白石 雅也

税務大学校
研究部主任教授


はじめに

 減価償却について税法上明確に規定がなされたのは、太平洋戦争後の昭和22年に行われた法人税法の全文改正時であるが、減価償却そのものについては、税務執行上最初に認められたのは、明治36年における海運業者の保有する船舶についてであった。しかし、この場合は限定的であり、減価償却が固定資産一般について認められたのは、大正7年に、部内限りの内規としての通牒の形ではあったが、減価償却の対象資産及びこれらの資産についての耐用年数が、執行上の取扱規定とともに、定められてから以後のことであった。
この通牒が、大正7年7月19日付主秘第177号で出された「固定資産ノ減価償却及時価評価損認否取扱方ノ件」(注)であるが、この通牒で減価償却を認める対象とされた固定資産は、それまで行政訴訟で減価償却の認否が争われたことのある船舶、建物及び紡績機械のほか、煙突(構築物)、金庫(器具備品)及び生産設備と、かなりその対象範囲が拡げられている。また、この取扱いにおいて、定率法による減価償却が認められているのも特徴的である。
この通牒が出された後も耐用年数表(しばらくは堪久年数表と称されていた。)は、何回もの改正が行われており、特に生産設備については、個別の機械に対する年数から、業種ごとの総合的年数へと改正される。
耐用年数は、減価償却制度において重要な要素の一つであるが、その算定についての確立した理論は未だ存在していない。また、このことについての研究も多くはなされていないし、なされている耐用年数についての研究の場合も、あるいは極めて概括的であったり、その理論を応用しようとしても、その算定の基礎となる資料の収集が、現実には望めないような理想的な状態においてのものを前提としている場合が大部分である。
もっとも、そのこと自体は、研究の目的によっては十分に有用であることは当然であるが、税法上のいわゆる法定耐用年数の場合は、現実に稼動しているあらゆる減価償却資産について定める必要があり、資料が理想的でないというだけの理由で省略する訳にはいかないのである。したがって、なんらかの方法によって耐用年数を定める必要がでてくる訳である。
耐用年数は、よくいわれるように将来の予測年数であり、ある程度の誤差は止むを得ないと考えられるが、あまりに政策的であったり、悪意的に定めた場合には、普通償却としては、期間損益の計算の目的にとって適当なものとは考えられない。
しかし、現実の問題としては、客観的、合理的な立場を維持しつつも、実際に収集できる資料によって、ある程度の妥協を余儀なくされるのが実情である。この意味で、減価償却が税務上一般的に認められた大正7年の主秘第177号通牒の耐用年数に重点を置きつつ、現在までの法定耐用年数の変遷にも触れ、どのようにしてこれらの耐用年数が定められたかを検討してみるのも意味があるであろう。
本稿は、この大正7年に出された主秘第177号通牒を中心に、専ら耐用年数の観点から考察を試みようとするものである。この通牒により定められた耐用年数は、その背景としての減価償却の考え方が、資産の評価に重点が置かれていたと考えられるが、それがどのように耐用年数に影響を及ぼしているのかを考察することにしたい。
その前提として、まず初めにこの通牒が出されるに至るまでの、税務上の減価償却の考え方の経緯をたどり、ついで主秘第177号通牒の内容に触れ、さらにその後の改正による耐用年数についても、この大正7年の通牒と比較して、その改正の背後にあったと考えられる減価償却制度の考えの変化をも含めて考察することにする。
なお、この通牒で定められた耐用年数についての制定当時の考え方の資料は、現在皆無であるので、推測によらざるを得ない部分が多いことを、あらかじめお断りしておきたい。


(注)「固定資産ノ減価償却及時価評価損認否取扱方ノ件」は、内規として定められた時期が、大正7年説と大正9年説とあり、確実な史料が長く不明であったために確定していなかったのであるが、現在、税務大学校租税資料室に保管されている松戸税務署保存資料中に原文があり、これによって、その発遺日付及び番号が確定された。 本文に戻る

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