【答え】

1. 吉川英治

【解説】

吉川英治は、『三国志』や『宮本武蔵』などで知られる作家です。自伝の『忘れ残りの記』によれば、明治38(1905)年、14歳のときに横浜税務監督局の給仕に採用され、職員の指示で書類を別の部屋へ持っていったり、お茶を運んだりしたと回想しています。仕事は5時に終わるし、朝も早くないので本などが読めたとも書かれています。
池波正太郎は、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などで吉川英治文学賞を受賞しています。2年間、都税事務所で税金徴収員をしていたと記しています。差し押さえのときに滞納者から罵詈雑言を浴びたことや、八百屋さんに足繁く通って滞納整理をしたことなどが、食の思い出とともに回顧されています(『食卓の情景』、『おおげさがきらい』)。
藤沢周平は、『たそがれ清兵衛』や『蝉しぐれ』などの作者です。昭和18(1943)年に村役場の税務課に勤めながら夜間中学に通っていました。台帳から徴税令書に税額と名前を書き写したり、土蔵から土地台帳を出して地租を計算したり、測量技術を習って畑を測量したりしたと記されています(『半生の記』)。
吉川英治は給仕ですが国税、池波は東京都、藤沢は村役場で税関係の仕事をしていたことになります。
 ところで、昭和22(1947)年以前、地租や所得税などの徴収は市区町村に委任されていました。藤沢が村役場でしていたのは、まさに地租の仕事です。税務署は地租の総額を村役場に通知するだけで、村が納税者ごとに納税令書を作成して送付したのです。地目変換の届出などには測量図も必要でしたので、村人への測量講習も村役場の仕事だったのです。
 池波の場合は戦後なので国税の仕事ではありませんが、戦前は、徴収は区役所の仕事、滞納処分は税務署の仕事でした。しかし、東京都の区部の税務職員は区役所の職員と一緒に徴税督励を行っています。一緒に徴税督励に回って補助しないと、その後の滞納処分が大変な手数になるからです。
作家の回想に出てくる税金の話はわずかですが、その背後にある税の仕組みは、意外に知られていません。

(研究調査員 牛米 努)