【答え】

1.髪を切る・整える

【解説】

 特別行為税は、アジア・太平洋戦争末期の昭和18(1943)年から同21(1946)年にかけて、写真の撮影現像、調髪と理容美容などの整容、被服類の仕立てや染色・刺繍、書画の表装及び印刷製本といったものを「特別行為」として課税対象にしていた国税です。
 日中戦争の泥沼化、日米開戦による世界大戦化を背景に、1930年代後半から大蔵省は、巨額の戦費を調達すると同時に国民の奢侈的な消費生活を抑制させるために、間接税を中心とする大増税を断続的に決行していました。こうした一連の政策の中で創設された特別行為税について、当時の新聞は、奢侈とみなされた商品や行為に対し罰金並みの「禁止的高率」を課すものであると報じています。
 税率は、印刷製本が20%、その他は全て30%に設定されており、該当する行為を行った営業者は、行為の種類ごとに料金を記載した申告書を毎月税務署に提出し、翌月末までに納税しなければなりませんでした。一方で、創設当初は日常生活で必要な行為はできるだけ課税対象にならないように調整されていました。例えば、調髪・整容は1円以上のサービスが課税対象となっており、当時5〜10円程度の料金であった電髪(パーマネント)代は課税されましたが、1円未満が相場であった散髪にはあまり影響がありませんでした。
 特別行為税については、同業組合による納税協力が奨励され、徴税補助団体には交付金が支給されることとなっていたため、同業者が結束して特別行為税納税組合を作り、同組合が帳簿や申告書の作成、一括納付などを行っていました。しかし、それでも電髪を行う業者の脱税行為が多く、東京財務局管内では半年で40軒の不正業者が摘発されています。
 戦局が悪化し本土決戦による「一億玉砕」もささやかれ始めた昭和19(1944)年2月、特別行為税の税率が30〜50%に引き上げられ、調髪・整容に関しては、課税対象が80銭以上に拡大され税率は50%に設定されました。その結果、散髪も課税対象となる店が多く出てしまいました。それを受けて東京理髪組合は、同年5月1日に都下の協定料金を定め、洗髪・散髪(丸刈・機械刈・鋏刈)・顔剃り・アイロン・染毛等、従来セットで料金設定されていたところを分割させ、個々の価格設定に関しては大部分を80銭未満に改訂しました。
 このように、主に戦時体制下で施行された特別行為税は、昭和21(1946)年8月に廃止されるまで、現在の感覚ではとても特別とは思えない散髪や書籍の出版といった行為にまで高率の課税を行っていました。当時主税局長だった松隈秀雄氏も、戦後に「行き過ぎ」であったと回顧しています。正に「ぜいたくは、敵だ」の標語どおり、戦時下では多岐にわたる日常的な営みが「奢侈」と断じられて事実上規制の対象となり、国民生活が切り詰められていきました。そうした当時の様子を伺うことのできる税金です。

(研究調査員 山本 晶子)