【答え】

3.引揚者援護のための興行

【解説】

入場税は、事業の主催者や設備の経営者が、大衆向けの娯楽施設等を催し物の運営や一般利用に供した際に、その入場料金に応じた金額を納めていた税です。演劇場、競馬場など公衆の観覧に供する施設のほか、舞踏場、麻雀場、ゴルフ場など公衆の遊技に供する施設が、主な課税対象とされていました。
ただし、その事業内容によっては入場税が免除される場合もあり、入場税法の第五条には「其ノ入場料又ハ収益ノ総額ヲ慈善事業其ノ他命令ヲ以テ定ムル目的ニ充ツル場合ニ於テハ入場税ヲ免除ス」との免除規定が設けられていました。
終戦を迎えると、それまで厳しく規制されていた娯楽が解禁され、選択肢に挙げた三つがいずれも全国各地で開催されました。しかし、引揚者の生活を援護するために催された興行に関しては、免除規定を利用した不正が相次ぐことになります。
昭和21(1946)年6月25日付の東京財務局長の通牒によると、新規営業者の理解不足もあり、収益の総額ではなく入場税相当額のみを慈善事業に拠出する業者や、中には引揚者援護のための慈善事業を装って自身の利益を狙う業者など、悪質な免税興行が頻発していました。その対応策として、入場税免除手続の申請者を、政府関係団体のみに限定する措置が取られました。
終戦直後の段階では、引揚者援護団体は「恩賜財団同胞援護会」(厚生省関係)と「在外同胞援護会」(外務省関係)のほか、全国各地に群小の関係団体が数多く存在していましたが、昭和21年にそれら群小の団体が厚生省の指導の下で整理統合され、厚生省公認の「引揚者団体中央連合会」が設立されました。それを機に、入場税免除手続の際、東京都では「引揚者団体中央連合会」を、その他の地域では中央連合会の下部組織である「都道府県引揚者団体連合会」を申請者とし、それ以外の群小団体からの申請は原則的には認めないようになりました。
一方、1に関しては、進駐軍の軍人兵士や軍属について、彼らが経営する舞踏場や、彼らのみの利用に供する専用の施設は、連合国軍最高司令部との協議の末、昭和21年9月に全面的に入場税を免除することが定められました。
また、2に関しては、PTA活動等を用途とする資金を獲得するために、当時小学校等で入場料を設定した芸能祭が開催されていましたが、それが免除対象に当たるかどうか、政府関係機関の間で解釈の相違が生じました。そのため、同じく連合国軍最高司令部との協議を経て、収益金の拠出用途が慈善事業に該当する場合以外は、小学校の催し物を基本的に課税対象とすることが、昭和23(1948)年1月に決定しました。
以上のほかにも、入場税を巡っては、滞納者や脱税者が多く、申請受理時の混乱が相次いでいたため、税務署の側でも、担当職員の理解を高めて取締りを強化することを目指しました。昭和22(1947)年末には各地で入場税に関する事務研究会を開催した記録が残っています。
入場税は、昭和23年に地方税になりましたが、昭和29(1954)年に再び国税になり、平成元(1989)年の消費税導入まで存続しました。

(研究調査員 山本 晶子)