【答え】

3.奈良県

【解説】

売薬は市販される薬(丸薬、膏薬、練薬、水薬、散薬、煎薬)の総称です。医療機関が十分に整備されていなかった時代の売薬は、病気と戦う重要な存在でした。
 一般的に売薬の産地として最も有名なのは富山県ですが、奈良県も売薬業が盛んでした。奈良県の売薬は凍み豆腐や素麺などと並んで、長い歴史を有する伝統的な特産物でした。明治時代になると生産量が増大し、明治44(1911)年に約140万円だった生産額は、大正15(1926)年には3.5倍の約490万円にまで成長しました。
 この売薬には、明治時代から売薬税(売薬営業税は明治10(1877)年、売薬印紙税は明治15(1882年))が国税として課せられていました。地方などの医者にかかれない人々にとって、重要な存在である売薬に課された売薬税には、当初から根強い反対がありました。長い廃止運動の末、国税の売薬税は社会政策的見地から大正15(1926)年の税制改正により廃止されました。
 これに対し、地方税の売薬配置税は、国税の売薬税が廃止された後の昭和3(1928)年に課税されていました。売薬配置税は、県税の雑種税に分類され、「売子1人に付、2,000厘」が1年間に課せられていました。この売子とは行商人のことを指していました。地方税を所管していた内務省地方局が発行した『地方税総覧』によると、昭和11(1936)年は1,678人に売薬配置税が課せられたデータが残っています。奈良県の統計をみると、売薬配置税は昭和3(1928)年から昭和12(1937)年までその存在が確認できます。
 当時の新聞記事(「神戸新聞」昭和3年6月25日付)によると、昭和3年度に内務省から認められた新しい地方税で、奈良県でのみ採用されたようです。
 奈良県でのみ、このような地方税が創設されたことに対しては、地元の売薬産業への影響が懸念されました。奈良県薬業連合会が発行した『奈良県薬業史』においては、他の有力な売薬の産地である富山県と佐賀県では売薬組合に対して補助金を出すなどの助成策を行っていることを例に挙げ、これら他の産地と競合するうえで不利にならないよう、奈良県の売薬関係団体から売薬配置税の撤廃が陳情されていたことが記述されています。
 売薬は、奈良県にとっては大きな産業であり、昭和恐慌(昭和5(1930)年〜同6(1931)年)の中で不足する財源としてこの税が作られたのではないかと推察されます。これに対して富山県や佐賀県では、産業保護を優先し、助成政策をとっていたのだと思われます。売薬配置税が全国で唯一奈良県でのみ採用された背景には、このような売薬を特産とする各県の方針の違いがあったようです。
 国税の売薬税に関しては吉川紗里矢氏のNETWORK租税史料2024年9月「薬の税−売薬印紙の時代−」において紹介されておりますので、こちらも是非ご覧ください。
 (https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/network/288.htm

(2026年4月 研究調査員 菅沼明弘)