(1)

 
堀口 和哉

広島国税不服審判所長


一 はじめに

1 所得税の役割

 言うまでもないことであるが、「税」は、社会経済制度の状況によって変化するものであり、現行の我が国税制についても「税収が特定の税目に依存しすぎる場合には、税負担の公平な配分を妨げ、国民経済に悪影響を及ぼすおそれがあることから、所得、消費、資産といった課税ベースを適当に組み合わせつつ、全体としてバランスのとれた税体系を組み立てる必要がある。(1)」とされている。すなわち、「税」は、不断の見直しを求められるものである。
こうしたものではあるが、現行の我が国税制にあっては、個人及び法人の所得を課税対象とする税が全税収入の約六割強を占め(2)、「所得に対する税」、が基幹的税の役割を果たしている。これは、「所得に対する税」、特に個人所得に対する税としての所得税が「第一には、…各人に帰属する所得のすべてを総合し、それに超過累進税率を適用することによって、応能負担の原則を最もよく具現し、公平負担の原則に適合するものであること。第二に、…最低生活費に関する控除…等、各人の担税力をきめ細かく考慮して、課税の公平を図ることができること。第三に、経済機能の観点からみて、市場価格機構に大きな影響を与えないで公共目的のために資源の配分ができること、累進構造を通じて所得再配分の機能が果たせること、税収の弾力性が高く景気変動に対し安定機能を有していること」から、「所得税は、各税の中でも最も近代的な租税であり、これに租税体系の中心的地位を与えることが租税制度の理想とされ(3)」ている結果であり、この意味において、所得税を知ることが現在の「税」の本質を理解することに通ずると言っても過言ではあるまい。
このように、近代的税制として最も重要視される所得税であるが、その近代性を発揮しうる条件が与えられ、制度的に確立したのは、明治32年の改正によってである(4)。と同時に、この改正に際しては、創設時と同様に所得税の基本的問題が幅広く取り上げられ、制度的検討が加えられている。こうしたことから、この明治32年の改正の経緯を知ることは、我が国所得税の原点を知るために不可欠な要素であると考える。

2 明治32年の所得税法改正

 このように、所得税の歴史にあって、大きな意味を持つ明治32年の所得税法の改正(5)であるが、この時、新たに採用された制度としては、居住地国課税、分類所得税、法人課税、源泉徴収などの各制度がある。これらは、いずれもその後の我が国所得税制の根幹をなしたものであり、その導入の経緯を明らかにすることは所得税制変遷の原点を探る有益な試みと考える。と同時に、明治31年の所得税改正法律案(6)には取り入れられていたものの、結局は採用されなかったのではあるが、生計費を控除するとの考え方や所得の確実性等所得の性格に着目して所得を分類するといった考え方もその後、様々な形で我が国所得税別に取り入れられており、所得税の理解に欠くことの出来ない要素になっている。不採用の経緯を知ることも意味があると思う。
また、分類所得税や法人への課税の可否の問題は、明治20年の所得税創設の際にも論点とされたが、主として時期尚早との理由で導入が見送られた経緯がある。従って、明治32年の改正の背景をより明確にし、改正の本質を理解する上で、所得税創設時の議論をも念頭に置くことが有益と思われる。むしろ、明治20年と32年は本来一連の動きのものであって、両者を一緒にみることで我が国所得税の創設の経緯や考え方が理解できるとさえ思える。(7)
さらに、この改正の背景には、我が国資本主義の発展に伴う社会・経済の構造的変革と日清戦争後の戦後経営に伴う財政需要の急増という時代の状況があることは当然であり、これら事象に対しての幅広い考慮なしには、この改正を的確に理解することはできない。
本論は、こうした考えにたって、制度的な事柄については、当時の事務官僚の考え方が反映されている「松方家文書」や「松尾家文書」等を中心に、また、幅広い立法の背景や当時の社会的背景を知るために、既に加えられた専門家の研究業績や改正法律案の衆議院・貴族院の両院における審議録等を中心に、関係資料を整理分析することを通じて、明治32年の所得税法改正の意味するところを探ろうとするものである。

〔注〕

(1) 「税制の抜本的見直しについての答申」(昭和61年10月28日)本文に戻る

(2) 参考9の第9表「現行税制等に関する参考指標」参照本文に戻る

(3) 田中二郎「租税法(第3版)」483頁 本文に戻る

(4) 汐見三郎教授は我が国所得税制につき、1899年(明治32年)〜1912年を所得税確立時代とし、明治20年の 「考へられたる税法を現実に行ふ為…進み過ぎたる所を取り戻すと共に遅れたる所」を補おうとしたのがこの明治32年の改正であるとしている。(汐見三郎ほか「各国所得税論」260頁)
また、高橋誠教授も明治32年の改正を初期所得税制の時期から過渡期の所得税制の時期への転換期と位置づけ「日本所得税はこの3分類を中心とした明治32年の税制改正において、法人所得への源泉課税・個人所得への累進率の高度化などの点で、資本主義の発展によって露呈してきた初期税制の矛盾に対する一応の対応をしめし、またあらたに、公社債利子の分離源泉課税を導入することによって、政府の公債政策を税制面で擁護しようとした。これらの措置によってわれわれが初期税制の収入構造の硬直性とよんだ事態は相当に改善された。明治32年の所得税収入は、前年度に比して倍増し、さらに翌年度では約7割の増収をしめすにいたった。これは所得税制が久しい硬直性から脱し、ゆたかな収入源として発展しつつあることをしめすものである。」としている。(高橋誠「日本所得税制史論(その二)明治後期の所得税制」経済志林第27巻1号102頁) 本文に戻る

(5) 明治32年の所得税法改正法律案(第13回議会に提出された改正案)については、参考3参照。 本文に戻る

(6) 明治32年の所得税法改正法律案(第12回議会に提出された改正案)については、参考1参照。本文に戻る

(7) なお、目賀田参事官が所得税に関する問題点を指摘して以来、明治32年の所得税法改正に至るまでの関連事項として、次のようなものがある。

24・4・3 目賀田参事官 所得税の扱いの不統一を税務に関する問題点として指摘
25・8・8 第2次伊藤内閣成立(渡辺大蔵大臣)
26・6・1 旧商法中会社法等施行
27・7・16 日英改正条約調印
27・7・25 日清戦争(〜28・4・17)
29・3 29年度税制改正(戦後経営の財政基盤強化の為営業税等4大税の導入及び改正等税制を整備)
29・9・18 第2次松方内閣成立(大蔵大臣兼任)
29・11・1 税務管理局官制の施行
30・2 目賀田主税局長 税制改革に関する意見書(所得税法の改正等を提言)
30・12・12 第11回議会招集 (地租条例改正法案を提出するも解散により不成立)
31・1・12 第3次伊藤内閣成立(井上大蔵大臣)
31・5・14 第12回議会招集(地租条例改正法案、所得税改正法案等解散により不成立)
31・6・30 大隅内閣成立(松田大蔵大臣)
31・7・6 民法施行(第1編〜第3編 29・4公布 第4編〜第5編 31・6公布)
31・11・7 第13回議会招集
31・11・8 第2次山懸内閣成立(松方大蔵大臣)
(32年度税制改正に係る地租条例、所得税法等の改正法律案成立)
32・6・16 商法施行
32・7・17 改正条約施行

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