内薗 惟幾

税務大学校
教育第一部教授


はじめに

 当校の所蔵している租税関係資料のなかに、珍らしくある間税職員の日記17冊(17年分)が含まれている。
日記を書いた人は、明治末期から大正末期にかけて仙台税務監督局管内の税務署に奉職した「切田親幸」属で、日露戦争直後の明治40年から関東大震災直前の大正12年までの17年間、毎日の勤務状況、出張事績、身辺の些事等を詳細に、簡潔な文体で記している。
切田氏の名前が大蔵省の職員録に登場するようになったのは、明治38年、岩手県下の水沢税務署に末席の税務属として勤務していたときからである。月俸11円であった。
当校に保存している日記は17年分であるが(それ以前も、以後も記録されていると思われる。)、17年間の毎日、変化の乏しい日常生活をそれなりに克明に記録することは、非常な努力と才能を要する。世相、風俗、家族及び職務の模様、交遊等について、ユーモアを交えつつ、簡潔、克明に記している。
切田氏は、碁、将棋、園芸(ばら、朝顔)、水彩画、油絵等幅広い趣味をもち、文学を愛し、かつ、能筆家であった。
酒は全く嗜まず、仕事熱心な勉強家で、仕事に対する感想も適切である。
この切田氏の日記の各々の事柄について、個別的に検討を加えて行けば、例えば、執務の状況、勤務時間、月間出張日数等、過去の租税資料を補うことが出来るものと思うが、本稿はそのような検討、整理よりも、まず、当時の税務職員の生活環境、執務ぶり等を中心に紹介することとした。
わが国が大きな変化を遂げた明治、大正の17年間における先輩の生活記録を読むとき、共感を覚えるところが多いことに気付くのである。今後、本稿が切っ掛けとなって、さらにこの「切田日記」に研究が加えられ、当時の税務職員の生活、勤務ぶりを知る手がかりとなれば幸いと考えている。
なお、本稿は、切田氏の勤務場所と時代の変遷に対応させて
一、明治40年から41年まで(日露戦争後の税制改正時)
二、明治41年から44年まで(明治末期の税制改正時)
三、明治44年から大正9年まで(第一次世界大戦の頃)
四、大正9年から大正12年まで(同大戦後の頃)
に分けて整理した。
この「切田日記」の一部は、税大論叢12号「税務職員の殉難小史」で引用している。

(注)日記は、原文(誤字は修正したが、当て字はそのままとした。)のままとすることを原則としたが、税務職員以外の人の氏名は、すべて(某)とし、なるべく当用漢字を用いた。なお、日記のうち、長文に亘るものは、適宜省略し、かつ、句読点を施した。

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