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倉内 敏行

税務大学校
研究部教育官


はじめに

 納税者は、「租税条約の規定に適合しない課税」を受ける場合には、その租税条約に基づいて相互協議の申立てを行うことができる。申立てを受けた税務当局は、その申立てに理由があると認める場合には、「租税条約の規定に適合しない課税」を排除するために相手国の税務当局と協議を開始することになる。したがって、相互協議の対象となるか否かは、問題となっている課税が 「租税条約の規定に適合しない課税」 に該当するか否かにかかってくる。
移転価格課税問題が発生する以前には、この相互協議制度があまり利用されなかったこともあって、「租税条約の規定に適合しない課税」 の意義に関する議論はほとんど行われなかった。そのころ著されたいくつかの文献において、一般に、相互協議の申立てが異議申立てであると理解されているところから、「租税条約の規定に適合しない課税」 は 「租税条約に反する違法な課税」と解釈されていたものと推測されるだけである。
その後、各国で移転価格課税が強化されるにつれて、この移転価格課税と相互協議との関係がにわかに注目されるようになってきた(1)。移転価格課税とは、親子会社間のような関連企業間の取引価格を独立した企業間において成立すると考えられる取引価格に引き直して課税所得を計算しうるとする税制(移転価格税制) に基づく課税である。この移転価格税制に基づいて一方の締約国の関連企業の課税所得が修正されると、双方の関連企業を一体とみるならば一種の二重課税が生じることになる。移転価格課税を相互協議の対象とし、その合意によってこの二重課税を排除していこうという考え方ほ、現在では国際的に確立されているとみることができ、我が国でもそのように取り扱われている(2)。その論拠は、一般に、次のように理解されていると思われる。すなわち、(1)移転価格課税によって経済的な二重課税が生じる、(2)この経済的二重課税も租税条約が回避しようとする二重課税の一種である、(3)したがって、移転価格課税は相互協議の対象となる、という考え方である。ここにおいては、「経済的二重課税」が「租税条約の規定に適合しない課税」であると理解することになると考えられるが、「経済的二重課税」を生じさせる課税がすべて相互協議の対象とされているわけではない(例えば我が国の寄付金課税)ことから(3)、「租税条約の規定に適合しない課税」の解釈としては十分とは言えない。

 相互協議の対象となるか否かは、納税者の 「申立権」と申立てを受けた権限のある当局の 「合意努力義務」 の発生という法的な効果に影響をもたらすので、その対象範囲を明確にする必要があると考えるが、従来、この 「租税条約の規定に適合しない課税」 の意義について詳しく研究されたものはない。本稿は、相互協議の対象範囲を画する基本的な概念である「租税条約の規定に適合しない課税」 の意義を研究し、一つの試論を提示することを目的としている。第1章では、実務上の取扱いを概観し「租税条約の規定に適合しない課税」 の解釈上の問題点を指摘する。第2章では、相互協議の法的な性格を基に「租税条約の裁定に適合しない課税」の解釈を試みる。第3章では、租税条約における特殊関連企業条項の意義の検討を通じて、移転価格課税が「租税条約の規定に適合しない課税」となることを解明する。最後に、本稿の結論をまとめることとする。
なお、相互協議は、具体的な租税条約上の規定を根拠とする制度であるが、我が国が締結している個々の租税条約の規定を考察の対象とすることはあまり意味がないので、便宜上、本稿ではOECDモデル条約(4)を基に考察を進めることとする。

〔注〕

(1) 相互協議に関する文献には、移転価格課税との関係で論じるものが多い。OECD Committee on Fiscal Affairs,"Transfer Pricing, Corresponding Adjustments and the Mutual Agreement Procedure ", in Transfer Pricing and Multinational Enterprises - Three Taxation Issues(Paris, 1984)(以下「1984年OECD報告書」という。日本語訳は大橋時昭訳「移転価格、対応的調整及び相互協議手続−1984年OECD租税委員会報告書−」国際税務臨時増刊号「移転価格税制の基礎資料」(1986年)による。)、金子宏「相互協議(権限のある当局間の協議および合意)と国内的調整措置−移転価格税制に即しつつ-」国際税務11巻12号14頁以下(1991年)、北野弘久「租税条約の当局間協議と租税の還付−移転価格税制をめぐる法律問題」税理35巻15号223頁以下(1992年)、木村寛富「経済的二重課税と政府間協議」『裁判実務大系10渉外訴訟法』(青林書院、1989年) 462貫以下など。本文に戻る

(2) 1984年OECD報告書パラ75で示されている「第9条(第1項)を条約に盛り込むことにより、経済的二重課税を条約でカバーすることを締結国が望んでいるということが示されることになる。その結果、移転価格の調整によって生じるいかなる経済的二重課税も、条約に適合しない、少なくともその精神に適合しないこととなり、第25条第1項及び第2項の相互協議手続に関する規定の適用範囲内であることになる。」という考え方が基になっている。本文に戻る

(3) 一般に、寄付金課税は相互協議の対象とならないとされる。例えば、村井正編『国際租税法の研究』(法研出版、1990年)135頁は、移転価格課税と寄付金課税の法効果の違いとして、対応的調整が行われる可能性があるか否かをあげており、寄付金課税が相互協議の対象とならないことを前提としていると考えられる。また、国際税務研究グループ編『国際課税問題と政府間協議』(大蔵財務協会、1993年)260頁も、我が国の寄付金課税が相互協議の対象とはならないとし、その理由として、寄付金課税が「わが国によるわが国の居住者に対する課税であること、租税条約上の特典条項に適合しない課税といえないこと、及び特殊関連者条項の規定に適合しない課税ともいえないこと」をあげている。本文に戻る

(4) OECD Committee on Fiscal Affairs, Model Tax Convention on Income and on Capital(Paris, 1994).条例文及びコメンタリーの日本語訳は、国際税務13巻5号(1993年)から同一4巻10号(1994年)までの「改正OECDモデル租税 条約とコメンタリー全文118」 による。 本文に戻る

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