ぎない。
また、その規定そのものも、今では考えられないほど簡潔で、短いものである。(3)全文29条、約2,300字であり、仮に新日本法規の実務税法六法に掲載するとすれば、ちょうど1ページ分である。
このように、収入の面からみても、規定の量的な面からみても、非常に小さな所得税法としてスタートしたものである。
短い規定ではあるが、納税義務者、課税所得、非課税所得、所得金額の算出方法、所得金額の届出に関する規定はもちろん、不服申立て、減免、質問検査及び罰則等の規定もあり、加えて調査委員に関しても詳細に規定されており、現在の所得税法の基としての要素を十分に持つものである。
明治政府は、明治4年藩制を廃止して全国に郡県制度を敷き、中央集権を図ったが、そのためには、財政的基盤の整備が急がれていた。明治6年に着手した地租改正は、そのための大事業であり、明治20年の税収の63.6パーセントが地租であった。
地租は、定率、金納という新しい制度であるが、土地が課税対象であったことから、封建制における年貢の概念から理解できたであろう。しかし、創設所得税法は、「所得」を課税の対象とするもので、これまで経験の全くない税であり、我が国においては未知の税法である。
そのため諸外国の税法を研究し、我が国において執行可能な税法として制定されたものである。今後我が国の目指す資本主義的経済にふさわしい税として導入された税であるが、導入に当たっては大変な勇気と決断が必要であったと思われる。
特に国の徴税機関である税務署が設置されたのは、明治29年であり、国税を扱う機関は、未整備であった。明治20年に導入された所得税は、現在まで主要な税として発展し、我が国の近代税制の基となった。すなわち、明治20年に、国税組織の近代化に先駆けて、税制の近代化の一歩が踏み出されたといえる。それが所得税である。
ところで、明治20年には、まだ帝国議会は開設されておらず、新しい法律の制定のための審議は、元老院で行われていた。そのため創設所得税法の審議も元老院で行われた。元老院では、逐条審議が行われ、その審議の内容は、「元老院会議筆記」(4)(以下「会議筆記」という。)として残されている。その内容をみると、熱心な審議の状況を生々しく感じることができる。そして、そこに、新しいものを創ろうとする明治の人々のエネルギーを感じる。それは、形式化された機械的なエネルギーではなく、人間的なエネルギーである。
そこで本稿では、会議筆記による元老院での審議の内容を中心に、創設所得税法の誕生の過程及びその内容を現行所得税法と比較しつつ概観してみることとしたい。
そこから、創設所得税法の仕組みを理解し、また、当時の人々の所得税に対する考え方も理解できればと思う。

〔資料の引用について〕

1 当時の資料を引用する場合、資料紹介を兼ねて、基本的には原文をそのまま引用する。

2 ただし、

(1) 当時のカタカナ文で、「、」及び「。」が付されていないものについては、適宜筆者が付した。

(2) 漢字の旧字体は、特別な熟語を除き現在使われている字体とした(例えば、軆=体、當=当)。

(3) 漢字表記の接続詞、副詞で、現在あまり使用されていない漢字については、カナ書とした。

(4) 読みにくい漢字については、当該漢字の後に()で、読み方及びその意味を記した。(下記注3のアンダーライン部分参照)

3 会議筆記の引用は多数になるので、引用文の末尾に(ひっき○○)として、引用したページを記した。なお、ページ数は原本のページである。


(注1)毎日コミニュケーション出版部「明治ニュース事典」第三巻428ページ本文に戻る

(注2)税収、納税者数等は、税務大学校研究部編「税務署の創設と税務行政の100年」(大蔵財務協会発行)の参考資料による。以下同じ。本文に戻る

(注3)創設所得税法の規定は、現在の感覚で見ると非常に簡略であるが、規定を簡略にすることについて会議筆記をみると、次のように考えていたようである。
「日本国民ハ心情淳厚ニシテ理屈二泥マス(ナジマズ)、故二西洋諸国ノ如ク法律ニモ規則ニモ、一々物事ヲ詳記スルコトヲ要セス。本案ノ如キモ試ミニ孛(プロシャ)法二照ラサハ、殊二簡略ナルヲ覚ヘン。是レ日本社会ノ風習自ラ簡易澹泊(タンパク=淡白と同じ)ニシテ面倒ノ関係ヲ存セサルカ故ナリ、他ノ税法ノ如キモ大抵然ラサルナシ。」(ひっき32)
「モットモ修正案モ亦完全無暇卜言ヒ難キヲ以テ、其完カランコトヲ望メハ、数百條ヲ要スルニ至ルヘシ。聞ク英国ノ所得税法ハ、スコフル浩瀚(コウカク=書物のページの多いこと)ノ者ナリト。我国ノ如キハ右二陳ル理由モ有レハ、簡略二之ヲ作リ其作用ハ主務省に任シテ可ナリ。」(ひっき63)本文に戻る

(注4)本稿で引用した創設所得税法に係る会議筆記は、元老院会議筆記刊行会から、昭和57年1月20日発行された「元老院会議筆記」(後期第26巻)に収録されている。本文に戻る

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