【答え】

4.浅草御蔵

【解説】

江戸幕府最大の米蔵は「浅草御蔵」です。元和6(1620)年、浅草御蔵は隅田川の西岸に設置されました。その敷地面積は2万坪(東京ドーム1.4個分)以上もありました。収納量は30万石から50万石もあったと言われています。現在、この地域は「蔵前」と呼ばれています。
 浅草御蔵のほかにも、幕府の米蔵はありました。享保19(1734)年には、隅田川の東岸にあった竹蔵を改装して、本所御蔵が新設されました。本所御蔵には、10万石から20万石ものお米が詰められていました。このほか、代官町や竹橋、浜などにも幕府の米蔵がありました。江戸時代中期に、これらの米蔵は統廃合され、浅草御蔵と本所御蔵、竹橋御蔵、浜御蔵が残りました。
 浅草御蔵のお米は、主に武士の給料として使われました。春・夏・冬の年3回、旗本や御家人といった幕臣に支給されました。給料日には、武士たちが御蔵の役所へ押し寄せて、順番を待ちました。ここで、何百俵もの米俵を渡される武士もいました。しかし、大都市の江戸で生活する上では、お金が必要です。そのため、大量のお米を受け取って、運送し、換金するという大変な手続を行う必要がありました。こうした事情から、これらを代行する札差(ふださし)という商人も登場しました。

(研究調査員 吉川紗里矢)