西野 敞雄

税務大学校
元研究部長


一 序

 明治9年12月28日、太政官布告第161号は、「北海道地租ノ儀當分地價百分ノ壹二相定侯條此旨布告侯事」(1)とし、これにより、北海道の地租が徴収され、はじめて、税率が1パーセントと決められたと、いわれる。
これにさきだつ明治6年7月28日太政官布告272号「地租改正條例」は、旧来の貢納制度の廃止とそれに代る土地の地券調査の実施、地価を標準として100分の3の率により課税すること、村入費等は地租の3分の1以内に限定すべきものであること、地租額は豊凶にかかわらず一定とし、天災等の場合は減免税措置もありうること等を述べている。そして、将来、茶・煙草・材木とその他に対する物品税をおこし、それらが200万円にのぼれば改正ずみの土地に限ってこの増収分を割りふって地租額を軽減していき、いずれは地価100分の1にまで引下げると宣言している(2)。この條例は、北海道へ直ちには適用されなかった。
北海道において地租が徴収されはじめるのは、明治10年以降であり、前身の地税があるとされるのにもかかわらず、「地租改正報告書」(明治15年2月参議兼大蔵卿松方正義序、大正15年12月15日印刷、大蔵省発行) には、北海道の計数は含まれていない。小野武夫著「地租改正史論」(昭和23年)、福島正夫「地租改正の研究」も北海道を含んでいない。その一方、北海道の作業は「地租創定」と言われ、地租改正とは呼ばれていない。本稿では、「北海道水産税史−北海道租税史1」に引き続き、北海道における地租創定を地租改正と比較しつつ歴史的に検討し、これを通じて北海道租税行政史の発展をたどろうとするものである。

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