【答え】

3 農商務省

【解説】

酒造業者等から酒造業の発展を図るため、醸造技術に関する国の研究機関設立の要望が出されていました。政府は、これらの要望を受け、明治34年7月に醸造試験所の設立に関する調査委員会を立ち上げますが、このときのメンバーは農商務省と大蔵省の関係者でした。同年8月、調査委員会は、1 醸造試験所を東京に設置すること、2 管轄は農商務大臣とすること、3 事業として醸造に関する研究や技術改良、醸造講習を行うこと等を決定し、政府に報告しました。
 醸造試験所の設立事務は、産業奨励の面から農商務省の所管とされました。しかし、明治36年10月、農商務省との協議により醸造試験所は大蔵省に移管されます。その理由は、醸造試験所の業務が伝統的な清酒製造方法を科学的に分析し、品質の改良と生産性の向上を図ることにあり、酒税事務と密接な関係を有しているからというものでした。また、醸造試験所の主要施設である醸造工場は、国内の清酒工場やドイツのビール工場などを参考にして大蔵省の技師が設計にあたりました。こうして、明治37年5月に設立された醸造試験所は大蔵省の所管となり、初代所長には主税局長目賀田種太郎が就任することになったのです。
 明治30年代の酒税は税収の35%前後を占めており、地租を抑えて国税収入のトップでした。醸造試験所の大蔵省移管は、その当時のわが国財政における酒税の重要性を物語るものと言えます。
 ちなみに、醸造試験所第一工場(通称「赤煉瓦酒造工場」)の建物は、明治期の貴重な赤煉瓦建物として平成26年12月に国の重要文化財に指定されており、赤煉瓦酒造工場は文化庁の所管となりました。

(研究調査員 牛米 努)