倉信 隆弘

税務大学校
研究部教授


はじめに

 我が国における個別消費税の課税物件の選択に当っては、種々の配慮がなされている。例えば、酒税における酒類、物品税における自動車、テレビ、ルームクーラー等、いずれも生活必需品以外の物品であり、そこには特殊なし好品としての性格や便益品としての特徴を捕え、その消費に対して税負担を求めるという考え方が採られている。そしてこの考え方が現在のものとなるまでには一応の歳月を要している。
我が国における消費税制度は、酒税、そのほか醤油税、売薬税など、生活必需品を含めてスタートしたが、これらの生活必需品に対する課税については制定当時から批判があり、個別消費税制度の場合、常に課税物件の選択の難しさを知るのである。
石油に対する課税は、明治37年、日露戦争の戦費調達のため、非常特別税法により石油に課された石油消費税を嚆矢とする。この石油消費税は、石油輸入税の増徴に伴う一時的な課税であったが、同41年、戦後経営上の要求に応ずるため、新たに独立の単行法として、石油消費税法が制定され、恒久的なものとなった。この石油は、当時石油製品の主体となっていた燈油で、石油ランプにより燈火用として消費され、正に生活必需品であった。戦時及び戦後の財政需要に応ずるためあえて創設された石油消費税であったが、時を経るに従って、その必需品に対する課税は、電燈、ガス燈の普及により、石油のみに課税することがより大衆負担を加重し、不公平となったことなどの理由から廃止の声が高まった。しかし、石油消費税は、醤油税、売薬税、織物消費税等とともに悪税視されながらも容易に廃止されず、ようやく大正12年に至って、他の増税と引換えに廃止されたのである。
石油の便益的性格に着目した課税は終ったものの、他方、第一次世界大戦を契機として自動車の発達、普及はめざましく、石油消費税が廃止された頃には、石油製品もすでに消費の主体が従来の燈油から自動車用燃料の揮発油(ガソリン) へと移行していた。一方、自動車台数の増加により、道路の損傷の問題が新しく提起され、その補償と道路整備に要する費用とに対し、原因者負担、受益者負担等の観点から、それぞれ自動車の利用者にその負担を求めるべきであるとする意見が台頭してきた。
昭和初期の頃、我が国で自動車に対しては、道路損傷負担の趣旨から地方税として自動車税が課されていたが、その課税方法、税率等は各地方区々で一定せず、道路整備等の自動車関連税制としてまでの統一された考えはなかった。仮に、税制で自動車の発展を阻害しないように配慮するとすれば、この辺の考えの統一が必要であった。
このような背景の下、石油消費税の廃止後間もない昭和6年に、税制整理準備委員会は、地方税の自動車税の整理軽減の観点から、自動車に対する課税を、その燃料である揮発油に対し国税として課税し、その収入の一部を道路の延長等に応じて地方に交付することを研究し、「ガソリン税法」案を立案した。このガソリン税の収入見込額は229万円と僅少であったが、自動車の発展等のすう勢から目的税的な受益者負担の発想は斬新で、将来の増収は大いに期待された。その期待どおり、50年を経過した現在、揮発油税収入は間接税の中で最も多く、租税全体においても極めて重要な地位を占めているのである。
「ガソリン税法」案は、昭和6年末に内閣が総辞職したため議会に提出されないままに終ってしまったが、税制整理準備委員会が行った研究は、その後昭和12年に創設された「揮発油税」に大いに貢献している。昭和6年の「ガソリン税」は、実現こそしなかったが、揮発油税の歴史をみる上において見逃すことのできない重要な意味を持つものとなっている。
我が国における自動車専用燃料としての揮発油に対する課税制度を、その特徴、課税の趣旨等によって4つの時期に区分することができるが、誕生に至らなかったものの「ガソリン税」はその第一期といえよう。
第二期に区分されるのが、「燃料国策」の一環として創設された我が国初めての「揮発油税」である。そこには、日中両国間の関係が悪化し、準戦時体制下にあった昭和12年、石油資源に乏しい我が国において、液体燃料開発、貯油、石炭の液化その他の総合的な対策を必要とした背景が存在する。課税の趣旨は、前の地方税の負の合理化をねらいとした「ガソリン税」とは全く異なるもので、課税方法等の基本的な制度については大差のないものであったが、昭和18年、石油専売法の制定に伴い廃止された。
戦後の昭和24年、シャウプ税制使節団の来日に備えて設置された税制審議会は、創設当初から不評であった取引高税を廃止するための代り財源として、揮発油税等の創設を検討した。税制審議会の新税構想は一応見送られることとなったものの、結局昭和24年度の予算編成に当り、不足する財政収入の一助とするため、唯一の新税「揮発油税」が創設された。創設に当って、その収入を道路整備財源に充当するための目的税とすることの是非について検討されたが、目的税は財政の硬直化を招くとして採り上げられず、一般財源とされた。この普通税としての「揮発油税」が第三期に当るものといえよう。
その後、我が国の戦後における自動車の急激な発展と、一方、整備がはかばかしく進展しない道路状況とを顧み、道路整備の急務が問題となり、その対策として昭和28年に「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が制定され、昭和29年度以降揮発油税の収入は全額道路整備費に充当されることとなった。このようにして「揮発油税」は、普通税でありながら目的税としての性格を持つ税として現在に至っているのであるが、これを第四期として区分することができる。
他の個別消費税の場合と異なり、揮発油を課税物品として選択することについては、その経済的地位などから容易に理解を得られよう。しかし、揮発油への課税は、おおむね同一の制度によっていながら、その趣旨なり目的が単なる便益品課税から受益者負担的性格を帯びるものに変化していったことに大きな特徴を見出し得る。
このように、時代の要請に従って変化していった課税の趣旨、目的を理解するには、その時代の背景への考察が必要で、一面には揮発油の現代経済において占める地位の重要性を物語っているのである。
本稿では、このような揮発油の特性に触れつつ、揮発油税制の経緯とともにその特徴についての考察を試みてみたのである。

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